第14話 帝国の台所事情(壊滅的)
帝国生活5日目。
私は限界を迎えた。
食事だ。
食事がまずい。
いや、「まずい」という表現は不正確だ。
正しくは「味がしない」。
黒パン、塩漬け肉、干し魚、チーズ、そして水みたいなスープ。
来る日も来る日もこのローテーション。
塩以外の調味料を知らないのか、この国は。
「もう無理」
5日目の朝食を前に、私は静かに宣言した。
ヘルガとイチゴ2号だけが聞いている。
「……何がでしょうか」
「食事。このまずい食事。もう耐えられない」
「帝国の食文化には長い歴史が――」
「長くても短くても、まずいものはまずいの」
私は立ち上がった。
向かう先は、離宮のキッチン……になる予定の、使われていない倉庫部屋だ。
◇
まず、調理環境を整える。
帝国のキッチンには「かまど」しかない。
火加減の調整は、薪の量を増やすか減らすかの二択だ。
弱火と強火の中間なんて概念はない。
「話にならない」
私は太陽魔石の小片を数十個用意し、鉄板の裏面に規則的に配置した。
各魔石に温度制御の術式を刻む。
指先で触れるだけで、火力を10段階に調節できるインターフェースだ。
名付けて、「魔導コンロ」。
弱火でじっくり煮込むことも、強火で一気に炒めることも、思いのまま。
さらに、均一な温度分布を実現するため、鉄板全体に熱伝導の術式を網目状に刻み込んだ。
次に、食材だ。
帝国は寒冷地のため、野菜の種類が極端に少ない。
根菜とキャベツくらいしか栽培されていない。
だが、私には秘密兵器がある。
王国を出る際、「非常食」と称して持ち出した種の数々だ。
トマト、ネギ、唐辛子、大豆、小麦粉、そしてミカンの種。
もちろん、10回の人生で品種改良を重ねた、この世界には存在しない品種ばかりだ。
離宮の南側の空き部屋に、「室内温室」を作った。
太陽魔石で日光を再現し、温度と湿度を制御する小さな農園だ。
種を植え、成長促進の術式をかける。
1週間もすれば、最初の収穫ができるだろう。
そして、最後に。
私の原点にして頂点――「カップ麺」の帝国版を開発する。
帝国の干し肉をスライスし、脂身を煮出してスープのベースにする。
そこに塩と、温室で最初に育った微量の唐辛子を加える。
麺は小麦粉を魔力でこね、イチゴ2号の製麺モードで均一な太さに成形。
乾燥させて保存食にする。
「完成」
お湯を注ぎ、3分待つ。
立ち昇る湯気とスパイスの香り。
帝国の素材で作る初の「カップ麺・帝国エディション」だ。
一口啜る。
「……うん。悪くない」
王国版には及ばないが、帝国の素材ならではの野性的な旨味がある。
干し肉の出汁が効いていて、武骨だが力強い味だ。
これなら、軍人好みかもしれない。
◇
その日の昼、離宮の前に人だかりができた。
原因は、匂いだ。
私がキッチンで調理をしていると、スパイスの香りが離宮の窓から外に漏れ出したらしい。
帝国人は嗅いだことのない匂いに引き寄せられ、まるでネコが魚屋に群がるように集まってきたのだ。
「な、なんだこの匂いは……!」
「離宮から漂ってくるぞ……甘いような、辛いような……」
「こんな香り、帝国では嗅いだことがない……!」
警備中の近衛騎士たちが、任務を忘れて鼻をヒクヒクさせている。
私は窓から顔を出した。
「……あんたたち、何やってんの」
「こ、皇妃様! この匂いは一体……!」
「カップ麺作ってただけだけど」
「か、カップ……メン?」
「試食する? 多めに作っちゃったから」
騎士たちの目が輝いた。
本来なら「皇妃の手料理」などという恐れ多い申し出は断るべきなのだろうが、食欲という本能の前に、礼節は無力だった。
「い、いただきます……!」
屈強な騎士が、おそるおそるスープを啜った。
そして。
「…………ッ!!」
時が止まった。
いや、止まったのは騎士の表情だ。
数秒後、彼の目から涙がこぼれた。
「な、なんだこの味は……! 生まれて初めて、食事で感動しています……!!」
「え、大げさじゃない? ただのインスタント麺なんだけど」
「もっと! もっとください皇妃様!!」
一人が食べると、連鎖反応が起きた。
次々と騎士たちがカップ麺を受け取り、すすり、涙を流す。
帝国最強の近衛騎士団が、カップ麺の前に膝を屈した瞬間だった。
「お、おかわりは……!」
「あ、もうないわ。ごめんね」
「……!」
騎士たちの顔が、戦場で敗北した時よりも絶望的な表情になった。
怖い。
◇
夕方、事態を聞きつけたヘルガがやってきた。
「アリス様。近衛騎士たちが口々に『皇妃様の料理が食べたい』と嘆願書を出しております」
「嘆願書って……料理のために?」
「はい。彼らは『あの味を知る前の自分に戻れない』と申しておりますが」
「……重い」
ヘルガはいつもの鉄壁の表情を保っていたが、視線がちらりとキッチンに向いた。
「……ヘルガも食べたい?」
「いえ、私は業務中ですので」
「遠慮しなくていいわよ。はい」
私はスープの入った椀を差し出した。
ヘルガは5秒ほど逡巡した後、椀を受け取り、一口啜った。
「…………」
無言。
眼鏡の奥の目が、微かに潤んでいた。
「ヘルガ?」
「……失礼いたしました。少々、目にスパイスが」
「涙拭いてから言ってね」
◇
翌日には、宮殿中に噂が広まっていた。
「皇妃様が自ら厨房に立ち、兵士たちに手料理を振る舞われた」
「帝国の足腰を支える兵士の士気を、わずか一杯のスープで変えてしまった」
「なんと慈悲深い……まさに聖女だ」
違う。
自分がまずい飯を食いたくなかっただけだ。
余ったから配っただけだ。
……まあでも、まずい飯が改善されるなら、悪くはないか。
全部自分のためだ。
断じて、他人のためではない。




