第二十一話 VSガーゴイル
「きゃあっ!」
小さな悲鳴を上げてタチアナが腕にしがみ付いてきた。
空いている左腕を顔の前にかざし、俺は目をすがめてやり過ごす。
匂い。
黴のような匂いがする。
扉を開いたことで、長い間、淀んでいた空気が一気に流れ出したのだ。
激しい気流の渦が収まり――松明を手にした研究者の一人が奥を覗こうとした刹那、
「うわぁ!?」
驚嘆の声と共に、その場に昏倒した。
「何だ? どうした?」
アイザックが駆け寄ろうとするのを「アイザック様、無暗に近付いてはなりません!」護衛騎士が慌てて制す。
現場に緊張が走る。
倒れた研究者の胸元が――斜めにぱっくりと切り裂かれ、そこから夥しい血が噴水のように噴き出していた。
ピクピクと小刻みに痙攣した後、そのまま動かなくなる。
「何かがいるぞ!」
護衛騎士の三人が即座に腰から剣を抜き放つ。
鞘走りの音が、周囲の土壁に甲高く反響する。
扉の向こう側から、何者かが研究者の男を襲ったのだ。
しかも、たったの一撃で絶命させられている。
「キャシシャャアアアアッ!」
空気を引き裂くような奇声を上げ、それは闇の向こうから踊り出てきた。
体長は一メートルほど。
蝙蝠のような大きな翼が広がる。
極端な前傾姿勢で、口元には鋭い牙が覗いていた。
両手の指先には長く尖った爪。
おそらく研究者の男は、あの爪で切り裂かれたのだろう。
細い体躯は、ざらついた石のような風合いをしている。
ガーゴイル。
侵入者を撃退する番人だ。
「ぐっ!」
ガーゴイルの攻撃を護衛騎士が剣で受け止めた。
爪と刀身が激しくぶつかり合い、火花が散る。
「アイザック様! 早く逃げてください!」鍔迫り合いを演じながら、緊迫した声で護衛騎士が言い放つ。
「キャシャアアアッ!」
扉から、また別のガーゴイルが現れる。
しかも一体ではない。
三体同時だ。
「アイザック様、早く!」
二人の護衛騎士がアイザックを連れて入口のほうへ走り出す。
研究者の男もそれに続いた。
「俺達も逃げるぞ!」
イルダーナフが叫び、穴掘り仲間達も「冗談じゃねえぞ! こんなことろで死んでたまるか!」我先にと駆け出した。
「オグマ!」
タチアナが俺の腕を引っ張った。
「早く!」
「……」
一人残った護衛騎士に、ガーゴイルが四体殺到する。
あの騎士は強い。
白銀の鎧と剣が、淡い光を帯びている。
何かしらの魔術で、攻撃力と防御力をアップさせているのかもしれない。
ただ、この閉じた空間では、攻撃の魔術は使えないだろう。
下手をしたら土砂で生き埋めになってしまう。
「せやっ!」
ガーゴイル達に囲まれながらも、護衛騎士は奮戦している。
目にも止まらぬ速さで剣を振るい、幾筋もの太刀が空間を走った。
一方のガーゴイル達も、絶妙な連携で次から次に鉤爪を繰り出してくる。
いくら何でも多勢に無勢だ。
のまま見捨てるのか?
助けに入ったほうが。
だが、俺には戦うすべがない。
逃げるべきなのは百も承知なのだが――
「タチアナ。先に逃げろ。俺はあの騎士と一緒に戦う」
「ええっ! 駄目だよ。オグマは騎士じゃないでしょ。死んじゃうよ!」
「分かっている。せめて、一緒に逃げる。このまま捨て置けない」
俺はスコップを構え、走り出した。
体内の魔力を熾す。
それを操作して、身体とスコップに纏わした。
<強化> の技能で魔力と身体中の細胞を最適解で融合させる。
気休め。
そう、こんなことは気休めだ。
魔術の使えない落ちこぼれの俺が、ガーゴイルに立ち向かうのは無謀だ。
また、安いっぽい正義感に身を任せようとしている。
狂っているのだろうか、俺は。
それでもいい。
そもそも、大した命ではない。
俺は魔力で <強化> したスコップを手近にいたガーゴイルに向け力一杯振り抜いた。
ドゴゴオオォォォォッッ!
