5-2 合流
雷矢から用意してもらった服に着替えて、リビングへ向かう。
廊下は家の模範解答のような落ち着いた色調のフローリングに白い壁。そして、玄関から放たれるルームフレグランスの匂いが充満していた。
その光景により生み出される高揚感と安心感を胸に抱きながら、リビングへ向かうために階段の前を横切った。
「……ん?」
一瞬。たった一瞬。
しかし、確かに、ルームフレグランスではない異臭がした。
鼻を突き刺すような、不快で不幸な臭い。
「……ま、いっか」
だか、俺はその臭いの正体を探ることなくリビングへの扉の取っ手に手をかける。
他人の家は匂いが変に感じる時がある。それに近いものだろ。多分勘違いだ。
そんなことを考えながらリビングの扉を開ける。
「あ、おかえり〜」
そう明るく透き通った声を放つのは、金髪ポニーテールの女子高生。真弓だった。
真弓はソファに座りながら、小慣れた手つきでスマホをスワイプしている。
「着替え、それで大丈夫ですか?」
そう少し不安そうにしながらも、確かな透き通った声を出した、短い金髪の彼は雷矢。
先程とは違ってエプロンをつけている彼は、キッチンからわざわざこっちまで歩いてきた。
「大丈夫です。シャワーありがとうございます」
俺がそう頭を下げると、雷矢は「いえいえ、困った時はお互い様ですから」と少しだけ照れくさそうに笑う。聖人か?
「てか、暁理ってなんで川にいたの?」
真弓はスマホから目を離すことなく問いかける。
「……そ、それは」
「まぁいいじゃん、そんなの」
雷矢が話を途切れさせる。真弓は「んー……」と零して、それ以上追求はしなかった。元々そこまで興味がなかったのだろう。
「あ、晩御飯食べてきますよね? 苦手なものはありますか?」
「いいんですか? ありがとうございます。好き嫌いはないので、なんでも食べれます」
「おー良かったです。真弓は好き嫌い多いので、安心です」
「ちょっと雷矢。私、食べれないのキノコだけだよ」
スマホから目を離し、ぶーすかと雷矢に文句を言う。
「チョコミントもだめじゃん」
「チョコミントは歯磨き粉じゃん」
「その発言は戦争を起こす火種だよ」
雷矢は苦笑しながら、キッチンへ戻る。
「暁理、こっちおいで」
真弓はソファをポンポンと叩く。それはつまり、「ここに座れやカス」という事だろう。
「……失礼します」
俺は真弓の隣に座る。
「敬語いいよ、同い年でしょ? 多分」
「17です」
「あ、一緒だ。じゃあ敬語言ったら死刑ね」
「重っ」
「真弓、そのギャグ面白くないよ」
雷矢が呆れたように言い放つ。
「暁理も真弓のギャグは無視していいからね」
「あはは、おっけー」
俺が雷矢の言葉にそう答えると、目の前にいる真弓はニヤニヤとしながら俺の顔を見つめる。
「……なに?」
「いや〜雷矢と話してくれるんだな〜って」
それは、心の底から嬉しそうな顔だった。
「なにそれ」
それに呼応するように、雷矢は呆れたように言った。
「雷矢、友達少ないからさー心配なの。お姉さんとしてね」
「双子じゃん。ちょっとだけ早く生まれただけで」
「……双子なの?」
「ん? そうだよ?」
真弓が首をこてんと横に傾けて答える。
「二卵性なんですよ、俺たち」
雷矢は言い慣れた様子でそう言うと、真弓は小さく笑いながら続ける。
「まー似てないからねー」
「でも、仲良いですよね」
「普通だよ、これぐらい」
「そうです、普通ですよ」
2人は当たり前のようにそう言うが、俺にとってはこの2人はかなり仲が良いの部類に入る気がするが……
「……なんか凄い難しい顔してるね」
ふと、俺の顔をじっと見ていた真弓が、少し眉をひそませた。
「いや……普通に会話もしてるし、軽口も言い合えるのは、凄く仲良くない?」
「……それこそ普通では?」
「話しかけても、物投げたりしないんでしょ?」
「し、しないよ……」
「目が合っただけで殴られたりしないんでしょ? 仲良すぎるだろ!」
「目が合っただけで殴るやつは兄弟以前に逮捕した方がいいですよ」
