5-7 味方
8月1日の22時58分。
俺は箒を手に持って真っ白な訓練室にいた。
この無機質な訓練室では、夏夜の柔らかな蒸し暑さも、星屑が塗された黒い空も観測できない。
そして。
「……できない」
俺もまた、箒を浮かせる事が出来ない。
「あー……クソッ……」
俺はゆっくりと地面に座り、流れるように仰向けになる。
分かってる、俺は天才じゃない。
優秀な両親と兄から嫌という程に分からされた。今も俺を縛り続ける、烙印のようなもの。
けれど、それは今は関係ない。
出来るようにならないといけないんだよ。
何が足りないのか、何がいけないのか。疲弊しきった脳みそを回し続ける。
「……『デザイア』って命術なんだよな?」
ふと、ある疑問が脳内を過ぎる。
命術の使用には命力が必要になる。そして、『デザイア』も命術だと、ゲノムさんか戒刃が言っていた。
つまり、俺は命力操作は出来ているはず。
実際、『レッド・デザイア』に刻まれた能力、救焔や鎧躯、業雷を使用しているのだ。
出来ない訳がない。
「よしっ……!」
俺は勢いよく立ち上がり、『レッド・デザイア』を起動する。
「っ……!」
瞬間、『レッド・デザイア』の能力の一つである『鎧躯』が右腕を自動的に変形させる。
光を飲み込んでしまうほどの黒い鉄が、悪魔のような手に変形する。
痛い。肉体を『鎧躯』に変換する時、神経も同時に変換されてしまう。ゲノムさんは肉体をミキサー入れたような状態と例えていたけど、まさにそれだ。かき混ぜるような激痛が身体中に疾る。でも、今そんな事はどうでもいい。
「ふーっ……」
俺は『鎧躯』で変形した右手で箒を掴む。そして目を瞑り、救焔を放出する時のように、『業雷』を身体に巡らせるように、箒に力を込める。
大丈夫、出来る。『救焔』や『鎧躯』、『業雷』を使用する時みたいに……込める。
「……」
数十秒後、俺はゆっくりと目を開ける。
分かってはいたが、そこにあったのは当然の結果。
「……クソッ」
箒は浮いていない。ただ俺の手の中にあるだけ。
出来ない。出来ない。
命力の出し方、流し方、操り方が本当に分からない。
自分が出来損ないなのを、改めて痛感する。
「……あーあ」
無意識に『レッド・デザイア』が解除され、力が抜けるように地面に座り込む。
胸が痛い。あの時のような、鈍く鋭い痛みだ。
――――――
中学二年生の文化祭。
文化祭というのはどうしても他学年との関わりが増える。
それは良い事だ。色々な人と関係を構築するのは、きっと良い事だろう。
しかし、人間関係というのは良い事ばかりではない。
ある日の放課後。俺は忘れ物を取りに教室に戻った時。
俺はその光景に、胸にナイフを刺されたかのような苦痛が疾った。
「暁理君って成績悪いんでしょ?」
そんな聞きなれない声が聞こえた。
教室を覗くとそこにいたのは数人の女子。一年生から三年生まで満遍なく。
さっきの言葉の主と思われる女子は、三年生の青いネクタイをつけている。
「そうなんですよー! 成績も悪いし運動もできないうえに、愛想も悪いんです!」
そう意気揚々と笑うのは、赤色のネクタイをつけた、俺と同じクラスの女子。
誰かの陰口を叩いて盛り上がる集団。それは、人間社会にいれば何処にでも発生する自然現象のようなもの。
悪口を言われるのを辛くないといえば嘘になる。でも、耐えられないかと言われれば、そんな事もない。
だって、今言われた事は全て事実。反論も異論もない。俺は間違いなく、出来損ないだから。
胸に鈍く鋭い痛みが疾った原因は、そこではない。
「だから零奈先輩も、あいつと関わるの早くやめた方がいいですよ? ブランドイメージが損なわれちゃいます!」
そう言い放つクラスの女子。その目線の先には零奈がいたのだ。
「……」
俺は言葉が出なかった。
零奈は俺の幼馴染で、親友で、大切な人だ。
何があっても俺は零奈の味方だし、向こうもそうだと思っていた。
