第四十話 新婚旅行
屋敷へ戻る馬車の中。
向かいに座るノアは、窓の外を眺めていた。
沈黙が続く。
以前なら心地よかった時間。
今は息苦しいだけだった。
「疲れましたか?」
不意にノアが口を開く。
「少しだけ」
「そうですか」
それ以上は何も聞かない。
その気遣いさえ、今のリゼリアには怖かった。
しばらくして、馬車が屋敷へ到着する。
玄関へ降り立つと、執事が恭しく頭を下げた。
「ノア様、お帰りなさいませ」
「ああ」
「準備は整っております」
その言葉に、リゼリアは首を傾げた。
「準備?」
ノアはリゼリアへ向き直る。
「話していませんでしたね」
「明日から新婚旅行へ行きます」
「……え?」
思わず聞き返す。
「一週間ほど領地の別邸へ」
リゼリアの鼓動が速くなる。
(別邸……)
屋敷を離れられる。
一瞬そう思った。
だが、すぐにその考えを打ち消す。
ノアと二人きりの別邸。
使用人も最低限。
逃げるなら屋敷より難しいかもしれない。
「嫌でしたか?」
ノアが穏やかに尋ねる。
「い、いえ……」
嫌と言えるはずがない。
「君が落ち着いたら行こうと思っていたんですが」
少し困ったように笑う。
「結婚式の準備で忙しかったでしょう」
「ゆっくり休める場所へ連れて行きたかった」
その理由も、優しい。
どこまでも優しい。
「景色も綺麗ですよ」
「湖があって」
「花畑もある」
「君が好きそうな場所です」
まただ。
また、好みに合わせてくる。
リゼリアは小さく頷いた。
「楽しみ……です」
口から出た言葉に、自分でも嫌気が差す。
演技ばかり。
本当は違うのに。
ノアは安心したように微笑んだ。
「よかった」
その笑顔を見た瞬間。
リゼリアの中で、一つの考えが浮かぶ。
(別邸なら……)
警備の配置は、この屋敷とは違うはず。
知らない土地だからこそ、隙があるかもしれない。
もし逃げるなら。
その一週間が、最初で最後の機会になる。
リゼリアは悟られないように静かに息を吸った。
――今度こそ。
絶対に逃げ切ってみせる。




