第八十九話 箱の中身
黒い木箱の蓋が、ゆっくりと開いた。
中に入っていたのは、一枚の手紙と、小さな銀色のペンダントだった。
「……これだけ?」
リゼリアが呟く。
ノアが手紙を取り出す。
「名前が書いてある。」
封筒には、古い文字でこう記されていた。
『エヴァンローズ家の次代へ』
公爵が息を呑む。
「……エレノアが残したものか。」
ノアが封を開ける。
中には短い文章が書かれていた。
『この手紙を読む者へ。
この家に伝わる秘密を、決して権力のために使ってはならない。
そして、私の死後も守るべきものがある。
それは――』
そこで文章が途切れていた。
「……続きがない。」
レオンが眉を寄せる。
公爵も首を振った。
「破られたのか?」
ノアが手紙を裏返す。
「いや。」
「最初から、この部分だけ書かれていない。」
リゼリアはペンダントを手に取った。
銀色の小さなペンダント。
表には、エヴァンローズ家の紋章。
裏には、一文字だけ刻まれている。
「……『R』?」
ノアが覗き込む。
「エレノアの頭文字じゃない。」
「じゃあ、誰の?」
誰も答えられない。
すると。
「それを返せ!」
捕らえられていた男が叫んだ。
騎士が押さえる。
「騒ぐな!」
「それが誰のものか、お前たちは知らない!」
ノアが男を見る。
「なら、知っていることを全部話せ。」
男は黙り込んだ。
リゼリアが静かに尋ねる。
「このペンダントは、誰のものなの?」
男はしばらく迷った。
そして。
「……エレノアではない。」
「じゃあ誰?」
「エレノアが守っていた人間のものだ。」
リゼリアは息を呑む。
「守っていた……?」
「ああ。」
男は苦しそうに続けた。
「その人物が生きていることを知られれば、エレノアだけじゃない。」
「エヴァンローズ家そのものが危険になる。」
ノアが眉を寄せる。
「その人物は誰だ?」
「……知らない。」
「嘘だ。」
「本当に知らない!」
男は首を振った。
「俺の祖先も、名前までは知らされていなかった。」
ノアは黙って男を見つめる。
リゼリアはペンダントを握りしめた。
すると。
ペンダントの裏側が、かすかに動いた。
「……え?」
カチッ。
小さな音がした。
裏蓋が開く。
その中に、小さく折り畳まれた紙が入っていた。
リゼリアが取り出す。
紙を開く。
そこには、一つの名前だけが書かれていた。
「……『アレクシス』。」
公爵の顔が凍りついた。
「お父様?」
公爵は震える声で呟いた。
「その名前……。」
「知っているの?」
「ああ。」
公爵はゆっくり頷いた。
「エヴァンローズ家の古い記録から、唯一消されていた名前だ。」
ノアがリゼリアを見る。
「ようやく、手掛かりが出てきたな。」
リゼリアは小さく頷いた。
けれど。
まだ誰も知らなかった。
この名前が、エヴァンローズ家だけではなく――。
リゼリア自身の出生に関わる名前だということを。