まるで巨大な岩石を強打したかのような音が響き、ガーゴイルの右腕が木っ端微塵に砕けた。
「キシャアアッ!?」
痛覚はあるのか、ガーゴイルが腕を庇うようにして後ろに飛び退く。
「なっ!?」
その光景を前に護衛騎士が驚愕に目を剥く。
いや、俺も驚いた。
<強化> したスコップに、これほどの威力があるとは思わなかった。
俺が護衛騎士の隣に並ぶと、ガーゴイル達が態勢を立て直すように後退る。
彼我の間に二メートルの間合いが生じた。
「はあっ……はぁっ……はぁ。貴様、穴掘り風情で何のつもりだ。なぜ逃げなかった?」
呼吸を整えながら護衛騎士が非難の眼差しを向けてくる。
誰かが戻ってくるとは、露ほども思わなかったのだろう。
この人は確かに強いが、ガーゴイル四体を一度に相手にするのさすがに難しい。
自分の身を犠牲にしてアイザックを助けるつもりなのだ。
「この先の広間まで、何とか奴らを迎撃しながら後退するんだ。そうすれば、きっと応援も来るはず」
俺は油断なく両手でスコップを構えた。
遺跡の外には警備兵達も大勢詰めている。
いくらかでも時間稼ぎができれば、きっと「砂の騎士団」も駆け付けるだろう。
「貴様、そのスコップはなんだ? 何か特別な加護を与えているのか?」
「いや、ただのスコップだ」
「嘘を言え。魔術で強化した俺の剣でも奴等の石の躰にダメージを与えるのは容易でない。ただのスコップで腕を木っ端微塵にする道理はない」
今はそんな話をしている場合ではないと思うのだが、護衛騎士はどうにも納得がいかないようだ。
俺は仕方なく種明かしをする気分で打ち明けた。
「魔力で <強化> した」
「<強化> だと? それこそ嘘だ。魔力の <強化> のみでそこまで物質が強くなるわけがない」
やけに確信の籠った声で護衛騎士は断言する。
いや、俺は嘘など言っていないのだが。
確かに、<強化> したスコップでガーゴイルの右腕を破壊したのには俺も驚いたが、今はどうでもいいことだ。
「来るぞ!」
こちらの様子を伺っていたガーゴイル達が一斉に動き出す。
半々に分かれて、護衛騎士と俺に向かってきた。
しなる腕が鞭のように伸びて眼前に迫る。
鋭く伸びた爪が凶悪な光を跳ねた。
俺は最小限の動きでスコップを繰り出す。
身体に染み込んだ剣技を応用して、スコップの先で弾く弾く弾く。
ガーゴイルの動きはかなり俊敏だ。
ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねるようにしながら、息つく暇もなく鉤爪を閃かす。
「クッ!?」
死角から腕が伸びてくる。
駄目だ。
スコップが間に合わない。
捨て鉢気味に左腕で身体を防御する。
剣呑な爪が、腕を切り裂き血飛沫が――上がらなかった。
ガーゴイルの鉤爪を、俺の左腕が完全にガードしていた。
「グギィギギギッ!」
がむしゃらに力を込めてガーゴイルが押し込んでくるが、鉤爪が左腕の肌と肉を切り裂くことはなかった。
そうか。
全身を魔力で <強化> しているから、上手く攻撃を弾いたのだ。
ということは理解できたのだが、まさか、魔力による <強化> で、ここまで身体が強靭になるとは思わなかった。
「はぁっ!」
裂帛の気合を上げ、俺はガーゴイルを力任せに弾き返した。
「グゲェッ!?」
為す術もなく吹き飛ばされたガーゴイルが、翼を大きく広げて逃げた。
間髪入れずに、残りの一体へ向けてスコップを横薙ぎに一閃する。
振り切る刹那に <操作> を駆使して魔力の塊を飛ばす。
「グギャ!?」
放たれた魔力の塊がガーゴイルの土手っ腹に命中し、その躰を後方へ押し流した。
手の空いた俺は、すかさず護衛騎士に襲い掛かっていたガーゴイルへ向け、スコップを突き出した。
ガーゴイルはその一撃を間一髪のところで避ける。
護衛騎士が剣戟を閃かせ、切り結んでいたガーゴイルを袈裟懸けに斬った。
鈍い音が響き、石の躰から砂塵が舞い上る。
退避するなら今しかない。
「逃げるぞ!」
「分かった!」
俺の呼びかけに、意外なほどあっさりと護衛騎士が応じる。
ガーゴイル達を牽制しながら、俺達は入口へと駆け出す。
ギャアギャア! と、騒ぎ立てながらガーゴイルが翼を広げて空中へ飛び上がる。
と、その後方の扉――今なお濃い闇がぽっかりと口を開く空間からさらにガーゴイルが三体現れた。
増援だ。
合計で七体に増えた。
これでは、もう足止めが出来ない。
逃げるしかない。
ほとんど全速力で、俺達は掘り抜いた遺跡の通路を駆け戻った。
ガーゴイル達が絡み合うようにしながら追いかけて来る。
単純な駆け足では、ガーゴイル達のほうが圧倒的に早い。
どこか負傷しているのか、護衛騎士が遅れ気味だ。
俺は彼の腕を強引に取ると、引き摺るようにして走った。
「もう少しだ!」
長い通路が終わりに近付き、行く手に明るい空間が見えてきた。
何とか大広間まで逃げ切れそうだ。
「オグマ!」
大広間の反対側の入り口に、タチアナ達の姿があった。




