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ホワイトデーのジンクス②

 会計を済ませると、店員が手際よくパステルカラーのリボンをかけてくれた。 俺の手元には、佐伯が「これが正解」と太鼓判を押した、綺麗にラッピングされたギフトバッグがある。ずっしりとしたその重みは、三橋への謝罪と、明日への希望そのもののように感じられた。


「よし、これで任務完了。浅間、明日ちゃんと渡しなよ?」


「ああ。……恩に着る」


「いいって。じゃ、アタシはこっち側の出口だから。じゃあね」


佐伯はひらひらと手を振ると、店内の反対側にある出口へと向かっていった。俺も逆側の出口から、混雑する通路へと一歩踏み出した。


まさに、その瞬間だった。


「…………えっ?」


通路の真ん中、人混みの中で立ち止まった誰かの、短い悲鳴のような声がした。


心臓が跳ねた。聞き間違えるはずのない声だ。 俺が弾かれたように顔を上げると、そこには、柱の横で立ち尽くす三橋がいた。


彼女は俺を見ているのではなかった。 俺が今出てきたばかりのギフトショップ――その反対側の出口から、雑踏に消えていく佐伯の後ろ姿を、魂が抜けたような顔でただじっと凝視していた。


「み、三橋……!? なんで、ここに……」


「…………」


声をかけても、彼女の視線は佐伯が消えた方向から微動だにしない。 大きく見開かれた瞳が小刻みに震え、みるみるうちに涙で潤んでいく。


(……違う、誤解だ。これはお前の……!)


俺が何かを言おうとするよりも早く、三橋の視線がゆっくりと、機械的な動きで俺の手元へと落ちた。 そこには、さっき自分には「コンビニでいい」と言ったはずの言葉とは正反対の、あまりにも綺麗にラッピングされたギフトバッグが握られている。


三橋は俺の顔を見ようとしなかった。 ただ、俺と佐伯が別々の出口から出てきたという事実と、俺が手にしている「特別な贈り物」が、彼女の中で最悪の答えを導き出したのが分かった。


『明日は勉強があるから会えない』 あの言葉が、彼女にとっては、他の女と隠れて会う時間を確保するための最低な嘘に変換されてしまったのだ。


「……そういう、ことだったんだ……。私、先輩のこと信じて、明日も自分から誘おうかなって……バカみたい……」


「違う、三橋、これは……」


言い訳をしようと口を開きかけたが、言葉が喉に詰まった。 今、何を言っても「嘘の上塗り」にしか聞こえない。彼女は今、俺と目を合わせることすら拒絶している。


「嘘つき……! 先輩なんて、大っ嫌いです!!」


三橋は叫ぶと、手に持っていたショップ袋を強く握りしめ、顔を伏せたまま弾かれたように雑踏の中へ走り出した。


「三橋!」


名前を呼ぶのが精一杯だった。 彼女の背中が、ルミネの波打つ人混みの中に飲み込まれていく。 俺は追いかけることもできず、ただ右手に残る、場違いに華やかなギフトバッグの重みを感じながら、その場に立ち尽くすことしかできなかった。


「……ちょっと、浅間? 今の声……」


人混みの向こうから、不審に思った佐伯が駆け戻ってきた。 彼女は、俺が立ち尽くしている姿と、遠ざかっていく三橋の背中を交互に見て、状況を把握しようと目をしばたたく。


「……もしかして三橋さん、いたの? なんで……え、もしかしてアタシのこと見られた?」


佐伯は俺の手にあるギフトバッグを見て、ハッとしたように顔を強張らせた。


「……嘘、最悪のタイミングじゃん。待って、浅間、追いかけなくていいの!?」


佐伯の焦った声が耳に届くが、足が動かない。大宮駅の冷たいタイルが、視界の中で歪んで見える。 あんなに悲しそうな、あんなに絶望した三橋の顔は、記憶にない。


(……何やってるんだ、俺は……)


三橋を喜ばせたくて手に入れた「正解」のはずの贈り物が、今はひどく重く、取り返しのつかない過ちの証のように感じられた。


人混みの向こうに三橋の背中が消えても、俺の足は一歩も動かなかった。


「……浅間。本気? 今行かないと、マジで終わるよ」


背後から駆け戻ってきた佐伯が、信じられないものを見るような目で俺を覗き込んできた。だが、俺は右手に残るギフトバッグを一度強く握りしめ、短く息を吐いた。


「……今追っても、何も変わらない」


「はぁ? 追いかけて謝るのが先でしょ」


「今のあいつに何を言っても無駄だ。明日、これを渡す。それしかない」


佐伯はあきれたように大きな溜息をついた。


「……マジで理屈っぽい。可愛くないなぁ。でも、まぁ、アンタがそう決めたなら勝手にしなよ。せいぜい明日、死ぬ気で頑張りな」


佐伯はそれだけ残して、今度こそ駅のホームのへ方と去っていった。俺は一人、駅の喧騒の中で、手元にある「正解」をただじっと見つめていた。


――そして、翌日。


学校の空気は、ひどく静かだった。 廊下の向こうに彼女の姿を見つけても、俺が気づくより早く、彼女は音もなく角を曲がって消えてしまう。目が合いそうになれば、弾かれたようにうつむいて、存在を消すように歩き去る。 昨日まで隣にいたはずの距離が、今は何キロも離れているように感じられ、胸が締め付けられた。


