第13話 最優先事項、風呂を作る
帝国生活3日目。
私は離宮の改造に取りかかっていた。
最優先事項はもちろん、お風呂だ。
帝国式の「沐浴」は、木桶にお湯を張って体を洗うだけの代物だった。
湯船に浸かる文化がそもそも存在しない。
湯温の調整? 何それ美味しいの? というレベルだ。
「イチゴ、状況報告」
「マスター。地下水脈の探知が完了しました。深度12メートル、水量は十分です」
王国から連れてきた自律型ゴーレム「イチゴ」が、淡々と報告する。
王国の離れに置いてきた初号機は「イチゴ1号」、こちらは帝国到着後に急造した「イチゴ2号」だ。
見た目は相変わらず丸い掃除機のような形状だが、帝国の高純度魔石を搭載したおかげで、処理能力は格段に上がっている。
「よし。じゃあ、パイプラインの構築に入るわ」
私は袖をまくり上げ、離宮の浴室となる部屋に陣取った。
ここから先は、私の腕の見せ所だ。
まず、地下水脈から離宮まで水を引くための「魔導パイプライン」を構築する。
王国では、この工程だけで1ヶ月かかった。
素材の純度が低くて、何度も術式が崩壊したからだ。
だが、帝国の魔石は違う。
純度98.7%の天然魔石に、術式を刻む。
水脈探知。自動汲み上げ。流量制御。
王国では3つの魔石に分散させていた機能を、一つの石に統合できた。
「……すごい。描いた術式が、一発で定着する」
雑味のない、純粋な魔力の流れ。
まるで高級な画用紙に絵を描くように、思い通りの線が引ける。
素材の質が違うとこうも変わるのか。
次に、加熱システム。
湯温を常時42度にキープする恒温魔術を組み込む。
これには小型の太陽魔石を使用した。
熱出力を微調整し、入浴者の体温を感知して自動で温度を最適化する機能も追加する。
……こたつで培った技術が、ここでも活きた。
そして排水。
使用済みの湯を浄化し、再び加熱して循環させる「追い炊きシステム」。
これこそが、私が前世の記憶から復元した究極の技術だ。
帝国の魔石なら、半永久的に稼働できるだけの魔力が確保できる。
「完成」
私は額の汗を拭い、目の前の成果物を見つめた。
石造りの浴室に、艶やかな湯が満ちている。
湯面からは、じんわりとした湯気が立ち上り、浴室全体がほのかに温かい。
足元には腰掛け用の段差を設け、肩まで浸かれる深さを確保した。
「イチゴ、湯温は?」
「42.0度。安定稼働中です」
「排水浄化は?」
「正常。不純物除去率99.8%」
「追い炊き機能は?」
「テスト完了。問題ありません」
完璧だ。
私は服を脱ぎ捨て、湯船にゆっくりと身を沈めた。
「…………ぁぁぁぁぁ」
声にならない声が漏れた。
42度のお湯が、旅の疲れと帝国の乾いた空気に晒された体を、じんわりと包み込んでくれる。
極楽だ。
天国だ。
こたつに匹敵する幸福が、ここにある。
「……帝国に来てよかった」
生まれて初めて、心からそう思った。
理由はもちろん、魔石の純度が高いからだ。
それ以外の理由はない。断じてない。
◇
その日の夕方。
離宮から湯気が立ち上るのを見た侍従たちが、異変を察知した。
「ヘルガ様! 離宮から白い煙が! 火事でしょうか!?」
「煙……?」
ヘルガが離宮に駆けつけると、そこには湯気に包まれた浴室と、極楽顔で湯船に浸かるアリスの姿があった。
「あら、ヘルガ。お疲れ様。入る?」
「……は?」
「お風呂よ。作ったの。湯温42度、追い炊き付き。快適よ」
ヘルガは無言で浴室を見回した。
石壁に埋め込まれた魔石の術式。天井の換気システム。床に刻まれた排水浄化の魔法陣。
3日で、これを一人で?
「……失礼します」
ヘルガは数秒の逡巡の後、服を脱ぎ始めた。
仕事人としての好奇心が、礼儀を上回ったらしい。
そして、湯船に足を入れた瞬間――
「っ……!」
彼女の目が見開かれた。
いつも冷静沈着な侍従長の表情が、一瞬で蕩けた。
「な、なんですか、これは……! 身体の芯から……温まる……!」
「でしょう? 温度感知型のシステムだから、入る人に合わせて最適温度に調整されるのよ」
「こ、この疲労回復効果……! まるで高位の回復魔法を受けたかのような……!」
ヘルガは肩まで湯に浸かり、溜め息をついた。
鉄壁の侍従長が、完全に力を抜いている。
やはり、お風呂の前に人は無力だ。
「ヘルガ、気持ちいい?」
「……はい。……言葉になりません」
しばらく二人で無言のまま、湯に浸かった。
帝国の冬は厳しい。
外は氷点下に近い気温だろう。
だが、この浴室だけは別世界だった。
やがて、ヘルガが真顔に戻った。
「アリス様。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なに?」
「この……入浴設備。量産は可能ですか?」
「え? まあ、魔石と術式のパターンさえあれば、できなくはないけど……」
ヘルガの目が光った。
侍従長の目ではない。軍略家の目だ。
「帝国は寒冷地です。冬季の凍傷や低体温症による兵士の損耗は、毎年深刻な問題となっております。もし、この入浴設備を前線の兵站拠点に配備できれば……」
……え?
風呂を、軍事利用?
「あ、いや、これはただの風呂よ? お風呂。バスタブ。入浴するためのもの」
「はい。ですが、その『ただの風呂』が、帝国軍が30年間解決できなかった冬季戦力低下問題を、根本から解決する可能性があります」
ヘルガは湯船から立ち上がり、びしょ濡れのまま、正座した。
「陛下にすぐご報告申し上げなくては!」
「いや待って、服着て。風邪引く」
◇
その夜。
ジークハルトが離宮を訪れた。
「ヘルガから報告を受けた。……アリス、貴様はまた、とんでもないものを作ったそうだな」
「お風呂作っただけなんだけど」
「たかが風呂と言うが、帝国軍の冬季損耗率を半減させうる技術だぞ」
「……風呂だよ?」
ジークハルトは浴室を視察し、術式解析を行った。
以前、こたつの術式を見抜いた時のように、真剣な眼差しで魔石を調べている。
「……やはり、天才だな。この排水浄化の術式は、古代文明の水利技術に匹敵する。3日でこれを一人で構築するとは」
「褒めてくれなくていいから、出てって。お風呂入りたい」
「……入るぞ」
「は?」
「共に入ろう」
「出てけぇぇぇ!!」
バシャーン、という水音と共に、皇帝が浴室から弾き出された。
イチゴ2号の防衛機能(水圧砲モード)が発動したのだ。
「……任務完了。不審者を排除しました」
「よくやったわ、イチゴ」
廊下でびしょ濡れになったジークハルトが、なぜか満足げに笑っていた。
本当に意味が分からないこの人。
こうして、帝国での「お風呂伝説」の第一歩が刻まれた。
ヘルガの報告書のタイトルは、こうだった。
『皇妃様の新開発兵器に関する緊急報告書――帝国軍の弱点を根本的に解決する「浴場システム」について』
……兵器じゃないんだけどなあ。




