第四十六話 朝の散歩
朝日が湖を優しく照らしていた。
窓を開けると、澄んだ風が部屋へ流れ込む。
「……気持ちいい」
昨日まで張り詰めていた心が、少しだけ軽くなる。
コンコン。
「リゼ、起きてるか?」
ノアの声だった。
「起きてる」
「朝食の前に散歩でもどうだ?」
「散歩?」
「ああ。この時間の湖は一番綺麗なんだ」
◇ ◇ ◇
二人は並んで湖畔を歩いていた。
朝露をまとった花々が風に揺れ、小鳥のさえずりが静かな森へ響く。
「綺麗……」
リゼリアは思わず足を止めた。
湖面は鏡のように空を映している。
「気に入ったか?」
「うん」
その返事に、ノアは満足そうに笑った。
「連れて来てよかった」
その一言だけで、胸が少し温かくなる。
(……だめ)
こんなことで喜んじゃ。
相手はノアなのに。
そう自分へ言い聞かせる。
その時だった。
「リゼ」
「え?」
ノアがふっと手を伸ばくる。
反射的に肩を震わせた。
「じっとして」
低く優しい声。
逃げることもできず立ち尽くいていると、ノアの指先が頬をかすめた。
さらり。
耳の横を撫でる。
「……取れた」
ノアの指先には、小さな白い花びらが乗っていた。
「あ……」
風で髪に付いていたらしい。
リゼリアは恥ずかしくなって目を逸らす。
「ご、ごめん」
「謝ることじゃない」
ノアはくすりと笑う。
「花まで君に会いに来たんだな」
「そんなことあるわけないでしょ」
思わず笑ってしまう。
ノアはその笑顔を見て、少し目を見開いた。
「……やっと笑った」
「え?」
「昨日からずっと無理に笑っていた」
リゼリアの笑顔が止まる。
見抜かれていた。
「今の笑顔の方が好きだ」
真っ直ぐ言われ、心臓が跳ねる。
「そ、そんなこと急に言わないで」
「本当のことだ」
ノアは照れもせず答えた。
「君は笑っている時が一番綺麗だ」
顔が熱い。
どう返せばいいのか分からない。
ノアはそんなリゼリアを見て、小さく笑った。
「歩こう」
そう言って自然に手を差し出す。
リゼリアはその手を見つめた。
昨日までなら、きっと断っていた。
でも。
今朝のノアは、何も求めてこない。
ただ、一緒に歩きたいだけなのだと伝わってくる。
恐る恐る手を重ねると、ノアは優しく指を絡めた。
「……っ」
「冷たいな」
ノアは両手でリゼリアの手を包み込む。
「少し温めよう」
大きな手が、自分の手を包む。
その温もりに、リゼリアの頬がほんのり赤く染まった。
「これじゃ歩けないわ」
「そうだな」
名残惜しそうに笑いながら手を離すと、今度は恋人繋ぎではなく、軽く指先だけを繋いだ。
「これなら大丈夫だろう?」
「……うん」
湖畔を歩く二人の姿は、誰が見ても幸せな新婚夫婦だった。
リゼリアは繋がれた手を見つめる。
(どうして……)
逃げたいと思っている相手なのに。
その温もりを振りほどけない自分がいた。




