第2話「ゴミの山は宝の山」
翌朝、私は小鳥のさえずりならぬ、腹の虫の合唱で目を覚ました。
まぶたを開けると、見慣れない石の天井――いや、正確には牢屋の天井が目に入る。
一瞬、ここがどこか分からなくて思考が停止した。
そして、じわじわと記憶が蘇る。
生贄。魔王城。牢屋。
「……生きてる」
私は自分の体をぺたぺたと触って確認した。
どこも痛くない。むしろ、昨晩作った即席マットレスのおかげで、ここ数ヶ月で一番よく眠れた気がする。
体を起こすと、パサリと何かが落ちた。
黒い布だ。
上質なウールのような手触り。
昨晩、寝る前にはこんなもの掛けていなかったはずだ。
これは……誰かが掛けてくれたのだろうか?
まさか、魔王?
いやいや、そんなはずはない。
魔王が生贄に毛布を掛けてくれるなんて、童話の中の話ですらない。
きっと、親切な魔物の見張り番でもいたのだろう。そう思うことにした。
それにしても、お腹が空いた。
私は牢屋の鉄格子に近づき、外の様子を伺った。
鍵は……掛かっていなかった。
昨晩から開いたままだったのだ。
私は恐る恐る廊下に出た。
逃げ出すつもりはない。逃げたところで行く当てなどないし、外は吹雪いているかもしれない。
ただ、何か食べ物と、そして何より「材料」が欲しかった。
私の巣作り本能は、昨夜の応急処置では満たされていなかった。
もっと快適にしたい。
もっとフワフワにしたい。
この殺風景な石の空間を、最高に落ち着く場所に変えたい。
その欲求が、恐怖を上回っていた。
廊下を歩いていると、ひとつの扉に行き当たった。
中から、埃っぽい匂いがする。
私は扉を少しだけ開けてみた。
「うわあ……」
思わず声が出る。
そこは、ガラクタ置き場のようだった。
壊れた椅子、穴の空いたタペストリー、山積みにされた古着、そして見たこともない魔獣の毛皮の端切れ。
一般的に見れば、ただのゴミ捨て場だ。
しかし、私にとっては宝の山だった。
オメガの目は、素材の可能性を見抜く。
この椅子の詰め物はまだ生きている。このタペストリーの金糸は丈夫だ。この毛皮は洗えば最高の手触りになる。
私は夢中でゴミ山を漁り始めた。
まずは掃除だ。
近くにあった長い棒と、ボロ布を組み合わせてハタキを作る。
パタパタと埃を払い、使える素材を選別していく。
この作業の、なんと楽しいことか。
人間界の家では、私は裁縫部屋に閉じ込められ、一日中商品を作ることを強要されていた。
自分のために何かを作るなんて許されなかった。
でも、ここは違う。
誰も私を怒らない。好きなものを、好きなように作れる。
「まずは、あの冷たい床をなんとかしないと」
私は大量の毛皮の端切れを集めた。
種類はバラバラだが、色味を揃えればパッチワーク風のおしゃれなラグになる。
洗う水がないのが難点だが、とりあえずパンパンと叩いて汚れを落とし、毛並みを整える。
裁縫道具を取り出し、端切れ同士を縫い合わせていく。
針がスルスルと通り、形になっていく快感。
巨大な円形のラグが出来上がった。
毛足の長い部分と短い部分を交互に配置し、踏み心地に変化をつけるというこだわりようだ。
次に、壊れた椅子の背もたれからクッション材を抜き出し、古着をリメイクしたカバーに詰める。
丸いクッション、四角いクッション、抱き枕のような長いクッション。
次々と生産されていく快適グッズたち。
私はそれらを抱え、何度も牢屋と物置を往復した。
牢屋の床にラグを敷く。
その上にクッションを配置する。
殺風景だった牢屋が、まるで隠れ家カフェのような空間に変貌していく。
「うん、いい感じ」
私は満足げに頷いた。
その時、背後で「カツン」という硬質な音がした。
心臓が跳ね上がる。
振り返ると、そこに彼が立っていた。
長身の男だ。
漆黒のマントをまとい、頭には禍々しい角が生えている。
その美しくも恐ろしい顔立ちは、間違いなく魔王ザルドリスその人だった。
私は息を飲んだ。
殺される。
勝手に城のものを漁った罪で、今度こそ食われる。
私は震え上がり、とっさに一番近くにあった巨大なビーズクッション(自作)を盾にするように抱きしめた。
魔王は、無言で私を見下ろしている。
その視線は鋭く、冷たい。
そして、その視線がゆっくりと、私の足元のラグへと移った。
長い沈黙。
永遠にも感じられる数秒間。
魔王が口を開いた。
「……それは、なんだ」
声は低く、地を這うような重低音だった。
私はひきつった声で答える。
「ら、ラグ……です。床が、冷たかったので……」
「どこから持ってきた」
「そ、そこの、物置にあった、ゴミを……繋ぎ合わせて……」
「ゴミ?」
魔王は怪訝そうに眉を上げた。
そして、ゆっくりと一歩、牢屋の中に足を踏み入れた。
彼が履いている重厚なブーツが、私の作ったパッチワークラグの上に乗る。
その瞬間。
魔王の動きが止まった。
「……む」
彼は自分の足元を見つめたまま、微動だにしない。
ブーツ越しでも伝わるのだろうか。
計算され尽くした毛並みの弾力と、適度な沈み込みが。
魔王はもう一歩踏み出した。
今度は、体重をかけるようにゆっくりと。
そしてまた止まる。
心なしか、彼の眉間のしわがほんの少しだけ浅くなったように見えた。
「……悪くない」
え?
私は耳を疑った。
魔王は私の方を見ず、足元のラグの感触を確かめるように、その場で何度か足踏みをした。
そして、あろうことかその場にしゃがみ込むと、大きな手でラグの表面を撫で始めた。
「柔らかいな」
それは独り言のようなつぶやきだった。
「あ、あの……」
私が声をかけると、魔王はハッと我に返ったように立ち上がり、咳払いをした。
「ゴホン。……貴様、名は」
「リ、リノです」
「リノか。……勝手な真似をした罰として、貴様には労働を命じる」
労働。やはりそうか。
岩運びだろうか、それとも魔獣の餌やりだろうか。
覚悟を決める私に、魔王は信じられない言葉を告げた。
「このラグと同じものを、あと五枚作れ。……私の寝室用だ」
「……はい?」
「聞こえなかったか? 五枚だ。急げ」
そう言い捨てて、魔王は踵を返して去っていった。
去り際、心なしか足取りが軽かったのは気のせいだろうか。
私は呆然とその背中を見送った。
殺されない?
それどころか、注文が入った?
じわじわと、喜びが湧き上がってくる。
私の作ったものが、認められた。
しかも、あの恐ろしい魔王に。
「……五枚か。よし、やろう!」
私は拳を握りしめた。
恐怖はどこかへ消え去り、職人魂に火がついた瞬間だった。
こうして、私の魔王城での生活は、予想外の方向へと転がり始めたのだった。




