第18話 令嬢の作法なら10周分あります
帝国生活4週間目。
穏やかな日々が続いていた。
……と思っていたのは、私だけだったらしい。
「アリス様。本日、宮廷から正式な招待状が届いております」
ヘルガが封書を差し出した。
金箔の押された豪華な封筒だ。
「……また宮廷? この前行ったばかりじゃない」
「今回は、帝国貴族院が主催する『文化交流の会』です。形式上は社交行事ですが……」
ヘルガの声が僅かに低くなった。
「実態は、エリーゼ嬢による『皇妃候補の資質試験』のようです」
「資質試験?」
「帝国の礼法、食事作法、社交ダンス、教養問答。……エリーゼ嬢が、あなたに恥をかかせるために仕組んだ席だと思われます」
なるほど。罠ね。分かりやすい。
「面倒くさい……断れない?」
「貴族院からの正式招待ですので、断れば『帝国の文化を軽んじている』と批判の口実を与えてしまいます」
「はあ……」
私は渋々ながら、招待を受けることにした。
◇
会場は宮殿の大宴会場。
帝国の名だたる貴族たちが揃い踏みだ。
その中心に、赤い髪のエリーゼが優雅な笑みを浮かべて立っていた。
「ようこそ、アリス様。本日は帝国の文化をお楽しみいただけるかと」
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
嘘だ。全く楽しみじゃない。
早く帰ってこたつに入りたい。
「では、まずは食事作法から参りましょうか」
テーブルには、帝国式のフルコースがずらりと並んでいた。
ナイフとフォークの数が尋常ではない。左右合わせて12本はある。
帝国の食事作法は、王国よりも遥かに複雑だ。
料理ごとに使う器具が異なり、持ち方や角度にも細かいルールがある。
エリーゼが意地悪な笑みを浮かべた。
「できるものならやってみなさい」と言わんばかりだ。
私はスッと椅子に座り、ナプキンを膝に置いた。
そして、一番外側のフォークを手に取り、前菜を口に運んだ。
フォークの角度45度。背面を上に。
一口の大きさは親指の第一関節程度。
咀嚼は口を閉じ、音を立てない。
完璧だ。
なぜなら、これは3周目の人生で帝国に嫁いだ際に叩き込まれた作法だからだ。
あの時は皇妃候補として厳しくしつけられた。おかげで、今でも体が覚えている。
「……あら」
エリーゼの笑みが、わずかに引きつった。
メインコースに進む。
帝国式の肉の切り方は独特で、ナイフを押すのではなく引いて切る。
さらに、骨付き肉は右手で骨を持ち、左手のフォークで身を外すという、両手連携の技術が要る。
王国にはない作法だ。
私は流れるような手つきで肉を捌き、一口サイズに切り分けた。
会場がしんと静まった。
「お嬢様、それは……帝国古典式の切り分け方ですわね」
一人の年配貴族が、驚愕の声を上げた。
「あ、うん。こうだったよね?」
帝国古典式。
200年前に廃れた、旧宮廷の食事作法だ。
現代の帝国人でも知る者は少ない。
しかし、私は知っている。6周目の人生で古文書を読み漁った際に、面白半分で覚えたのだ。
「失われた古典作法を完璧にこなすとは……一体どこで……」
貴族たちがざわめく。
エリーゼの表情が、さらに険しくなった。
「では、次は社交ダンスを」
オーケストラが演奏を始めた。
帝国式のワルツは、王国のそれとはステップが異なる。
テンポが速く、回転が多い。
さらに、リフトの要素が含まれるため、相応の体力も必要だ。
……が。
ダンスなら、7周目で社交界の女王を目指した時に極めた。
あの時は「愛される令嬢」路線を試していたのだ。
結果は処刑されたが、ダンスの腕だけは一流になった。
私はジークハルト不在のため――元帥府の緊急会議に出席中らしい――適当な騎士を相手に踊った。
帝国式のステップを、一つのミスもなく踏みこなす。
さらに、途中で即興のアレンジを加え、古典様式のターンを織り交ぜた。
「な……あれは、旧宮廷ダンスの『星空のカドリーユ』……!? 今では楽譜すら残っていない幻の踊りですぞ!」
年配の貴族が立ち上がって叫んだ。
会場に動揺が走る。
「最後に、教養問答を」
エリーゼが食い下がる。
彼女の目には、もはや余裕はなかった。
「帝国の建国年号と、その経緯を述べてください」
「帝国暦元年。初代皇帝ヴォルフ一世が北方の5部族を統一し、ガルディアの地に帝都を築いた。建国の理念は『力こそ正義、正義こそ力』。……ちなみに、その際に使われた統一の剣『ゲオルグスレイヤー』は、現在宝物庫の第3区画に保管されているわ。昨日見た」
沈黙。
「……で、では、帝国で最も重要な家訓は?」
「ヴァルトシュタイン家の家訓のことかしら? 『鉄の意志、金の忠誠、血の結束』。たしか、あなたの家の家訓よね、エリーゼ」
「なっ……!?」
エリーゼの顔が蒼白になった。
自分の家の家訓を、外国人に言い当てられたのだ。
「な、なぜ王国の令嬢がそんなことを……!」
「いろいろあったので」
10回の人生で。
4周目では帝国の歴史を研究し、6周目では各国の貴族名鑑を暗記し、8周目では国際法の専門家を目指したこともあった。
結局、どれも処刑されたが、知識だけは残っている。
会場の空気が、完全に変わっていた。
「やはり……ただ者ではない」
「王国から来た田舎娘だと思っていたが……とんでもない教養だ」
「陛下が惚れ込むのも無理はない……」
エリーゼは唇を噛み締め、扇子で顔を隠した。
「……今日のところは、お見事でしたわ。ですが、これで終わりではありませんわよ」
エリーゼは去り際、振り返った。
その瞳には、屈辱ではなく、冷たい決意が宿っていた。
「力でも教養でも勝てないのなら……別の方法を使うまでですもの」
その呟きは、誰の耳にも届かなかった。
◇
宮廷から戻った私を、こたつの中でスープをすすりながらヘルガが出迎えた。
……侍従長時代より、だいぶくつろいでいる。
「お帰りなさいませ。いかがでしたか」
「疲れた。帰ったらもう二度と行きたくない」
「残念ながら、今回の件でアリス様の評価は急上昇しております。次回以降、招待は増えるかと」
「最悪だわ……」
私はこたつに突っ伏した。
目立ちたくないのに、目立つことしかしていない。
「ヘルガ。エリーゼの裏に、誰かいるの?」
「……鋭いですね。ヴァルトシュタイン家は単独ではなく、複数の名門貴族による『旧勢力派』の中核です。彼らは、陛下が外国から皇妃を迎えることに強く反対しています」
「だから皇妃にはならないって言ってるのに……」
こたつの中で、ミカンを剥きながら、私は湯気のようなため息をついた。




