第四話 初めまして、婚約者候補様
「本当に、今日なのね……」
リゼリアは馬車の窓から外を眺め、小さく呟いた。
今日は、レイヴェルト公爵家への訪問日だった。
隣には母が座っている。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、リゼリア」
「……はい」
返事をしながら、リゼリアは膝の上で手を握りしめた。
緊張しないわけがない。
だって。
もし。
もしも。
このノア・レイヴェルトが、あの人だったら。
いや。
それはない。
絶対にない。
だって彼は、今までの男たちとは何もかもが違うのだから。
権力者ではない。
跡継ぎでもない。
社交が苦手。
人見知り。
そして。
肖像画を見る限り、とても気弱そうだった。
「……大丈夫」
リゼリアは自分に言い聞かせた。
「今度こそ、普通の恋をするんだから」
◇ ◇ ◇
レイヴェルト公爵家は、エヴァンローズ家と同格の名門だった。
豪奢な屋敷。
美しい庭園。
完璧に整えられた使用人たち。
その全てが、一流の公爵家であることを示している。
応接室で待つこと数分。
扉が開いた。
「エヴァンローズ公爵閣下、公爵夫人、リゼリア嬢。ようこそお越しくださいました」
レイヴェルト公爵夫妻が現れた。
そして。
「ノア。ご挨拶なさい」
その声と共に、一人の少年が姿を見せた。
リゼリアは、息を呑んだ。
黒髪。
銀縁の眼鏡。
少し長めの前髪。
整った顔立ち。
だけど。
その美しさより先に目に入ったのは、どこかおどおどとした雰囲気だった。
「あ……」
少年は、リゼリアと目が合うと、慌てて視線を逸らした。
「は、初めまして……。ノ、ノア・レイヴェルトです……」
声も小さい。
手も少し震えている。
リゼリアは、ぽかんとした。
……本当に?
本当に、この人が?
いや。
違う。
絶対に違う。
だって。
今までの彼は。
もっと。
もっと恐ろしかった。
優しく笑っていても。
目の奥には、何かがあった。
だけど、この少年からは何も感じない。
ただ。
緊張しているだけだ。
「あ、あの……?」
ノアが不安そうに首を傾げた。
しまった。
見つめすぎた。
「ご、ごめんなさい! 私、リゼリア・エヴァンローズです!」
慌てて頭を下げる。
「あ……は、はい……。し、知っています……」
ノアも慌てて頭を下げた。
二人の頭が同時に下がり。
同時に上がる。
そして。
沈黙。
気まずい。
とても気まずい。
両家の親たちが、温かい目で見守っているのが分かる。
「……えっと」
リゼリアは必死に話題を探した。
「ご趣味は、読書だそうですね」
「あっ……は、はい……」
ノアの顔が少し明るくなった。
「本が、好きで……」
「どんな本を?」
「れ、歴史書とか……」
「歴史書?」
五歳で?
思わず聞き返してしまった。
ノアは、しまったという顔をした。
「あ……す、すみません……。へ、変ですよね……」
「いえ!」
リゼリアは慌てて首を振った。
「変じゃありません!」
「……本当ですか?」
「はい!」
ノアは、ほっとしたように微笑んだ。
その笑顔を見て。
リゼリアの肩から、力が抜けた。
大丈夫。
本当に。
本当に大丈夫だ。
この人は違う。
この人は。
私を閉じ込めたりしない。
私を追いかけたりしない。
私を。
愛しすぎたりしない。
その日。
リゼリアは、生まれて初めて。
心から安心したのだった。




