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第17話 鬼教官ヘルガの忠誠

 帝国生活3週間目。

 離宮が快適になりすぎて、ある問題が発生していた。


「……なんで騎士団がここにいるの」


 リビングに出ると、近衛騎士たちが我が物顔でくつろいでいた。

 こたつの一角を占領し、ミカンを剥いている者。

 キッチンから漂うカップ麺の匂いに鼻をヒクヒクさせている者。

 浴室の順番待ちをしている者まで。


「……ここ、私の家なんだけど」

「皇妃様! 本日もお風呂をお借りしてよろしいでしょうか!」

「帰って」


 追い出しても追い出しても湧いてくる。

 お風呂の評判、カップ麺の評判、こたつの評判。

 三つ揃って「離宮は天国」という噂が帝国軍内で広まり、非番の騎士たちが巡礼のように訪れるのだ。


「私の静かな引きこもりライフが……」


 頭を抱えていると、ジークハルトが来た。

 彼は騎士たちの姿を見るなり、氷のような視線を放った。


「……貴様ら。私のアリスの城に、何の用だ」

「へ、陛下! いえ、その、お風呂を……」

「帰れ」

「はっ! 失礼いたしました!!」


 蜘蛛の子を散らすように騎士たちが撤退した。

 さすが皇帝の一声だ。効果は絶大だが――


「……なぜ他の男どもが、アリスの風呂に入っているのだ」


 ジークハルトの声が低い。不機嫌の極みだ。

 嫉妬だ。

 国家元首が、兵士のお風呂事情に嫉妬している。


「あんたが嫉妬するところじゃないでしょ。彼らは別の浴室を使ってるわよ」

「それでも気に入らん。以後、離宮への出入りは許可制にする」

「……好きにして」


 まあ、これで静かになるなら結構だ。


 ◇


 そんな日の午後。

 ヘルガが書類の束を抱えて離宮を訪れた。


「アリス様。お時間をいただけますか」

「なに?」

「お願いがございます。……私を、アリス様付きの筆頭侍女にしていただけないでしょうか」


 ヘルガは直立不動で、真剣な顔をしていた。

 侍従長がわざわざ降格を志願するなんて、尋常ではない。


「え? あんた、侍従長でしょ? 筆頭侍女の方が格下じゃない」

「はい。ですが、陛下のお世話は副侍従長に任せられます。私が今、最も必要とされる場所は、ここだと判断いたしました」

「……なんで?」


 ヘルガは眼鏡の位置を直し、静かに語り始めた。


「私は、帝国初の女性侍従長です。実力で勝ち取った地位ですが、周囲の男性貴族からは『女に務まるのか』と常に疑われてきました」


 彼女の声に、微かな苦みが混じった。


「しかし、アリス様を拝見して……変わりました。あなたは性別も身分も関係なく、ただ自分の能力で道を切り拓いている。お風呂を作り、食事を変え、光を生み出した。そのすべてが、誰かに認められるためではなく、自分のためだった」

「うん。自分のためだけど」

「それが、素晴らしいのです」


 ヘルガの瞳が熱を帯びた。


「私は今まで、『認められるため』に働いてきました。でもアリス様は違う。自分のために生き、その結果が自然と周囲を変えていく。……それは、私が目指すべき姿です」


 ……なんか、すごく買いかぶられている気がする。

 私はただ面倒くさがりなだけなのだが。


「ヘルガ。私、大した人間じゃないわよ? ただの引きこもりよ?」

「はい。ですが、その引きこもりが、帝国を変え始めています。そのような方のお側でお仕えすることは、私にとって最高の栄誉です」


 真っ直ぐな目で見つめられると、断る言葉が出てこない。

 それに、正直なところ、ヘルガがいてくれると助かる。

 身の回りの雑事をこなしてくれる人がいれば、私は研究に集中できるのだ。


「……分かったわ。よろしくね、ヘルガ」

「はい! 全身全霊でお仕えいたします!」


 彼女は深々と頭を下げた。

 こうして、私は帝国で最強の味方を手に入れた。

 有能で、真面目で、融通が利いて、しかも料理の腕もそこそこ。

 マリーの上位互換どころか、完全な別次元だ。


 ……マリー、ごめん。


 ◇


 その日の夕方、ヘルガが一通の手紙を持ってきた。


「アリス様。王国から、お手紙が届いております」

「王国から?」


 封を開けると、見覚えのある丸い文字。

 マリーだ。


『お嬢様


 お元気でいらっしゃいますか。

 こちらは大変なことになっています。


 お嬢様がいなくなった後、離れの魔道具が次々と動かなくなりました。

 空調も給湯も停止し、イチゴ1号も省電力モードで動きません。

 ローゼンバーグ家は今になって、離れの技術がどれほど大事だったか気づいたようです。


 私はお嬢様のおそばに参りたいのですが、出国許可が下りません。

 どうかお体にお気をつけて。


 忠実なる侍女、マリーより』


 私は手紙を読み終え、そっと畳んだ。


「……マリー」


 胸の奥がチクリと痛んだ。

 あの子を置いてきてしまった。

 仕方なかったとはいえ、もう少しちゃんと挨拶をすべきだった。


「王国の状況が不穏ですね」


 ヘルガが冷静に分析した。


「魔道具の恩恵が消え、アリス様の価値を今さら認識した。そして、帝国への抗議……つまり、あなたを取り戻そうとしている」

「取り戻すって……私を? 婚約破棄した張本人が?」

「政治とは、そういうものです。失って初めてその価値に気づく。……陛下にもお伝えしておきます」


 ヘルガは書類をまとめて去っていった。


 私は窓から外を眺めた。

 帝都の夜空には、私の作った光魔石ランプの光が、遠くまで伸びている。

 ここは王国ではない。

 マリーもいない。


 でも、ここには――


「アリス。入るぞ」


 ノックもなしにジークハルトが入ってきた。

 手には温かいスープが二杯。


「ヘルガから聞いた。王国の手紙のことだ」

「……うん」

「心配するな。貴様の侍女は、必ずこちらに呼び寄せてやる。外交ルートは私に任せろ」


 彼はスープの一杯を私に差し出した。

 手作り、ではなく厨房に作らせたものだが、気遣いだけはちゃんと伝わる。


「……ありがと」

「当然のことだ」


 二人で、離宮の窓際に並んで座り、スープを飲んだ。

 帝都の夜景が光に照らされ、静かに輝いている。


 ……悪くない、か。

 少しだけ、少しだけそう思った。


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