第二十八話 早朝の訪問者
穴掘り屋の仕事のない日は、いつもより三十分遅く起きる。
と言っても、いつもの習慣で三十分早く目が覚めているので、結局のところは浮いた三十分の間を布団の中で何もせずに過ごすことになる。
ふいに扉がノックされ、「――オグマ様、よろしいでしょうか?」続いて聞こえてきたのは、よく通る低い声。執事モードのジークさんだ。
珍しい。俺が借りているこの離れの部屋にやって来るのは、ほとんどリリアだけだ。何だか少しだけ嫌な予感がする。
俺はベッドが降り立つと扉を開いた。
「おはようございます」
工房でパン造りをしていたのだろう、ジークさんは汚れた白衣姿で立っていた。
一分の隙もない流麗な所作で頭を下げてくる。
「おはようございます、ジークさん。俺に何か用ですか?」
「はい、実はオグマ様にお客様が来ております」
「客?」
予想外のジークさんの返答に俺は首を捻った。
誰だろう。この家で厄介になっていることを知っている人間はいないはず。タチアナとデュオにさえ教えてはいなのだ。
「……オグマ様、申し訳ありませんが、相手が相手なだけに、私も陰から立ち会わせていただきます」
「え? どういうことだ? ジークさんはその人のことを知っているのか?」
「ええ。ですが、もしかしたら単なる私の杞憂かもしれませんので、とりあえずお会い下さい」
目線を下げたまま、ジークさん。
そんな言われ方をして身構えるなというほうが無理だと思うのだが、会うのを拒む理由もない。
ジークさんは腕が立つ。今や俺たちの間には主従関係など存在しないが、何かあればきっとジークさんは助太刀してくれるに違いない。
「それで、その人はどこに?」
「裏口で待っております」
「分かった。着替えたらすぐに行くよ」
「はい」
目礼して去っていくジークさんを見送ってから、俺はすぐさま部屋の中へ取って返し、普段着に着替えた。
姿見でさっと身なりを確認し、部屋を出る。
短い廊下を抜けて、裏口へ向かう。ジークさんの姿はない。おそらく、どこかへ身を隠しているのだろう。
ジークさんは、まだ幼い頃に大陸の東にある小さな島国から中央大陸へとやって来た。
確か、「ニンジャ」と呼ばれる隠密行動を得意とする一族の末裔らしい。詳しい経緯は知らないが、その後、俺の父親に拾われ、それからおよそ三十年に渡りマイロード家に仕えていた。もし、俺が家を放逐されていなかったら、きっと今もその辣腕を振るっていたはずだ。
背筋に緊張を感じながら裏口の扉を開けると、そこには思いもよらない人物が立っていた。
鮮やかな紅い髪にそれとは好対照な蒼い鎧。肌は白く、紫紺の双眸が静かに俺を見据えていた。
フローラ・アスピリクスに付き従っていた護衛騎士だ。
「早朝の時分の訪問を、どうか平にご容赦下さい」
紅髪の麗人は、澄んだ声音とともに深く頭を下げた。さらりと流れた糸のような髪が、昇り始めた陽光にさらに赤く輝く。
「ここのところ、ご不在にされていたようなので、このような時間に参上した次第にございます」
「……ああ。ちょっと仕事で遠くに行っていたからな。それよりも、俺に何か用か?」
俺が問うと、護衛騎士――確かフローラはフィリアと呼んでいた――が背筋を伸ばした。
「改めて、先日のお礼を申し上げに参りました。我が主フローラ様をお助けいただきありがとうございました」
こんな朝早くに何事かと思ったら、そんなことか。
緊張の解けた俺は大きく息を吐く。
「いや、礼ならもう言ってもらったからいらないぞ」
「そうはいきません。フローラ様から聞いたお話が真実ならば、あなた様はまさに命の恩人にございますから」
「それは大袈裟だ。酒場でも言ったが、あの幻獣を倒したのは俺じゃない。フ……じゃなくて、あの女子生徒だ」
つい勢いでフローラを呼び捨てにしようとして、俺は寸でのところで何とか堪えた。
ただの穴掘り屋が、五大公家の令嬢の名前を気安く口にするのは不味いだろう。
「……」
じっとフィリアが俺を見つめてくる。値踏みするような視線に感じるのは、俺に後ろめたいことがあるからだろうか。
「そのあたりの意見の相違は些末に過ぎません。私にとって重要なのは、お嬢様があなた様に深い恩義を感じていらっしゃること。つきましては、お嬢様がお礼を兼ねてアスピリクス家にご招待したい申しております」
そう言えば、去り際にフローラがそんなことを言い残していたような気がする。
しかし、五大公家の令嬢の家に行くのは正直気が進まない。しかも、彼女は魔導学院の生徒。二重の意味でも遠慮したいところだ。
「実は――」
俺が発する拒絶の気配を感じ取ったのか、フィリアが話題を変えた。
「アスピリクス家には現在、お嬢様のご学友をお一人お預かりしているのですが、その方も宴の席にご一緒なされる予定なのです。ご学友のお名前は――オリヴィア・マイロード様。マイロード家のご令嬢にございます」
オリヴィア? 今、この人はオリヴィアと言ったのか?
