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第二十二話 譲れないもの

 大広間の向こう――薄暗い通路の奥にオグマの姿が見えた。


「オグマ!」


 唐突に込み上げてきた涙を必死に堪え、私は声の限りに彼の名を叫んだ。

 良かった。生きていた。オグマが生きていた。

 深い安堵と疲労感で、ともすれば膝から崩れ落ちてしまいそうになる。


 オグマの傍らには、身を挺してガーゴイルと交戦していた魔導騎士の姿もあった。

 どこか怪我をしてしまったのだろうか、オグマに引き摺られるようにして満身創痍で走っている。


「ギャア! ギャアッ!」


 二人の後ろを、蝙蝠のような翼をはためかせながらガーゴイルたちが迫って来ていた。

 さっきよりも数が多い。全部で七体。

 追いつかれたら、きっと殺されてしまう。


「オグマ、走って!」


 祈るような思いで、私はお腹の底から大声を飛ばす。

 この大広間までは、まだ十メートルぐらいの距離がある。

 オグマ一人ならば、きっと余裕で逃げ切れるのだろうけど、間違いなく彼は魔導騎士を見捨てたりはしない。


「あっ!?」

 

 よろよろと辛うじて歩みを止めなかった魔導騎士が、ついにその場に膝をついた。

 力を使い果たしてしまったように、そのまま床に蹲ってしまう。

 遠目ではっきりとしないが、全身を覆う鎧が激しく痛んでいた。


 オグマがすかさず駆け寄り、何かを言って肩を貸そうとする。

 その間にも、刻一刻とガーゴイル達の姿が大きくなっていく。

 できることならば、今すぐ助けに行きたい。けれど、私では何の役にも立てない。それが、心の底から悔しかった。


「応援の騎士団はまだか?」


 無感動な眼差しで、事の成り行きを眺めていたアイザックが隣に立つ護衛騎士に顔を寄せた。

 こんな一刻を争う状況のときでさえ、アイザックの態度はあまりにも落着き払っている。

 これが、大勢の民衆の上に立つ貴族としての振舞いなのだろうか。私には、正直理解できないし、理解したいとも思わない。


「まだです」


 声に苦渋を滲ませ、護衛騎士が応じる。

 その表情には、今まさに命の危機に晒されている護衛騎士への憂いが色濃く浮かんでいた。

 

 大広間には現在、アイザックと護衛騎士が一人、それから私とイルダーナフ、巡回していた警備兵が七人いる。

 研究者の二人とイルダーナフの仲間達は、すでに遺跡の外へと避難した。

 アイザックに応援を呼ぶよう命じられた護衛騎士は、まだ戻っていない。

 遺跡内の異変に気付いて駆け付けて来た警備兵の七人は、明らかに護衛騎士よりも装備が見劣りし、あまり強そうには見えなかった。

 応援の騎士団が到着しない限り、あのガーゴイル達を何とかする術はない。

 にわかに場を支配した沈黙を、アイザックの低い声が破った。


「ガーゴイルどもがこの広間に突入したら、即座に魔術を放て。そうだな……狙うのは――あの天井だ」


 指差した先に顔を巡らせ、護衛騎士が驚きに目を剥く。


「はっ!?……し、しかし、そんなことをすれば、天井が崩れてこの場所は瓦礫と土砂で埋まってしまいます」


 掠れた声で聞き返す護衛騎士に向かって、アイザックは事も無げに言い捨てた。


「それでいい」


 えっ? 待って。何を言っているのだ、この人は。まだ、オグマと護衛騎士は必至で逃げている途中なのだ。

 もし、天井が崩れ落ちたりしたら、二人は生き埋めになってしまうではないか。

 まさか、二人を見捨てるつもりなのか? 信じられない。

 これが貴族のやり方なのか?

