第十話 婚約者として
婚約してからも、二人の日常は大きく変わらなかった。
月に一度会っていたのが、月に二度になったくらい。
相変わらず庭園を歩き、本を読み、お茶を飲む。
派手な出来事なんて何もない。
でも。
リゼリアは、そんな毎日が好きだった。
◇ ◇ ◇
「リゼリア様」
「はい?」
「これ……」
ノアがおずおずと差し出したのは、小さな栞だった。
押し花が丁寧に挟まれた、手作りの栞。
「わあ……!」
「し、使用人に教えてもらって作りました」
どこか恥ずかしそうに笑う。
「本を読む時に、使っていただけたら……」
リゼリアは、栞を大切そうに受け取った。
「ありがとうございます」
嬉しい。
本当に嬉しい。
こんな小さな贈り物なのに。
胸が温かくなる。
「大切にしますね」
「……はい」
ノアは安心したように微笑んだ。
◇ ◇ ◇
その日の帰り道。
馬車の中で、母がくすりと笑った。
「ノア様、本当にリゼリアのことがお好きなのね」
「えっ?」
「見ていれば分かるわ」
「そ、そんなこと……」
「あなたしか見ていなかったもの」
リゼリアは思い返す。
確かに。
話す時も。
本を読む時も。
ノアはいつも自分を見ていた気がする。
でも。
それくらいなら婚約者なのだから普通だろう。
「気のせいですよ」
「そうかしら?」
母は微笑むだけだった。
◇ ◇ ◇
その夜。
リゼリアは机の引き出しを開けた。
植物図鑑。
押し花の栞。
小さな花飾り。
ノアからもらったものが、少しずつ増えている。
「ふふ……」
自然と笑みがこぼれた。
気づけば。
ノアの贈り物を並べるのが楽しみになっていた。
その時。
コンコン、と窓を叩く音がした。
「……え?」
リゼリアは顔を上げる。
二階の部屋だ。
誰かが来るはずはない。
恐る恐るカーテンを開ける。
窓の向こうには――
「木の枝……?」
風で枝が窓に当たっただけだった。
「びっくりした……」
胸を撫で下ろし、カーテンを閉める。
知らず知らずのうちに。
リゼリアは「あの人かもしれない」と思ってしまったのだ。
「もう、大丈夫なのに」
そう呟いて苦笑する。
今は違う。
婚約者はノアだ。
優しくて。
少し気弱で。
眼鏡の似合う、あの人。
だから、もう怖がらなくていい。
そう思いながら、リゼリアは灯りを消した。
窓の外では、夜風に揺れた木の葉が静かに音を立てていた。