そんな彼女がもし、俺のいない所で俺の悪口を言っている。そんな現実が本当にあるのなら、俺はきっと耐えられない。
「零奈先輩、美人だし頭いいんで、もっと良い男と仲良くすればいいのにー! ほら、ヤマ先輩とか!」
「あーいいね! 美男美女カップルじゃん!」
女子達の言葉が弾み始める。悪気のない悪意が教室を充満させる。
「……」
零奈はその会話に何も答えなかった。
俺がいる角度からは、零奈の表情を読み取ることはできなかった。零奈は今、どんな顔をしているのだろう。怖い。知りたいのに、知るのが怖い。
「あいつなんか、華やかな零奈先輩の青春にはいらないですよ! 私も協力するのでハブりましょ? その方が絶対に良いですよ〜!」
クラスメイトの女子が、陰口のテンションを上げていく。
もし零奈がこの会話に混じり、俺の悪口を言う現実を見たら、俺はどうなるのだろう。
でも、まだ零奈は何も話していない。今ならその現実を知らずに逃げられる。
そう思い教室から逃げようとした。
しかし、足は動かない。
好奇心というにはあまりにも澱んでいて、詮索というにはあまりにも弱々しい感情が肉体を支配していた。
胸が痛い。直接心臓を握られているかのような圧迫感と激痛により、動悸が止まらない。
彼女が、零奈が次に何を言うか。怖いのに、ここで逃げたらもう零奈といつものように話せない。
でも、逃げたい。でも、足が動かない。
俺は結局、零奈の言葉を聞くまで、その場から動けなかった。
――――――
「……あの時」
俺は訓練室の天井のライトが眩しくて、右腕で両目を覆う。
墓地のように静寂に包まれる訓練室で、嫌な記憶が脳内を巡っていく。
あの後、零奈はなんて言ったんだっけ。
「……はぁ」
ダメだな……マイナスな事が起こるとマイナスな事ばかり考えてしまう。
でも、このマイナスな循環から抜け出せないのも事実。
どうすれば、俺は箒を浮かせられる?
どうすれば、零奈を生き返らせれる?
どうすれば……
「……暁理さん」
ふと、細々とした声が訓練室に響く。
「うわっ……!?」
俺が勢いよく起き上がると、そこにいたのはシロアだった。
ダボっとした黒いスウェットに身を包んでおり、彼女の象徴である白くふわふわとした長髪を揺らしながらこちらに歩み寄ってくる。
てか、フード被ってないシロア、久々に見たな。
「ど、どうしたの? こんな時間に」
俺がそう問いかけると、シロアは少し気まずそうに答える。
「……まだ、訓練してたので」
そう言いながら彼女が差し出したのは、まるで弁当を入れる小さな黒い袋。
「あ、これ……中に、おにぎり入って……ます」
本当に弁当袋だった。
てか、これってもしかして。
「さ、差し入れ?」
俺がそう質問すると、シロアは微かに頬を赤らめて、コクコクと頷いた。
「あ、ありがとう……」
俺は弁当袋を受け取って、中身を見る。
中にあったのは、白米と海苔が一枚巻かれた、ラップに包まれた三角おにぎりが二つ。模範的なおにぎりだった。サテライトにもラップってあるんだな。凄いな旭◯成。
「槍華さんに、教わりました」
「え? 手作り?」
「……はい。差し入れならおにぎりだと、教えていただいたので」
シロアは頬を更に赤らめて答える。
マジか……差し入れをもらえるなんて、思ってもみなかった。とてもありがたい。
「ありがとう、シロア」
俺はラップを取って、おにぎりに齧り付く。
まだ少しだけ温かさを残した白米が、口の中で解れていく。
白米の甘さと塩のしょっぱさが絡み合う。
「うま〜」
「……ふふ」
シロアは小さく微笑みを零す。
「シロアの世界におにぎりってあった?」
「いえ、ありませんでした。そもそも、お米がなかったので……」
「え、そうなの?」
「はい……こんなに美味しいものがあるなんて、びっくりしました」
シロアは赤色の瞳を輝かせながら答える。米がない人生って信じられんな。
「主食なんだったの? パン?」
俺はおにぎりを齧りながら問いかけると、シロアは右上に目線を動かしながら答える。
