第十四話 はじめての喧嘩
婚約して一年。
リゼリアは九歳。
ノアは十一歳になっていた。
二人は以前より自然に話せるようになり、一緒に過ごす時間も増えていた。
だからこそ。
その日は、初めて意見が食い違った。
◇ ◇ ◇
「リゼリア様、今日は街へ行きませんか?」
ノアが少し照れくさそうに誘う。
公爵家の子息令嬢が視察を兼ねて街を歩くことは珍しくない。
「行きたいです!」
リゼリアは嬉しそうに頷いた。
久しぶりの街だった。
焼きたてのパンの香り。
花屋の店先。
子どもたちの笑い声。
「平和ですね」
「はい」
ノアも穏やかに笑う。
その時だった。
「お母さん、お腹空いた……」
路地裏から、小さな声が聞こえた。
振り向くと、幼い兄妹が座り込んでいた。
服はところどころ擦り切れ、痩せている。
リゼリアは足を止めた。
「ノア様」
「……はい」
「少し待っていてください」
近くのパン屋へ向かおうとすると。
ノアがそっと袖を掴んだ。
「あの……」
「どうしました?」
「僕たちが渡すより……教会へ知らせた方が……」
「でも、お腹を空かせています」
「それは……」
ノアは言葉に詰まる。
「今日だけ助けても、根本的な解決には……」
「それでも!」
リゼリアは思わず声を上げた。
「今日、お腹が空いているんです!」
はっとする。
ノアも驚いた顔をしていた。
「……ごめんなさい」
リゼリアは俯いた。
言い過ぎた。
ノアは悪くない。
現実的なことを言っただけだ。
なのに。
前世で飢えを経験したことはない。
それでも。
平民だった四度目の人生。
食べ物がなくて困った日々を思い出してしまった。
「リゼリア様」
ノアは静かに口を開いた。
「僕も、助けたくないわけじゃないんです」
「……」
「だから」
そう言うと、ノアは近くの護衛を呼んだ。
「教会へ連絡してください。それと、この子たちが落ち着くまで食事を用意してあげてください」
「かしこまりました」
護衛はすぐに動き出した。
リゼリアは目を瞬かせる。
「パンだけ渡して終わりでは、また明日困ってしまいます」
ノアは優しく微笑んだ。
「でも、今日お腹が空いているのも事実です」
そう言って兄妹に歩み寄る。
「一緒にご飯を食べましょう」
兄妹は戸惑いながらも、小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車の中。
「今日は、ごめんなさい」
リゼリアが頭を下げる。
「私、感情的になってしまって」
「僕こそ、ごめんなさい」
ノアも頭を下げた。
「リゼリア様は優しいから、放っておけなかったんですよね」
「……はい」
「その優しさ、僕は好きです」
さらりと言われて。
リゼリアは顔を赤くした。
「た、たまにそういうことを言いますよね」
「え?」
「恥ずかしいです」
ノアはきょとんとしたあと。
「……あ」
ようやく気づいたらしい。
「ち、違うんです!」
「人として好きという意味で!」
「もちろん婚約者としても、その……!」
慌てすぎて何を言っているのか分からなくなっている。
リゼリアは思わず吹き出した。
「あははっ」
「リゼリア様……」
「もう、ノア様ったら」
二人は顔を見合わせて笑う。
初めての喧嘩は。
初めて、お互いをもっと知る日になった。




