第三十三話 今度こそ逃げる
「……嫌」
リゼリアは小さく呟いた。
ノアは黙って見つめている。
「私は」
震える足に力を入れる。
「そんな人生、もう嫌なの」
何度も繰り返した。
閉じ込められて。
愛されて。
逃げて。
捕まって。
最後は死ぬ。
そんな人生は、もうたくさんだった。
「私は普通に生きたい」
涙を拭う。
「朝起きて」
「好きな場所へ行って」
「友達と笑って」
「好きな人と喧嘩して」
「仲直りして」
「子どもが生まれて」
「家族で歳を取って」
リゼリアはノアを見た。
「そういう幸せが欲しかっただけなの」
ノアは静かに聞いていた。
遮ることもなく。
否定することもなく。
「なのに」
リゼリアは唇を噛む。
「あなたは全部奪った」
「……ああ」
ノアは否定しない。
「奪った」
「自由も」
「未来も」
「全部」
認めた。
そのことが、かえって胸を締めつける。
「それでも」
ノアはゆっくりと口を開く。
「俺は君を手放せない」
「だったら!」
リゼリアは叫んだ。
「私はあなたから逃げる!」
部屋に沈黙が落ちる。
ノアは驚きもせず、小さく微笑んだ。
「その言葉も」
懐かしそうに目を細める。
「五回目だ」
リゼリアの身体が強張る。
「一度目は言わなかった」
静かな声。
「二度目から毎回、君はそう言う」
――逃げる。
「私は、本気よ」
「ああ」
ノアは頷く。
「知っている」
「今回こそ」
リゼリアは涙を拭った。
「絶対に逃げ切る」
その瞳には、今までにない強い意志が宿っていた。
ノアはその瞳を見て、ふっと笑う。
「そういう君だから」
一歩、近づく。
「何度でも好きになる」
「……っ」
「逃げればいい」
穏やかに告げる。
「君が望むなら、逃げろ」
予想外の言葉だった。
リゼリアは目を見開く。
「え……?」
「逃げたいなら逃げればいい」
ノアは優しく微笑む。
「ただし」
その笑みが、ゆっくりと深くなる。
「俺も迎えに行く」
背筋が凍った。
「世界のどこへ逃げても」
「君は必ず見つける」
優しい声のまま。
愛を囁くように。
「だから安心して逃げるといい」
リゼリアは理解した。
この男は、自信があるのだ。
どれだけ逃げても。
どれだけ隠れても。
最後には必ず、自分を見つけ出せるという絶対の自信が。
その笑顔が。
何よりも恐ろしかった。