 とにかく、このまま黙ってはいられない。


「タチアナ!」


 アイザックに詰め寄ろうとした私の肩をイルダーナフが強く掴んだ。


「いいから、黙っていろ。気持ちは分かるが、ここは俺達の出る幕じゃない!」

「でも! このままじゃあ、オグマが!」


 まさか、イルダーナフまでもオグマを見殺しにしろと言うのだろうか。

 怒りのあまり、目が眩みそうになる。けれど、今はイルダーナフにかかずらっている暇はない。


「ちょっと放してよ、イルダーナフ!」


 イルダーナフの腕から必死に逃れようと、私は遮二無二に身体を捻った。


「馬鹿っ! 暴れるんじゃない!」

「放してって!」


 私は思いっきり爪を立てて、イルダーナフの両腕を引っ掻く。


「痛っ!? お前は猫か!」

「じゃあ、放しなさいよ!」


 しかし、どれだけ私が暴れても、さすがに体格差があり過ぎて振り解くことは叶わない。


「本当によいのですか? シュルツを失うことになりますが?」


 眉間に皺を寄せて、護衛騎士がアイザックを窺い見る。

 騎士にとっては、主君の命令は絶対だ。しかし、だからと言って、同じ騎士の仲間をそう簡単に見限ることなどできないはず。


「構わん。奴のこれまでの働きには感謝するが、騎士たるものいつ何時も大儀のために命を捨てる覚悟は出来ているだろう」

「……分かりました」


 感情を押し殺すようにゆっくりと首を縦に振り、護衛騎士が一歩前に出た。

 ちょうど、時を同じくしてオグマと護衛騎士が転がり込むように大広間へ辿り着く。

 地面に両手をつき這って進む護衛騎士と、その後に続くオグマ。

 二人の背中を追いかけて、ガーゴイル達も大広間へと躍り込んで来た。


「お願い! 止めてっ!」


 私の絶叫は、高らかに響いた呪文の詠唱に搔き消された。


「英俊(えいしゅん)のナベリウスよ! 裁きが時、一条の光となれ〉〉〉【招雷魔閃(ライ・レイ)】!」


 ――序列第四位の雷撃魔術。


 カッ!!


 突き出された両腕を囲うように円環術式が展開され、次の瞬間、激しい紫電の奔流が迸った。

 空間をひと際眩く輝かせながら、雷竜の如き雷光の一撃が、オグマ達のいる真上辺りの天井を一直線に打ち抜く。


 ドドゴゴォォォッオオオオオオオオッッ!!!


 石壁が派手に砕け散る轟音が幾重にも反響し――無数の瓦礫と土砂がさながら驟雨のように降り注いだ。


「オグマ!」


 漸(ようよ)うイルダーナフの腕の中から抜け出した私は、一心に駆け出した。

 死なせない。絶対に、オグマを死なせない。

 彼をファルケンに誘ったのは、他ならぬ私なのだ。

 私が犠牲になるのならまだしも、オグマが死ぬなんて、そんなことがあっていいはずがない。

 ここでオグマを失うようなことがあれば、私はきっと立ち直れない。


「タチアナ!」


 イルダーナフの悲壮な声が耳の奥に突き刺さったが、それでも私の足は止まらなかった。

 護衛騎士が再び魔術を放ち、辺りが激しく明滅する。

 強烈な雷撃が牙を剝き、再び天井を直撃した。激しい振動が地面を揺らし、危うく転びそうになる。

 無残に破砕された天井の石壁には、縦横無尽に亀裂が走っていた。

 もはや、崩落は時間の問題だ。


「ギャアギャアっ!」


 突然の事態に恐慌をきたしたガーゴイル達が、甲高い声でがなり立てる。

 狂ったようにその場で右往左往する彼らの姿を、瓦礫の雨が瞬く間に飲み込んでいった。

 

 オグマと護衛騎士が、最後の気力を振り絞ってこちらに近付いてくる。

 もう少し。もう少しで手が届く。


「オグマ!」


 全身で飛び込むように右手を伸ばした次の瞬間――私の視界は黒く塗りつぶされ、それを追って意識がぷつりと暗転した。

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