第15話 帝国貴族は難物揃い
帝国生活10日目。
離宮の改造はほぼ完了し、私の引きこもり環境は順調に整いつつあった。
お風呂、こたつ、キッチン、そしてイチゴ2号によるセキュリティ。
あとは外界との接触を断てば、完璧なスローライフの完成だ。
……のはずだったのだが。
「アリス。今日は宮廷に顔を出せ」
朝っぱらから離宮にやってきたジークハルトが、有無を言わさぬ口調で宣言した。
「嫌」
「駄目だ。帝国の貴族たちが、そろそろ貴様の顔を見たいと騒いでいる」
「見せたくない」
「顔見世を済ませなければ、貴様の立場が不安定なままだ。……保護したい」
一瞬、彼の瞳に真剣な光が宿った。
あの「溺愛モード」ではない、為政者としての顔だ。
「帝国では、皇帝の配偶者に対して、貴族院の承認が必要となる。それを得るためには、まず彼らに顔を見せなければならん」
「……面倒くさい」
「分かっている。だから、今日一日だけでいい」
私は10秒ほど天井を見つめた後、「はあ」と深く溜め息をついて立ち上がった。
まあ、一日だけなら。
パッと行って、パッと挨拶して、パッと帰ってこよう。
◇
宮廷の大広間は、帝国の貴族でごった返していた。
ジークハルトの隣に立つ私に、数十対の視線が突き刺さる。
視線の種類は大きく三つに分けられた。
好奇――「これが噂の女か」。
侮蔑――「王国の令嬢風情が」。
そして警戒――「皇帝を惑わした女狐め」。
どれも、過去のループで見飽きた表情だ。
(はいはい、いつものやつね)
私は涼しい顔で、アリスの完璧な「お辞儀」を披露した。
10回の人生で培った、寸分の隙もない礼法だ。
「アリス・フォン・ローゼンバーグでございます。本日はお招きいただき光栄に存じます」
完璧な挨拶に、一瞬だけ大広間が静まった。
しかしすぐに、ヒソヒソとした囁きが広がる。
「ふん。礼法だけは及第点か」
「だが所詮は王国の出身。帝国の流儀など知るまい」
「それに、婚約破棄された身だろう? 傷物じゃないか」
聞こえる聞こえる。
全部聞こえてるからね。
でも、どうでもいい。
挨拶回りが始まった。
貴族たちが順番に私に声をかけてくる。
「ローゼンバーグ公爵令嬢……いえ、元、でしたかしら? ご苦労なさいましたわね」
「はい、おかげさまで気楽になりまして」
「……?」
嫌味を嫌味と受け取らない返答に、相手が困惑している。
次。
「帝国は寒い国ですよ。王国育ちの方にはお辛いのではありませんか?」
「大丈夫です。こたつがありますので」
「こたつ? 何ですの、それは」
「人類を堕落させる究極の暖房器具です」
「……」
次。
「皇帝陛下のお気に召されたとのことですが、どのような手練手管を?」
「お風呂に入りたかっただけです」
「は?」
会場の空気が、じわじわと混乱に包まれていく。
私の返答が、彼らの「シナリオ」をことごとく外しているらしい。
その中で、一人だけ違う反応をした老貴族がいた。
「……引きこもりの公爵令嬢が、皇帝を落としたか。面白い。帝国も変わるかもしれんな」
嫌味ではなく、純粋な好奇心を含んだ声だった。
誰だろう、あの人。
まあ、どうでもいいけど。
そんな中、一人の女性が私の前に立ちはだかった。
赤みがかった金髪を巻き髪にし、深紅のドレスを纏った長身の女性。
切れ長の目に、整った美貌。
だが、その美しさには針のような棘がある。
「初めまして。エリーゼ・フォン・ヴァルトシュタイン。ヴァルトシュタイン公爵家の長女ですわ」
ヴァルトシュタイン公爵家。
帝国の名門中の名門だ。
確か、ジークハルトの皇妃候補の筆頭だった家――。
「お噂はかねがね。皇帝陛下が、わざわざ他国からお連れになった方ですものね」
エリーゼの声は柔らかいが、目は笑っていない。
「帝国にはこのような格言がございますの。『剣なき者、城に入るべからず』。つまり、この国で生きるには、それなりの実力が必要ということですわ」
「なるほど」
「あなたには、何があるのかしら?」
挑発だ。
分かりやすい。
過去のループでも、こういう手合いは腐るほどいた。
(どうぞ? 私はなりたくないので)
「特にないですね」
「……は?」
「強いて言えば、お風呂を作れます。あと、カップ麺」
「お風呂……? カップ……?」
エリーゼの表情が凍りついた。
馬鹿にされたと思ったのだろう。
「皇帝陛下にふさわしいのは、帝国の名門の血を引く者です。あなたのような……部外者には、務まりませんわ」
「あ、大丈夫です。皇妃になる気ないんで。ご自由にどうぞ」
本心だ。
嘘は一つも言っていない。
私は皇妃になりたくない。
引きこもりたいだけだ。
エリーゼが皇妃になってくれるなら、それは大歓迎だ。
「……なっ」
エリーゼは絶句した。
予想外の反応だったらしい。
普通、皇妃候補が「どうぞ横取りしてください」とは言わない。
周囲の貴族たちがザワザワと囁き合う。
「……あの態度、本気か?」
「皇妃の座に興味がないだと? ありえん」
「いや、あれはブラフだろう。油断させる作戦に違いない」
「いや、あの目は……本気だ。打算の色が一切ない」
またこのパターンだ。
王妃様の時と全く同じだ。
私のやる気のなさが、「器の大きさ」と解釈されている。
エリーゼは唇を噛み締め、くるりと背を向けた。
「……覚えておきなさい。帝国を甘く見ると、痛い目に遭いますわよ」
去っていく背中を見送りながら、私は心の中で呟いた。
(早く帰ってこたつに入りたい……)
◇
宮廷から戻った私を、ジークハルトが出迎えた。
「ご苦労だった、アリス。貴族どもが何か無礼を働いたか?」
「別に。普通だったわよ」
「そうか。……もし貴様を侮辱した者がいたら、即座に処刑の手配を――」
「しないで」
処刑のバーゲンセールかよ。
「でも一つ、報告しておくわ。エリーゼって人。あの人、あんたの皇妃になりたいみたい」
「知っている。だが、私にはもう決めた相手がいる」
「いや、だから、その席を彼女に譲ればいいじゃない」
「断る。永遠に断る」
取り付く島もない。
私は諦めてこたつに潜り込んだ。
「……明日はもう宮廷には行かないからね」
「ああ。しばらくは休んでいい。……ただ」
「ただ?」
「エリーゼには気をつけろ。あの女は、見た目より遥かに厄介だ」
ジークハルトの声に、珍しく警戒の色が混じっていた。
私は布団の中で、「面倒だなあ」と思いながら目を閉じた。




