第五十三話 眠るまで
その日の夜。
夕食を終えたリゼリアは、一人でテラスへ出ていた。
夜風が心地よく頬を撫でる。
湖には満月が映り、静かな波が揺れていた。
「ここにいたのか」
振り返ると、ノアが立っていた。
「隣、いいか?」
「……うん」
ノアはリゼリアの隣へ腰を下ろす。
しばらく二人は何も話さなかった。
静かな時間。
気まずさは不思議となかった。
「リゼ」
「なに?」
「今日は笑顔をたくさん見られた」
ノアは嬉しそうに笑う。
「それだけで、この別邸へ来た意味があった」
「大げさね」
「大げさじゃない」
その返事があまりにも真剣で、リゼリアは思わず笑ってしまう。
「また笑った」
「もう!」
軽く肩を叩くと、ノアは楽しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、自然と自分まで笑ってしまう。
(……こんな時間が続けばいいのに。)
そう思ってしまった自分に、リゼリアははっとする。
違う。
私はこの人から逃げようとしていたはず。
前世では何度も閉じ込められた。
怖かった。
苦しかった。
忘れちゃいけない。
「リゼ?」
急に黙り込んだリゼリアを、ノアが心配そうに覗き込む。
「……何でもない」
笑ってごまかそうとした、その時。
ノアがそっと前髪を払った。
「顔に髪がかかっていた」
「ありがとう」
ノアの指先が離れる。
ほんの少しだけ、名残惜しそうに。
「ノア」
「ん?」
「聞いてもいい?」
「ああ」
「どうして、そんなに我慢できるの?」
リゼリアは真っ直ぐノアを見る。
「前世のあなたは……もっと強引だった。」
「なのに今は、いつも私の気持ちを聞いてくれる。」
「どうして?」
ノアは少しだけ空を見上げた。
「失敗したからだ。」
「え……?」
「前の俺は、自分の気持ちばかりだった。」
「君が何を望んでいるか、ちゃんと見ようとしなかった。」
リゼリアは静かに耳を傾ける。
「だから同じことは繰り返したくない。」
ノアは苦笑した。
「君が笑ってくれるなら、少しくらい我慢する。」
「少しくらい?」
リゼリアが聞き返すと、ノアは肩をすくめる。
「本当は毎日抱き締めたい。」
「毎日キスしたい。」
「ずっと隣にいたい。」
「……っ!」
あまりにも真っ直ぐ言われて、リゼリアは真っ赤になる。
「で、でも。」
「君が嫌ならしない。」
ノアは穏やかに笑った。
「それが今の俺の約束だ。」
リゼリアは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「ありがとう。」
その言葉に、ノアは少し驚いたように目を瞬かせる。
「お礼を言われることじゃない。」
「ううん。」
リゼリアは小さく首を振る。
「ちゃんと変わろうとしてるんだって……分かったから。」
その一言に、ノアは何も言えなくなった。
やがて、小さく笑う。
「その言葉だけで十分だ。」
立ち上がったノアは、リゼリアへ手を差し出す。
「そろそろ休もう。」
リゼリアはその手を見つめる。
少しだけ迷って。
そっと手を重ねた。
ノアは優しく握り返す。
二人は並んで屋敷へ戻る。
繋いだ手は、どちらからともなく最後まで離れることはなかった。