「えっと……『メモッン』という根菜でした……」
「すげー柔らかそうな名前の根菜だな……」
「どちらかと言えば固かったです。どれだけ蒸しても硬くて、歯が二回割れました」
「割れたの!? 大丈夫!?」
「はい。大丈夫です。再生するので」
「……あ」
そうだった。シロアは再生をする肉体をもっている。
あの牢屋の中、銃弾に撃ち抜かれた箇所がすぐに再生していた。
「……歯も再生するんだな」
「はい」
シロアは当たり前のことのように頷く。
その再生する肉体のせいで、家畜として扱われていた。
けれど、シロアの内面は少し内気なだけの、普通の女の子だ。
普通の女の子が異常な再生力を持ち、それを理由に不当に傷つけられるのはやっぱりおかしい。
今はサテライトにいるからいいけど、今後はどうなるかわからない。俺はこのまま、シロアを守り切れるのだろうか。
そんな事を考えながら、おにぎりを食べ進めていた。
「……あの」
ふと、シロアが眉をひそませ、弱々しい声を出す。
「ん?」
俺は食べかけのおにぎりを口に放り込んで、シロアの言葉を待つ。そして、彼女は息を呑んで、ゆっくりと言葉を落とす。
「……大丈夫ですか?」
ふと放たれたその言葉に、俺はなぜか、すぐに答えを返せなかった。数秒だけ静寂が訓練室を包んだが、俺はいつものように言葉を放つ。
「うん、大丈夫」
俺はシロアの目を見て、朝の挨拶のように答える。
普通に、なんの不都合もないように。
「……暁理さん」
シロアは俺の目を合わせ、珍しくはっきりとした声で俺の名前を呼んだ。
「嘘をつくのは、人として当然の事です」
「……ん?」
話の流れが唐突に転換する。インド人ぐらい話が唐突。
困惑する俺を他所に、シロアは言葉を続ける。
「これは、私の我儘です。でも、お願いです」
「いや……なんの話……?」
「辛い時は、辛いと言って欲しいです」
「……え?」
シロアはあまりにも真っ直ぐに、静かに言い切る。
「暁理さん、今、とても辛そうな顔してました」
「……辛い?」
「はい」
彼女はゆっくりと深く頷く。
「辛くないって嘘をつくのは、暁理さんの強さです。他人に甘えないのは、暁理さんの優しさです。それでも、辛い時は言ってください。私に出来ることがあるなら、力になりたいんです」
シロアは俺の右手を両手で包むように握り、力強く告げる。
「私は、暁理さんの味方です」
「───」
言葉を失った。
そんな事、言われるなんて思ってもみなかった。
家族からも、学校からも出来損ないと蔑まれてきた。
そんな俺に、そんな言葉をかけてくれる人がいるなんて、思ってもみなかった。
「……まぁ、私に出来ることは……ないかも……しれませんが……」
「まってなんでネガティブになるの」
さっきまでの力強さは何処へやら。シロアの顔には曇天がかかってるのかと思うほど曇る。
「……変な奴だな」
俺はシロアの両手に左手を乗せる。
「ありがとう。シロア」
その言葉にシロアは目を大きく見開いて、すぐにふわっと微笑む。
「……はい」
そのまま数秒が過ぎて、どちらともなく手を離した。
「おにぎりもありがとな。ごちそうさま。美味しかったよ」
俺はラップのゴミを袋に入れながら言うと、シロアは控えめに嬉しそうな顔をする。
「はいっ……よかったです……」
「……よしっ」
俺は箒を持って立ち上がる。
そして、箒を平行に持つ。
箒を浮かせる訓練。俺は結局、コツを掴めていない。
「……」
シロアは俺の様子を茶化す事なく、ただ見つめている。
俺は数時間前の、ゲノムさんの言葉を思い出す。
命術の発動手順は『命力を流し込み、願う』と、ゲノムさんは言っていた。
そして、『レッド・デザイア』も命術なら、俺はどうやって『命力を流し込み、願う』をしていた?
俺が『レッド・デザイア』を起動する時、焔や鎧、膂力を願ってなどいない。
つまり、俺は『レッド・デザイア』を起動する時、どんな願いを込めて戦っている?
