第五十二話 本当の願い
湖から戻る途中。
二人はゆっくりと遊歩道を歩いていた。
木漏れ日が二人の足元へ落ちる。
風は穏やかで、どこか眠くなるような午後だった。
「リゼ」
ノアが静かに口を開く。
「さっきはありがとう」
「え?」
「前世の話をしてくれて」
リゼリアは少し俯く。
「……怖かったの」
「思い出すのも」
ノアは黙って耳を傾ける。
「でも」
リゼリアは小さく笑った。
「逃げてばかりじゃ駄目だと思った」
その言葉に、ノアの足が止まる。
「リゼ……」
「勘違いしないで」
リゼリアは慌てて言い添えた。
「全部許したわけじゃないから」
「ああ」
ノアは優しく頷く。
「それでいい」
「許してほしいとは思っていない」
リゼリアは驚いて顔を上げた。
「え?」
「俺が望んでいるのは」
ノアは穏やかに微笑む。
「君に無理をさせることじゃない」
「ただ」
一歩近付く。
「また笑ってくれることだ」
リゼリアは胸が熱くなる。
「……それだけ?」
「それだけだ」
迷いのない返事だった。
しばらく沈黙が流れる。
鳥のさえずりだけが響いている。
「ノア」
「なんだ?」
「もし」
リゼリアは勇気を振り絞る。
「もし私が……」
言葉が詰まる。
「前世のあなたを、いつか許せなかったら?」
その問いに。
ノアは少しも迷わなかった。
「それでもいい」
「え……?」
「許されなくても」
ノアは苦く笑う。
「君が幸せなら、それでいい」
リゼリアは目を見開く。
予想していた答えとは、まるで違った。
「ただ」
ノアは照れたように笑う。
「できれば」
リゼリアの手をそっと包む。
「今の俺を見てほしい」
「前世の俺じゃなくて」
「今、君の隣にいる俺を」
その言葉は、真っ直ぐ胸に届いた。
リゼリアは何も答えられない。
代わりに。
繋がれた手を振りほどくことだけは、できなかった。
その様子を見たノアは、安心したように微笑む。
「焦らない」
「君の答えは、何年先でも待つ」
その一言に、リゼリアは思わず苦笑した。
「そんなに待てるの?」
「ああ」
ノアは即答する。
「君のことなら」
あまりにも真面目に言うものだから。
リゼリアは小さく吹き出した。
「変な人」
「よく言われる」
二人は顔を見合わせて笑う。
その笑い声は、湖畔に優しく溶けていった。
けれどリゼリアは気付いていなかった。
いつの間にか。
ノアと手を繋ぐことが、当たり前になり始めていることに。