なぜオリヴィアがアスピリクス家にいるのだろう。
……ああ、そうか。オリヴィアは魔導学院に入学したのだ。マイロード家のある光都グラスホッパーは、ここシャルルロワから馬車で半日以上かかる。通学はとても無理だ。
五大公家の間には、奇妙な力関係が存在しているのだが、両家の繋がりは比較的良好だった。警備の観点から考えても、宿泊先としては申し分ない。
しかし、それを何故わざわざ俺に話すのだろう? もしかしたら、この人は俺の素性に気付いているのだろうか?
そんな俺の懸念を見透かしたように、護衛騎士がそっと目を伏せた。
「申し訳ありません。あなた様のことを調べさせていただきました。オグマ・マイロード様」
「……ばれていたのか」
「はい。酒場でお会いした時に、もしやそうではないかと思っていたのですが……」
貴族家で働く執事や護衛騎士の情報網は侮れないものだ。風体が多少変わっても、気付く者はすぐに気付くだろう。
「ご安心下さい。フローラ様はお気付きになっておりません。もしかしたら、昔会ったことがあるかもしれないとは仰っていましたが……」
別れ際に、そんな事をフローラは言っていたな。
俺がフローラのことを思い出したのもほんの偶然に過ぎない。会ったのも、まだお互いが小さい頃だし、何かを喋った記憶もないのだ。
それにしても――まさか、オリヴィアの名前がここで出てくるとは思わなかった。
最後に会ってから、もう三年が経つ。一体、今はどんな風に成長しているのだろうか?
「会いたいな……」
「えっ?」
フィリアに聞き返された俺は、慌てて口を噤んだ。が、時すでに遅し。
できることならば、足元に零れた言葉を拾って今すぐ逃げ去りたい気分だが、そんなことはもちろん無理か。
「いや……オリヴィアに会いたいと思ってな。知ってると思うが、俺はマイロード家を放逐された身だ。父上からは、二度と家族の前に姿を見せるなと厳しく言い含められている。特に、妹のオリヴィアにはな」
オリヴィアは幼い頃から、俺を慕ってくれていた。
俺が何かをしようとするたびに、よちよちと後ろを歩いて回り、その姿はまさに可愛いとしか形容できない存在だった。
それが不甲斐ない兄のせいで、今ではマイロード家の跡取りとして茨の道を歩まざるを得なくなったのだ。
本来ならば、一度ちゃんと面と向かって謝らなければならい。
「ということは、オグマ様だとばれなければ、お会いしても問題ないということでしょうか?」
「まあ……それならいいと思うが?」
顎に手を添えたフィリアが思案顔になる。綺麗に整えられた眉の間に皺を刻む。
ややあって、
「ならば、私にお任せ下さい。オグマ様だと知られずにオリヴィア様とお会いできるようご協力致します」
突拍子もないその提案に、俺は首を傾げた。
そんなことが、果たして可能なのか?
「どうやって?」
胡乱な視線を俺が向けると、フィリアは硬い表情を崩して悪巧みをするように口元を緩めた。
「いい案があります。私を信じてお話に乗っていただけますか?」
迷ったのは、ほんの数舜だったと思う。
もし会えるものならば、もう一度だけでもオリヴィアに会いたい。たとえ、兄と妹としてではなかったとしても。
「分かった。頼む」
「……良かった。これで、フローラ様のご希望も叶えて差し上げられる。おそらく、オグマ様はお断りになるだろうと思っていましたので」
オリヴィアの話を持ち出したのは、やはり俺の関心を引くためだったのか。
さすがに五大公家に仕えているだけあって、侮れないな。口車に乗せられた感は否めがいな、こちらにも大きな恩恵がある。
「――そういうことでしたら、私も一肌脱ぎましょう」
突然の声に俺とフィリアが振り返ると、建物の陰から滲み出るようにジークさんが現れた。
一体、どうやっているのだろう? 昔から、ジークさんは神出鬼没だった。
「ジーク様、お久しぶりです」
まったく驚いた様子もなく、フィリアが頭を垂れた。
「ああ。すっかり大きくなったな、フィリア」
ジークさんも感慨深げに深く頷いている。
「なんだ? 二人は知り合いだったのか?」
「ええ。実はジーク様は私の剣の師なのです」
「そうだったのか」
俺も剣術はジークさんに習った。ということは、俺とフィリアは兄弟弟子になるのか?
「騙すような真似をして申し訳ありません、オグマ様。貴族家に仕える者達の世界は意外と狭いのですよ。さあ、フィリア。そうと決まればさっそく作戦会議を始めよう」
「はい。ジーク様にご協力いただけるなら、心強いです」
力強く頷き合うジークさんとフィリアの前で、俺は少しだけ嫌な予感を覚えるのだった。




