第四十九話 理性
別邸へ戻るまでの道。
二人は手を繋いだまま歩いていた。
さっきの口づけ以来。
どちらもほとんど喋っていない。
リゼリアは恥ずかしさのあまり、ノアの顔を見ることができなかった。
(なんで私から……)
勢いだった。
あんなことをするつもりなんてなかったのに。
「リゼ」
「……な、なに?」
「今日はやけに可愛いな」
「もうっ!」
リゼリアは顔を真っ赤にして睨む。
「からかわないで!」
「からかってない」
ノアは苦笑する。
「本当にそう思っただけだ」
その真剣な表情に、リゼリアはまた視線を逸らした。
◇ ◇ ◇
別邸へ戻ると、使用人たちが出迎えた。
「お帰りなさいませ」
「夕食まで少し時間があります」
執事がそう告げると、ノアは頷く。
「分かった」
そしてリゼリアへ向き直る。
「少し休むか?」
「うん」
部屋へ向かおうとした、その時だった。
「リゼ」
「え?」
手首を優しく掴まれる。
「少しだけ」
ノアは静かに微笑んだ。
「二人きりで話さないか」
連れて行かれたのは、誰もいない小さな応接室だった。
扉が閉まる。
静かな空間。
リゼリアは少しだけ緊張した。
「座って」
向かい合ってソファへ腰を下ろす。
しばらく沈黙が流れた。
「……さっきは驚いた」
先に口を開いたのはノアだった。
「その……」
リゼリアは恥ずかしそうに俯く。
「お礼のつもりだったの」
「お礼?」
「逃げたのに、怒らなかったから」
ノアは少し目を細めた。
「怒れなかった」
「え?」
「君を見つけた時」
ノアは苦く笑う。
「怒るより先に、安心した」
その言葉は真っ直ぐだった。
「また失うかと思った」
リゼリアは息を呑む。
ノアは立ち上がると、ゆっくりとリゼリアの前まで歩いてくる。
「リゼ」
そっと頬へ触れる。
優しく。
慈しむように。
「……逃げないでくれ」
その声は弱々しかった。
命令ではない。
願いだった。
リゼリアの胸が締めつけられる。
「私は……」
答えられない。
逃げると決めている。
でも。
こんな顔をされると、決意が揺らいでしまう。
「返事はいらない」
ノアは小さく笑った。
「困らせたいわけじゃない」
そのまま額を寄せる。
二人の鼻先が触れそうな距離。
吐息が重なる。
「……キスしてもいいか?」
突然の問いに、リゼリアは目を見開いた。
今までのノアなら、優しく触れてきた。
でも今回は違う。
ちゃんと許可を求めている。
「…………」
心臓がうるさい。
嫌なら断れる。
そう分かっているのに。
唇は自然と小さく動いた。
「……うん」
その返事を聞いたノアは、一瞬だけ目を閉じた。
まるで、ほっとしたように。
そして。
そっと唇を重ねる。
触れるだけの、優しい口づけ。
それだけで終わる。
離れたノアは苦笑した。
「危なかった」
「え……?」
「もう少しで約束を破るところだった」
リゼリアは首を傾げる。
ノアは照れ隠しのように視線を逸らした。
「君が可愛すぎる」
「今日は、このくらいで我慢する」
その一言に、リゼリアの顔は耳まで真っ赤になった。
ノアはそんな彼女を見て、小さく笑う。
「続きは」
リゼリアの髪をひと撫でする。
「君が、心から俺を受け入れてくれた日にする」
その言葉には、焦りも強引さもなかった。
だからこそ。
リゼリアの胸は、今までで一番大きく高鳴っていた。




