第三話 今宵、裏通りで
親方の言葉通り少し多めの報酬を受け取った俺は、職人街の大衆食堂でいつもより豪勢な食事にありついた。
豪勢、と言っても所詮は職人や労働者向けの食堂だ。
値段についてはたかが知れている。
そこはかとなく気分が良かったので、珍しくエール酒を一杯頼んだ。
酒の味は正直よく分からないが、アルコールがいい感じに身体を巡った後の、ふわふわする感じは嫌いじゃない。
それに、ぼんやりとした頭ならば余計なことを考えないですむ。
食事を終え、支払いを済ませた俺は食堂を出た。
職人街を歩きながら、吹き抜ける風に火照った身体を冷ます。
通りは、一日の仕事を終えた職人や労働者たちで雑多に賑わっている。
この場所は、一般に「職人街」と呼ばれているが、家族連れや若者の姿も少なくはない。
安くて、それなりの味が楽しめる食堂が軒を連ねているだけあって、いつも人通りは多いのだ。
やがて職人街を抜けると、民家の立ち並ぶ静かな通りを進んでいく。
街の中心方向へもう少し歩けば、俺が間借りしているベーカリー「アトム」の建物が見えてくる。
と――
「――ん?」
遠く響いてくる職人街の喧噪に混じって、細い悲鳴のような音が俺の耳に届いてきた。
音の出所を頼りに視線を巡らせると、十メートルほど先の建物と建物の間にぽっかりと横道が口を開いている。
おそらく、あの奥から聞こえてきた。
生憎とちょうど人波が途切れて、俺以外に人影はない。
警官を呼ぶにしても、ここからでは時間が掛かり過ぎる。
やれやれ。
できれば、面倒事は避けたいのだが。
だが、このまま聞こえない振りをしてやり過ごすのも寝覚めが悪い。
俺は背中からスコップを取り出すと、両手で構えた。
武器としてはやや心許ないが、扱いには慣れている分、多少は役に立つだろう。
それに、俺には一応、ひと通りの武技の心得もある。
余程ヤバイ相手でもない限り、大事に至らないと思う。
(一刻も早く家に帰って、寝たい……)
胸の下でぼやくと、俺は嫌な予感しかしない横道へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
饐えたような匂いが漂う小路を幾ばくか進んでいくと、三つの人影があった。
男が二人に、少女が一人。
行き当たりの壁を背にした少女を男たちが取り囲んでいる。
それは、半ば予想していた構図ではあったのだが、俺はまったく別の理由から驚きに軽く目を瞠った。
建物の窓から落ちるぼんやりとした明りに照らされた、その服装。
黒を基調としたジャケットには、肩線や裾、それから胸部に白いストライプが走っている。
見間違いようがない。
懐かしい「福音魔導学院」の制服だ。
俺に気付いた男二人がこちらを振り返る。
その制服の胸元には、魔法陣と杖を象った銀色のバッチと、小さな赤い宝石が縫い付けられていた。
(……初等部の生徒か。しかも、赤い宝石。この二人は貴族の息子か)
壁に追いやられている少女の制服にも、やはり銀色のバッチが見える。
こちらは、赤い宝石はない。
つまり、彼女は平民の出ということだ。
「誰? お前? 僕たち、今ちょっと取り込み中だからさ、さっさとどっかに行ってくんない?」
男二人のうち、背丈が低いほうが不機嫌そうに表情を歪ませた。
視界が暗くても分かるほどの鮮やかな金髪。
瞳は青く、まだ幼さを色濃く残しているものの、かなり整った容貌をしている。
「ぷっ! こいつ、あのスコップで何するつもりなんだ? まさか俺たち相手にやろうってつもりか?」
もう一人の男、こちらはやたらと背が高い。
よし決めた。
この二人はチビとノッポにしよう。
ノッボは短い黒髪をツンツンと逆立てて、瞳はやはり青い。
俺を小馬鹿にするように、ヘラヘラと口元をだらしなく緩めている。
「……」
