第3話「魔王の不眠と深夜の工房」
魔王ザルドリスからの注文を受けてから三日が経過した。
私は寝る間も惜しんでラグ作りに没頭していた。
いや、正確には「寝る間も惜しんで」というのは間違いだ。
私が作った巣があまりにも快適すぎて、一度横になると泥のように眠ってしまうからだ。
おかげで肌の調子はすこぶる良いし、体調も万全だ。
食事に関しては、最初の一日こそ空腹に耐えていたが、二日目からは無口なガーゴイル――後にギルという名前だと知る――が、定期的に食事を運んできてくれるようになった。
どうやら、魔王様が「作業効率が落ちる」と言って手配してくれたらしい。
食事の内容は、硬いパンと干し肉、そして謎のスープという質素なものだったが、今の私には十分なご馳走だった。
さて、私は今、五枚目のラグの仕上げにかかっている。
場所は元・牢屋、現・マイ工房だ。
いつの間にか鉄格子の扉は取り払われ(ギルが外してくれた)、代わりに私が余り布で作ったパッチワークのカーテンが掛かっている。
中には素材の山と、完成したクッションの山。
まさに巣である。
「ここをこうして……よし、完成!」
私は最後の結び目を止め、糸を切った。
五枚のラグが並ぶ様は壮観だ。
一枚目はシックな黒系、二枚目は温かみのある茶系、三枚目は魔王様のマントをイメージした深紅……といった具合に、バリエーションを持たせてみた。
気に入ってくれるだろうか。
そんなことを考えていると、不意にカーテンが開いた。
「……できたか」
魔王ザルドリスだ。
相変わらず眉間に深いしわを刻み、目の下には濃い隈がある。
どう見ても不健康だ。
「はい! 今、完成しました!」
私は自信作のラグを広げて見せた。
ザルドリスは無言でそれらを検分する。
厳しい目つきで縫い目を確認し、手で厚みを確かめ、匂いを嗅ぐように顔を近づける。
緊張が走る。
ダメ出しをされたらどうしよう。
数分後、彼は顔を上げた。
「……良い仕事だ」
低い声だったが、そこには確かな賞賛が含まれていた。
「すべて私の部屋へ運べ。ギルに手伝わせる」
「はい!」
私は安堵で胸をなでおろした。
それから、ラグを抱えたギルと共に、魔王様の寝室へと向かった。
魔王の寝室は、城の最上階にあった。
広さは私のいた牢屋の十倍はあるだろう。
だが、そこは驚くほど殺風景だった。
巨大な天蓋付きベッドがあるが、マットレスは薄く、布団は重そうなベルベット一枚。
床は冷たい石のままで、家具と言えば実務的な机と椅子だけ。
これでは疲れが取れるはずがない。
私は心の中で「もったいない!」と叫んだ。
せっかくの広い空間が、冷気と殺気で満ちている。
ギルがラグを床に敷いていく。
ザルドリスは腕組みをしてそれを見ていたが、ふと私に視線を向けた。
「……貴様、オメガ特有のフェロモン制御はどうなっている」
唐突な質問に、私はたじろいだ。
「え、えっと……抑制剤は飲んでいませんが、まだ発情期ではないので……」
「そうではない。……貴様の作るものには、妙な作用がある」
「作用、ですか?」
「……落ち着くのだ。異常なほどにな」
ザルドリスはバツが悪そうに視線を逸らした。
「貴様の魔力なのか、フェロモンなのか知らんが、私の精神に干渉してくる。……不愉快だが、悪くはない」
それはつまり、褒め言葉と受け取っていいのだろうか。
私はおずおずと尋ねた。
「あの、もしよろしければ、ベッドの方も少し……調整させていただいても?」
ザルドリスは怪訝な顔をした。
「調整?」
「はい。その、失礼ですが、今の寝具では魔王様のお体に負担がかかっているように見えます。もっとこう、ふんわりと包み込むような……」
「……好きにしろ。ただし、一時間以内だ」
許可が出た!
私は水を得た魚のように動いた。
持参していた予備のクッション材(隠し持っていた)を取り出し、ベッドのマットレスの下に挟み込んで高さを調整する。
枕の中身をほぐして空気を含ませ、角度を変える。
重たい掛け布団の間に、空気を層にするように薄い布を挟み込む。
限られた材料と時間での応急処置だが、これだけでも寝心地は劇的に変わるはずだ。
「終わりました」
私が告げると、ザルドリスは疑わしそうにベッドに近づいた。
「見た目は変わらんが……」
彼は恐る恐る腰を下ろした。
そして、そのまま背中を預けるように横になる。
「……!」
目が見開かれた。
「……なんだこれは。体が……沈むのに、支えられている……?」
「体圧分散を意識しました。腰への負担が減るはずです」
私が説明する間もなく、ザルドリスの瞼が重そうに下がってきた。
「……貴様……なにを……した……」
言葉が途切れ途切れになる。
強烈な睡魔が、魔王を襲っているのだ。
「おやすみなさいませ、魔王様」
私は小声で言った。
数秒後、寝室に安らかな寝息が響き渡った。
数年ぶりの熟睡を手に入れた魔王の顔は、憑き物が落ちたように穏やかで、不覚にも少しだけ「可愛い」と思ってしまった。
ギルと顔を見合わせ、私たちは静かに部屋を退出した。
廊下に出たところで、ギルが初めて口を開いた。
「……主様があんなに早く眠りにつかれたのは、初めて見ました」
その声は、岩が擦れるような音だったが、感謝の響きがあった。
「リノ様。ありがとうございます」
「リ、リノ様!?」
様付けなんてやめてください、と言おうとしたが、ギルは深々と頭を下げて去っていった。
私は自分の胸が温かくなるのを感じた。
誰かに感謝される。
誰かの役に立つ。
それがこんなにも嬉しいことだなんて、人間界では知らなかった。
部屋に戻った私は、新たな創作意欲に燃えていた。
次は、あの冷たい執務室だ。
魔王様の椅子を、極上の座り心地に改造してやる。
そう決意し、私は再び素材の山へとダイブしたのだった。




