第二十三話 土のなかで
「んんっ……」
重たい瞼をゆっくり持ち上げると――茶色い壁が視界一面に映った。
まだ、ぼんやりとした意識の下、それが土砂と瓦礫の混じり合った壁であることに気付く。
土の中。
どうやら私は、土の壁に囲まれた小さな空間で気を失っていたようだ。
少し離れた場所に、淡く輝く灯りが置かれている。手軽に持ち運びが可能な小型の魔術灯だ。
穴掘り屋にとって、それは必需品である。
「気が付いたか?」
すぐ傍で声が聞こえ、私は顔を顰めながら上半身を起こす。
無造作に転がっていた尖った石が、掌に鈍い痛みを走らせた。
「オグマ……」
良かった。オグマだ。オグマが生きていた。
気遣うような眼差しで見つめられ、なんだか面映ゆい気持ちになる。狭い空間にいるせいで、いつもにも増して距離が近いのだ。
顔や作業着が土くれで派手に汚れているものの、オグマの身体には目立った傷は見当たらなかった。
私はほっと息を吐くと、頭の中で記憶を反芻する。
あの瞬間、私達は崩落した天井の下敷きになるところだった。大量の瓦礫と土砂が降り注いでいたから、普通に考えれば生き埋めになっているはずなのに。
どうして、私達はこんな場所にいるのだろう?
そんな私の疑問を汲み取るようにして、オグマが周囲を見回す。
「咄嗟のことだったから上手くいくかは分からなかったが、魔力を球体になるよう <操作> して、周囲に放ってみたんだ」
「えっ? どういうこと?」
オグマの言わんとすることは何となく理解出来るのだが、正直、信じられないという思いが勝る。
つまり、オグマは自分の魔力をバリアのように周りに展開して、結果、瓦礫と土砂の侵入を阻んでこの生存空間を造ったということだ。
そんなことが、果たして可能なのだろうか?
答えは――否だ。
確かに、物理攻撃を防ぐ障壁を生み出す魔術は存在する。
けれど、魔力そのものを <操作> して障壁として使用するなんてついぞ聞いたことがない。
まず、魔力を球体の形に <操作> するのが難しいし、それをバリアのように周囲に張り巡らすこともかなりの難度だ。しかも、その魔力のバリアの強度を保ち続けるのは並大抵のことではないはず。
「……この前、幻獣のマンティコアを倒した時もそうだけど、オグマって何者なの? 本当は、凄く有名な魔導騎士様なんじゃないの?」
声こそ冗談めかしていたが、半ば本気で私が言うと、オグマは一瞬だけ複雑な表情を浮かべ目を伏せた。
まだ、それほど長い付き合いではないが、オグマが何かを隠していることは薄々勘付いていた。
彼の穴掘り屋としての能力は破格で、引く手も数多だ。魔力で <強化> した身体とスコップで、私達一般の穴掘り屋の軽く五倍以上は働いている。
まるで、柔らかい絹を裂くかの如く硬い土壁を掘り抜いていく様は、見ていて壮観ですらある。オグマ自身は魔力を使っていることを特段隠しているわけではないが、実際にそれを目て視て認識出来ている人はいない。
魔力を視る能力は特殊だから。
実のところ、私は魔力が視える性質を備えている。いや、正確には視える種族なのだ。
だから、初めて会ったときから、オグマが只者ではないことは理解していたが、先日のマンティコアとの戦いを目の当たりにして、その思いは確認へと変わった。
オグマは何故か、やけに自己評価が低いきらいがある。人見知りな性格は仕方ないにしても、もう少し自分の力に自信を持ってもいいのに。
オグマほどの能力がある人間が、穴掘り屋の端くれとして埋もれてしまっていることに、私は言いようのないもどかしさを覚えていた。彼ならば、もっと大きな仕事がいくらでも出来るはず。
「……うぅっ」
土壁に囲まれた空間にはもう一人、男が倒れていた。
オグマと一緒に逃げていた護衛騎士だ。オグマの張った魔力のバリアにより、彼も助かったらしい。
「ここは……どこだ」
周囲を見回し、怪訝そうに表情を歪める護衛騎士。
ガーゴイル達にやられたのだろう、全身が傷だらけだ。一刻も早く治療したほうがいいに違いないが、残念ながらその方法がない。
「オグマが助けてくれたの」
「お前が? どうやって?」
「魔力で造った壁で、私たちを守ってくれたんだって。そのおかげで、生き埋めにならずに済んだみたい」
「魔力の壁で? 馬鹿な!? 魔術で防御壁を作るならまだしも、魔力だけでそんな所業は絶対に無理だ」
護衛騎士は戯言を切り捨てるような口調で断言する。
まあ、その気持ちは私にも分かるけど。それでも、実際に私達はオグマの魔力のおかげで助かったのだ。