二人の男はとりあえず無視して、俺は少女のほうへちらりと視線を流す。
あきらかに怯えたような表情を浮かべ、小刻みに震えている。
一体、どういった用件かは知らないが、純粋な愛の告白というわけではないだろう。
「その子は怯えているようだが?」
「あん!? だから部外者には関係ないだろ。俺たちは魔導学院の同級生なんだよ。ちょっと、こいつにお仕置き案件があって話をしているだけ」
「おい、余計なことをペラペラ喋るな」
「おお……すまねぇ。つい、な」
チビに凄まれて、ノッポのほうがへへへと笑って誤魔化す。
どうやらこの二人の上下関係は、背の高さとは反比例しているらしい。
「なあ、でも、こんなところ見られたらヤバくないか? いっそのことやっちまおうぜ。こいつもやる気満々みたいだし、正当防衛が成り立つだろ」
ノッポが妙案だとばかりに嬉々として持ち掛けると、チビが顎に手を当てて思案顔になる。
いや、ちょっと待て。
俺は別にお前たちと事を構えるつもりはこれっぽちもない。
こちらの無抵抗を示そうと、俺は両手を挙げて見せたが無駄だった。
「それも……そうだな。よし、今日覚えた魔術でやってしまうか。なぁに、人ひとり消えたぐらいのこと、親父が何とでも揉み消してくれるだろう」
ひどく気楽な調子で言うと、チビがこちらに向き直った。
俺が抗議をする間もなく、すっと優雅な動きで右手を差し出してくる。
その掌に円環術式が浮かぶ。
魔導学院の生徒が、一般人に向けて魔術を行使するのはもちろん御法度だ。
校則で固く禁じられている。
もしバレたら、退学は免れないはず。
だが、相手は貴族の子息。
街の片隅で一般市民(俺)が一人消えたぐらい、いくらでも闇に葬れる。
それだけの権力が彼らにはあるのだ。
「刹那のアンドロマリウスよ! 炎の腕のうちにすべてを包め〉〉〉【焔烈弾】!」
チビが朗々と呪文を唱えると、円環術式に頭大の炎の塊が出現した。
序列第九位の魔術――【焔烈弾】だ。
「運が悪かったとあきらめろよな。さいならー」
嘲るような声と共に撃ち出された火炎弾が、暗い路地を赤く照らしながら迫ってくる。
低位の魔術ゆえ、灼熱とまでは言わないが、相当な高熱の塊。
不思議と恐怖は感じないが、状況的にはかなりヤバい。
あの速度ならば避けることは難しくないだろうが、そうなれば標的を失った火炎弾が建物に直撃する。
それも不味いだろう。
かといって、俺には魔術を防ぐ手立てもない。
俺にできることといえば、魔力で肉体かスコップを強化することぐらい。
どちらにしろ、悠長に考える暇はなかった。
俺は体内で魔力を熾すと、それを操作して両手持ちしているスコップへと纏わせた。
青白い魔力に覆われたスコップを、飛来してきた火炎弾に向けて無造作に振り抜き――
ガっ! という鈍い衝撃音とともに、火炎弾は頭上に向けて跳ね飛ばされた。
折よく建物と建物の間をすり抜けたそれは、上空でパンっ! と、乾いた音を立てて弾けて消えた。
飛び散った無数の火の粉が、空気に溶けるようにして舞い落ちてくる。
無性にたまやーと叫びたくなったが、ぐっと堪えた。
たまやーって何だ?
「……」
「……」
「……」
空を仰いだまま、チビもノッポも、それから少女もあんぐりと口を開けて呆然としている。
ふーん。
魔力には、こういう使い方もあるのか。
握りしめたスコップを眺めながら、俺は妙な感慨に耽っていた。
<説明>
福音魔導学院――王立の学校。魔力と魔術について学ぶ場所。有力な貴族の子息か、素養のある一般人しか入学を許されない。
円環術式――魔術を行使する際に展開する円型の術式(魔法陣に似たもの)。術式は、魔導式と駆動式からなる。
焔烈弾――序列第九位の魔術。火炎弾を相手に放つ。魔力量や術式の精度、何より <発現> の技能の高低により威力が変動する。これは他の魔術も同様。