「……」
俺は目を瞑り、静かに思い出す。
あの時の胸の痛みを。
――――――
「やめて」
中学二年生の文化祭。
放課後の教室で、俺の陰口で盛り上がっていた時に、零奈が放った言葉だった。
「……え?」
周囲の女子達は零奈の発言に、石のように固まった。
零奈はそんな彼女達に、力強く、しかしどこか苦しげに言葉を続ける。
「暁理は一生懸命に頑張れる人だよ。頭が悪くても、運動ができなくても、自分に出来る最大限を頑張れる。愛想が悪いのも、恥ずかしがり屋なだけで、本当は優しくて良い子だよ」
「え……で、でも」
「暁理は私の幼馴染なの。ごめん。それ以上、あの子を悪く言わないでほしい」
それは、明らかに空気の読めない発言であり、彼女達を敵に回しかねない発言だった。
それでも、零奈は言い放つ。
「私だけは、暁理の味方でいたいの」
その言葉は少しだけ、ほんの少しだけ震えていた。
零奈の言葉を聞いた女子達は、少しだけ集団で何かを話して、逃げるように教室を後にした。
「……」
俺はその場にへたり込んだ。
零奈は俺の陰口を、悪口を言わなかった。
俺がいない所でも、俺の事を大切に想ってくれていた。
零奈は、俺の味方だった。
「……っ!」
俯きながら手で口を塞いで、必死に嗚咽が漏れないようにする。
悲しくないのに、痛くないのに、何故か涙が止まらない。
「あれ、どうしたの? 忘れ物?」
ふと、零奈の言葉が正面から聞こえて、顔を上げる。
そこにいたのは、春の朝に窓から流れてくる、陽光のような笑顔の零奈。
「……帰る?」
そう問いかける零奈の笑顔は、いつもより暖かくて、いつもより痛かった。
俺が泣いていることに言及しない。
その優しさに、俺は更に涙を床に落としてしまう。
「っ……ぅ……ん」
俺の情けない返事に、零奈はいつものように微笑んで、ゆっくりと優しく抱きしめてくれた。
その温かさに触れて、俺はようやく何故泣いているのかに気がつく。
零奈にあんな顔をさせたこと。
零奈にあんな事を言わせたこと。
それが嬉しくて、嫌だった。
俺のせいで、零奈は回さなくていい人達を敵に回した。
零奈は俺の味方だから。
その時からだっけ。
ちゃんと勉強も運動も頑張ろうと思ったのは。
もうこの人に、あんな無駄な事をさせない為に。
――――――
思い出して、ようやく理解する。
俺の願いは『零奈を生き返らせる』なんだ。
世界で一番大切な人を取り戻す。その為に、俺は『レッド・デザイア』を起動している。
その時、俺は命力を知覚はしていない。なら、それを逆算すればいいだけだ。
「……」
一つ仮説がある。
命力は知覚するものじゃなくて、既にそこに在るモノだと。
命力は体力や気力、魔力や呪力などの生命力の総称。
それを聞いた俺は無意識に、命力は形の無いモノだと考えていた。辛い時に胸が痛くなる現象のような、思考のような認識できないモノだと思っていた。
でも、きっと違う。むしろ逆だ。
命力には形が在る。
嬉しくて零れ落ちる涙のような、抱きしめられて感じる体温のような、形の在るモノだ。
「ふーっ……」
目を閉じた先の暗闇に、確かにそれが在るのを感じる。
身体の奥……違う。身体の中に充満して、血液のように駆け巡る熱がある。きっとこれが命力だ。
それを箒に流し込む。
「っ……」
瞬間、箒に流し込んだ命力が箒から零れ落ちたり、霧散したりする。なるほど、さっきまで出来なかったのはこれのせいか。
「……大丈夫」
無意識にそう零して、俺は再度、箒に命力を流し込む。
勢いはそんなにいらない。むしろ、ゆっくりでいい。
ゆっくり、優しく、丁寧に。
命力を込めて、願う。
『箒よ、浮け』と。『零奈を生き返らせたい』と。
「ッ……!」
瞬間、箒から風が湧き上がる。
俺は手を離すと、箒は一人でにふわっと浮かんでいた。
つまり、成功だ。
「あっ……! で、できました!」
シロアはまるで自分の事のように、嬉しそうに小さく叫ぶ。
「うん、できた」
「すごいです! さすがですっ……!」
「褒めすぎ」
俺は浮いた箒を掴んで、命術を解除する。
そして、シロアの目を真っ直ぐ見つめて、言葉を放つ。
「……ありがとう、シロア」
「……あ、え?」
「ありがとう」
俺がその時、どんな顔をしていたかは分からない。
けれど、シロアは俺の顔を見て、少しだけ目を潤ませて、白雲のような柔らかな笑顔を浮かべて、答えた。
「……いいえ」
お読みいただきありがとうございます。
50話突破です。本当にありがとうございます。
50話も書いたのに話全然進んでなくて自分でびっくりしてます。




