第五十七話 ただいま
夕暮れ。
馬車がゆっくりと公爵家の屋敷へ到着した。
見慣れた門をくぐると、玄関前には使用人たちが整列している。
「お帰りなさいませ」
一斉に頭が下がった。
「ただいま」
ノアが穏やかに答える。
リゼリアも微笑みながら一礼した。
「ただいま戻りました」
その瞬間。
「リゼちゃん!」
弾んだ声が響く。
公爵夫人が嬉しそうな笑顔で玄関から駆け寄ってきた。
「お義母様」
「お帰りなさい!」
公爵夫人はリゼリアの手をぎゅっと握る。
「新婚旅行はどうだった?」
「とても素敵なところでした。」
「湖も綺麗で、お料理も美味しくて……。」
話しているうちに、自然と笑みがこぼれる。
公爵夫人はそんなリゼリアを見て、嬉しそうに何度も頷いた。
「よかった。」
「出発する時より、ずっといい顔をしてるわ。」
リゼリアは少し照れながら笑う。
「そうでしょうか。」
「ええ。」
公爵夫人は隣のノアを見る。
「ノアくん。」
「はい。」
「リゼちゃんを泣かせなかったでしょうね?」
「母上。」
ノアは苦笑する。
「泣かせてません。」
「本当?」
「ええ。」
「笑顔なら、たくさん見られました。」
そう言ってリゼリアを見るノアに、公爵夫人は満足そうに微笑んだ。
「それなら安心ね。」
「さあ、長旅で疲れたでしょう。」
「今日はゆっくり休みなさい。」
◇ ◇ ◇
二人は部屋へ戻った。
窓からは夕焼けに染まる庭が見える。
「やっぱり自分の部屋は落ち着くわね。」
リゼリアが小さく呟く。
「そうだな。」
ノアは隣へ並んだ。
「でも。」
「別邸も嫌いじゃなかった。」
リゼリアは少し驚いてノアを見る。
「私も。」
言ったあとで少し恥ずかしくなる。
「楽しかった。」
ノアは優しく微笑んだ。
「また行こう。」
「今度は春がいい。」
「湖の周りに花が咲くんだ。」
「きっと君も気に入る。」
「ふふ。」
リゼリアは思わず笑う。
「まだ帰ってきたばかりなのに。」
「もう次の話?」
「気が早い?」
「少しだけ。」
二人は顔を見合わせて笑った。
その穏やかな空気に包まれながら、ノアがそっとリゼリアの左手を包む。
「リゼ。」
「なに?」
二人の薬指には、お揃いの結婚指輪が光っていた。
ノアはその指輪を見つめ、小さく笑う。
「今日。」
「君が母上の前で、すごく自然に笑っていた。」
「え?」
「屋敷へ来たばかりの頃は、無理をして笑っているのが分かった。」
「でも今は違う。」
「心から笑ってくれていた。」
リゼリアは少し考えてから、小さく息を吐く。
「……そうかもしれない。」
別邸で過ごした数日間。
前世のことを話し、笑い合い、同じ景色を見た。
少しずつ。
本当に少しずつだけれど、ノアを見る目が変わってきている。
「ありがとう。」
ノアが静かに言う。
「笑ってくれて。」
リゼリアは照れくさそうに笑った。
「そんなことで、お礼を言うの?」
「ああ。」
「俺にとっては、一番嬉しいことだから。」
その言葉に、リゼリアは思わず吹き出す。
「変な人。」
「よく言われる。」
二人はまた笑い合う。
夕日が差し込む部屋で、その笑い声は穏やかに響いていた。
リゼリアはふと思う。
(前世では。)
(こんな時間、一度もなかった。)
だからこそ。
この幸せが、少しだけ怖かった。