2人から驚きというか、哀れみのような疑問が放たれる。ドン引きじゃん。おかしいの俺かよ。
そんな時、部屋の中に玄関チャイムの音が鳴る。
「俺が出るから、座ってて」
雷矢はエプロンを外して椅子にかけ、そのまま玄関へ向かう。
「……暁理はさ」
ふと、真弓から声をかけられる。
真弓は正面にある、真っ暗な画面のテレビに顔を向けたまま、俺の言葉を待っていた。
「ん?」
「兄弟と仲悪いの?」
「んー……そこそこ」
「親とは」
「もっと悪いね」
「……辛くないの?」
それは、先程の明るく透き通った声とは違い、少しだけ暗く澱んだ声だった。
「なんで?」
俺はそれを読み取るよりも早く、反射的にあっけらかんと反応してしまった。
「……一人じゃん」
真弓は喉に何かを詰まらせたように言葉を放った。
「……」
一瞬、俺はその言葉を脳内で反芻させる。
しかし、たどり着いた結論は昔から一つしかなかった。
「別に」
「え!?」
真弓が勢いよくこちらに顔を向けた。
「そんな驚くことなの……?」
「いやだって……家族だよ?」
「まあね。そりゃ家族に愛された方が幸せだったと思う。でも、俺は両親や兄貴に望まれた人間じゃなかった。だから、愛されないのは仕方ない」
そうだ。俺は勉強も運動も兄のように出来ず、親から見捨てられた。優秀という言葉では足りない程によく出来た兄からは、自分の下位互換だと虐められ、蔑まれていた。
確かに、辛かった記憶はある。
「仕方なくなくない……?」
真弓は驚愕を隠す事なく、俺に哀れみのような問いをかける。
その言葉に、俺はただ純粋に答える。
「でも、いいんだ」
俺には、零奈がいた。
不出来でも、望まれてなくても、そんな俺を零奈は肯定してくれたから。その無償のぬくもりは、他の不幸を易々と踏み倒せる。
零奈がいたから幸せだった。
だから、それでいい。
「別にいいんだよ。俺は」
俺は一刻だけ目を閉じながらそう答える。
「……変なの」
真弓は納得がいかないという顔をしながら呟く。
「よく言われるよ」
俺がそう答えると、「やっぱり変」と頬をぷくーっと膨らませる。
そんな時、ガチャっと廊下に繋がる扉が開く。
「あのー……暁理」
そして、その扉の隙間から、雷矢が気まずそうに顔を覗かせた。
「ん? なに?」
「……暁理に、お客さ───」
「お邪魔しまーす!!!!」
元気溌剌、意気揚々にリビングから入ってきたのは、長身短髪のTシャツに黒のロングパンツを履いた青年。緑のメッシュがトレードマークのイケメンを、俺はよく知っている。
「槍華!?」
「押忍!!」
「押忍じゃねぇよ! なんでここに!?」
「お前の位置情報から読み取った」
槍華の後ろから、冷徹に現れたのは同じく長身短髪で、藍色の着物を着た青年。グレーの髪色の毛先が少しだけ青みを帯びた男前も、俺はよく知っていた。
「戒刃も!?」
「うるせぇなお前」
戒刃が俺の頭をベシッとチョップする。結構ガチで叩いたなこいつ。
「……暁理さん」
そんな長身の二人の後ろから、今すぐにでも消え入りそうな声が聞こえた。
そして、二人の間からひょこっと顔を出したのは、フードを被った赤目の少女。フードから零れる長い白髪をふわふわと靡かせた彼女は。
「シロア……!」
俺は彼女の名前を零すと、シロアは少し恥ずかしそうに小さく頭を下げた。
目の前には、シロア・戒刃・槍華の3人がいる。
さっきまで福岡で共に戦った仲間……というよりは友達か? その辺の線引きって難しいな。
そんな3人が、ここまできてくれた。
その事実に、胸の中に小さな熱が生まれた気がした。
「みんな、来てくれたんだ」
「はい」
「当たり前だ」
「8時だョ!」
「全員集合! ……じゃねぇよ」
「なにそれ」
俺と槍華の日本ローカルネタを見た戒刃は、呆れたようにそう零し、シロアは少し緊張した様子で、俺たちを眺めて小さく微笑んでいる。
「……あのー」
ふと、雷矢が手を挙げる。
「……誰ですか?」
「あ、ごめん。俺の友達。すぐ帰すから」
「え!? 待って!! こんないい匂いするのに!?」