その事実を前にして、信じる信じないを論じても意味はないだろう。
「俺は魔術が使えないが、魔力の <操作> は割と得意なんだ」
オグマは反駁するでもなく、あくまで平静な声で呟いた。
それは、本当に「私、料理が得意なの」とでも言うように淡々と。
彼はまったく分かっていない。魔力だけで魔術並みの障壁を生み出すなど、少なくともこの現代世界においてはありえない話なのだ。
<操作> の技能をそこまで高度に駆使する者は皆無に近い。得意という一言で、到底片付けられるものではないのだ。
護衛騎士は、なおも物問いたげな表情をしていたが、それ以上は何も言わなかった。私と同様にオグマに助けてもらったのだから、感謝こそすれ文句を言う筋合いはない。
「まあ、それはともかく。……これからどうする?」
せっかく三人とも助かったけど、私達が目下瓦礫と土砂の中に閉じ込められていることに変わりはない。
スコップやシャベル等の道具は手元にはもちろんない。ここから、どうやって脱出すればいいのだろう。
上手い具合に瓦礫と土砂の間に隙間が生じて、まだ空気は残っているが、それもそう長くは持たないはずだ。
このままでは、早晩窒息死してしまう。
「アイザック様のことだ。おそらく、救助は期待できないだろう。……むしろ、俺達は見捨てられたと考えたほうがいい」
声は平坦だったが、護衛騎士はどこか皮肉げに口の端を吊り上げた。
「それは、つまりわざと天井を崩壊させたということか?」
少なからず驚いたように軽く目を見張ってオグマが訊いた。
「あのまま、ガーゴイル達を遺跡の外へ出すわけにはいかないからな。今、「砂の騎士団」の主力部隊は遠征中で、ファルケンはやや防備が手薄になっている。応援の騎士を呼ぶにしても、それ相応に時間が掛かったはずだ。広間で完全に仕留めるために、あえて天井を崩して生き埋めにする。予想される被害を考慮しても、まあ、選択としては最善だろう」
「そうか……そういうやり方だったのか」
顎に手を添えて、オグマは頷くでもなく視線を落とした。
その最善の選択のために、二人は見殺しにされそうになったのだから、心中は複雑だろう。
騎士とは、主君のためならば命を擲つことも厭わない人種だと思っていたが、どうやらこの護衛騎士はそうでもないらしい。それでも、率先してガーゴイル達の前へ立ちはだかったのだから、忠誠心がない訳ではなさそうだ。
しばしの間、黙りこくっていたオグマが、おもむろに左腕を持ち上げた。
その手首には、小さな飾り輪が括り付けれている。
ミサンガ。
旅路や仕事の無事を祈り、女性が家族や恋人に送る定番のアイテムだ。
オグマって、そういう人がいるのだろうか?
待ち合わせた寄合馬車の停車場で、ミサンガにいち早く気付いた私は、何故か落胆している自分を見つけた。
誰からもらったのだろう?
気軽に尋ねることもできたはずなのに、重くなった口を押し開くことがどうしてもできなかった。
オグマは、私達の前でそのミサンガに縫い付けられていた小さな石を引き抜くと、空中で透かし見た。
翡翠の綺麗な石だ。
「それ、どうしたの?」
鼓動が早鐘を打つのを押し隠しながら、私は何気ない風を装って尋ねた。
「……居候させてもらっている家の娘にもらったんだ」
「娘さんって……いくつ?」
「ん?……たしか、今年十歳になったはずだ」
「そ、そう」
安心した。
いや、まったく他意はないけど。
うん。ないはず。
「すまない、リリア」
口の中だけで何事かを呟くと、何を思ったのかオグマはその小さな石を指に挟んで力を込めて粉々に砕いた。
瞬間、澄み切った清涼な空気が辺りに波紋を広げる。
えっ? これって、酸素?
私の考えを肯定するようにオグマが頷く。
「この石は、<包空石>といって、砕くと一時的に大量の酸素を発生させるんだ。昔は鉱山の採掘の際には穴掘り屋が常備していたようだが、今は数が少なくなっていてほとんど見ることがない」
「そうなんだ。ごめんね……せっかく、その子にもらったのに」
「無事に帰ったら、ちゃんと謝っておく。まずは、ここを出るのが先決だ」
言うが早いか、オグマは立ち上がり表情を引き締めた。
護衛騎士がニヤリと頬を歪めて口を開く。
「何か、いい手立てがあるような顔だな」
「ああ、ある」
「どうするの?」
期待を込めて私が見上げると、
「俺は穴掘り屋だからな、穴を掘って脱出するに決まっている」
さも当然とばかりに言ってから、オグマは珍しく口元を緩めた。