放課後。俺は校門の少し脇に立ち、彼女が出てくるのを待った。 やがて、一人で歩いてきた三橋が、俺の姿を認めた瞬間に足を止めた。彼女は一瞬、怯えたように視線を彷徨わせたが、意を決したようにうつむいたまま俺の横を通り抜けようとした。


「三橋、待て」


俺は咄嗟に手を伸ばし、彼女の細い腕を掴んだ。三橋の身体が、ビクッと大きく跳ねる。


「……っ、離してください! 帰らなきゃいけないので」


彼女は掴まれた腕を振り払おうともがいたが、俺は力を緩めなかった。顔を伏せたまま叫ぶ彼女の声は細く、昨日からどれだけ泣いたのかを物語っていた。


「昨日のことは、誤解なんだ。聞いてくれ」


「……誤解なんて、もういいです。昨日、一緒に勉強してた時……先輩、いつも通り真面目に教えてくれたのに。全部、私を騙すための嘘だったんですか? あの人と会うために、私との勉強を早く終わらせたかったんですか……っ」


三橋がようやく顔を上げると、その大きな瞳にはまた涙が溜まっていた。


「私には『コンビニでいい』って言ったのに……あんなに一生懸命プレゼントを選んで……。先輩のあんな楽しそうな顔、私、一度も見たことない……っ!」


「それは違う. あれは、お前のための――」


「もういいです! 私だけが楽しみにしてたんだってわかったから……もう、十分です……っ!」


三橋が溢れ出した涙を乱暴に拭い、俺の腕から逃れようと必死に身を捩らせた、その時だった。


「――はいはい、そこまで。誰が『あんな楽しそうな顔させた』って? 」


校門の外から、聞き慣れたサバサバとした声が響いた。 短いスカートをなびかせ、登校中かのような軽い足取りで現れたのは、佐伯凛だった。


「……あ」


三橋は目を見開き、凍りついたように動きを止めた。だが、佐伯はそんな彼女の動揺なんてお構いなしに、ズカズカと三橋の目の前まで歩み寄った。


「三橋さん直撃しちゃってゴメンね。先に言っとくけど、アタシとコイツがどうにかなるとか、天地がひっくり返ってもありえないから。マジで勉強のことしか頭にないんだよ、これ。男としての魅力、マイナスだから」


佐伯は俺の腕をバンバンと叩きながら、呆れたように笑った。


「昨日、このバカが店先で死にそうな顔して突っ立ってたの。女の子へのプレゼントなんて一ミリも分かんない、三橋さんをガッカリさせたくないって必死に相談されたから、アタシが付き合ってあげただけ」


「……え? でも、あんなに親しそうに……」


「親しそうに見えた? そりゃアンタ、やっと買い物が終わってアタシが『これで三橋さんも喜ぶでしょ』って言ったから、こいつがホッとして抜けた顔してただけでしょ。買い物中なんて、棚の前で一歩も動かなくて、付き添いのアタシのことなんて完全に視界に入ってなかったわよ」


佐伯は俺をジロリと睨むと、「ほら、浅間。出しなよ」と顎で促した。


「昨日、アタシと別れた後もこいつ、また店に戻ったんだよ。アタシが選んだやつじゃ納得いかなかったみたいでさ。結局閉店間際まで粘って、最後は自分の意志でこれだってものを選び直してたの、アタシ全部見てたんだから」


「……っ、見てたのかよ」


俺は掴んでいた三橋の腕をゆっくりと離し、顔が熱くなるのを抑和えながら、背後に隠していたバッグを取り出した。


「三橋。昨日、その……お前と勉強している時、本当に今日が何の日か抜けていた。リマインダーが鳴るまで、気づかなかったんだ。……がっかりさせて、一番ひどい思いをさせた。……悪かった」


三橋は、俺が差し出したバッグと、佐伯の顔を交互に見た。佐伯は「ほら、受け取ってあげなよ。こいつの不器用さはアタシが一生分保証してあげるから」と、茶目っ気たっぷりに笑う。


「……これ、私が、いいなって思ってたお店の……」


「佐伯が勧めてくれたものも入っているが、……もう一つは、俺が選んだ。……喜んでくれるなら、それでいい」


三橋はバッグを胸に抱きしめ、堰を切ったようにポロポロと涙をこぼした。


「……せんぱ、い……バカ。……本当、大バカです……っ!」


「ああ。その通りだ。すまなかった」


俺が彼女の頭に手を置くと、三橋は声を殺して俺のシャツの袖を掴んだ。 佐伯はそれを見て、「あーあ、一件落着。アタシ、邪魔者は退散するわ」と、ひらひら手を振って駅の方へ歩き出した。


「浅間、次は自力でやりなよ。貸し、特大だからね!」


夕暮れの校門前。 三橋はまだ泣きじゃくったままで、とても笑顔とは言えない。だが、バッグを抱きしめるその指先には、確かな体温が戻っていた。 不器用すぎるホワイトデーは短く、しかし長く苦しい時間を経て、ようやく彼女の心に届き始めていた。


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