槍華がキッチンの方を指差す。
確かに、キッチンからは肉や野菜、調味料の匂いが混ざり合った家庭的な匂いがするが……
「帰るぞ槍華」
戒刃が槍華の腕を掴むと、駄々をこねる子供のように暴れる。
「ヤダヤダ! お腹空いた!」
「ガキかよ」
「食べたい食べたい!! そう思うだろシロア!!」
槍華の放った言葉と同時に、周囲の顔がシロアの方へ向く。
「……」
シロアは何も答えなかった。
代わりに、彼女はキッチンの方を向き、口がぽかんと開いていた。鼻は小さく動き、眼は夜空の星のように輝いていた。
何も言わずとも、答えはそれだけで十分だった。
「……食べていきます?」
それを見た雷矢は優しく微笑みながらそう言った。
「マジすか!? ありがとうございます!!」
「っ……あ、ありがとうございますっ……!!」
槍華とシロアが同時に頭を90度下げる。槍華はともかく、シロアはそんな俊敏な動き出来たんだ。
「いえいえ、気にしないでください。ただ、少しだけ時間かかるので、テレビでも観て待っててください」
雷矢は表情を微笑みから変えることなく、キッチンへ向かっていく。
やっぱり聖人だろこの人。頭が上がらん。
でも、やっぱり申し訳ない。
俺は雷矢に追従する形でキッチンに足を運んで、彼に話しかける。
「……手伝おうか?」
俺が雷矢にそう言うと、雷矢は再びにっこりと笑い、
「大丈夫です。暁理はお客さんだから、座っていてください」
「でも、多くない?」
「むしろやる気出ますよ! 食事はみんなで食べた方が美味しいですから!!」
雷矢は腕を捲って、眩しい笑顔を見せてくる。
「ぐっ……」
ま、眩しい……急に大人数で押し寄せてきて、嫌な顔一つしない。こんな善人いるのか……ガチ聖人じゃん。
1890年のアメリカで彼の遺体の争奪戦とか行われてそうだ。
「……ありがとう」
「いえいえ、座っていてください」
俺は彼の言葉に小さく一礼して、リビングに戻ると。
そこには、予想外の光景が。
「かわいいいいいいいいいいいいい!!!!」
真弓の甘い大声が部屋中に響く。
そこにあったのは、真弓がシロアの頭をわしゃわしゃと撫でている光景。
「ぅぁ……ぁ……」
フードを外され、頭を蹂躙されている彼女の顔は、ペンキをぶちまけたように赤く染まっていた。
「かわいいかわいいかわいいかわいいかわいい!!!!」
しかし、そんなの意に介す様子なく、真弓は頬をシロアの髪に擦りながら、頭を撫で続ける。
「……なにあれ」
「あー……真弓、かわいいもの大好きだから」
キッチンから雷矢の呆れた声が聞こえた。多分、似たような事をよくやってるんだろうな。
にしても、シロアがかわいいか……
「……」
俺は撫でられて困惑してるシロアを見つめる。
小さな顔に大きな赤眼、長い睫毛にふわふわの白髪……まぁ、かわいいか。うん、かわいいな。ウサギとかサモエドみたい。
ただ、シロアとの出会いから今までそれどころじゃなかったから、ちゃんと認識できなかった。
「……まぁ」
「……おぅ」
戒刃と槍華は一瞬だけ目を合わせて、目を伏せた。おい逃げるな。
だめだ、この2人は役に立たない。俺がシロアを助けねば。
「あのー……真弓」
「んーーー?」
声量もトーンも明らかに高い。
「シロアが恥ずかしがってるから、離してあげて……」
「んふふ……そこもかわいい」
真弓は満足そうに後ろからシロアを抱きしめた。
「ひゃっ!?」
シロアの甲高い声が響く。その声に満足そうにニヤニヤして、再びシロアの髪を撫でながら顔を頭部に埋める。
「あーかわいいかわいい!!! シロアちゃんかわいいよぉーーー!!!」
「ひ……ぁ……」
シロアは顔を真っ赤にして、涙目でうめく事しか出来ていない。
「……これが百合ってやつか」
「……思ってたより凄惨なんだな」
戒刃と槍華は淡々と、地獄を見るような形相で零す。
「助けてやれよ」
俺がそう零すと、後ろからクスッと雷矢の笑い声が聞こえた気がした。
お読みいただきありがとうございます。




