第百十二回 動き出す悪意
一一〇五年、春。厳しい冬が去り梁山泊では色々な動きが起きようとしていた。王倫達は二竜山の魯智深達を寨に迎える計画を立てる。これは王家村を拠点にした劇団一座の問題が解決したためだ。だがやってきたからはいどうぞという訳にはいかない。受け入れの準備は必要となる。住む場所があれば良いという訳ではない。梁山泊は他の山賊集団とは違うのだ。
梁山泊では来たもの全てが戦闘要員になる訳ではなく、まずは各職業に適性があるかを見定められ振り分けられる。もちろん本人の希望も考慮されるのだが。
まずは生産や利益をあげられる層を厚くし皆を豊かにする。そしてこの豊かな地での生活を守りたいという意識を芽生えさせ、戦闘に関わる者達の士気を高めて密度の濃い訓練にも耐えれる精鋭をつくりあげる形が出来ていた。
これらが実行に移せるのも梁山泊に集まった人材の多さからだ。抜きん出た力を持つ者達が統率力の高い者のもと、一丸となって働いた事による成果だった。
これだけの結果を皆が実感すれば王倫への支持が日増しに高まるのも当然。他の地域からすれば別天地に映るのも無理からぬ事であった。
更にこの地からは新たな道具や概念がうまれ、冬の間に新たな流行まで発生してしまう。それは柴進が瓢姫と桃香の気遣いに感謝し、己に喝を入れた事に端を発する。彼は瓢姫から贈られた「箱庭」を誰にでも見られるよう展示して公開したのだ。まるでその時の風景を切り取ってきたかのような箱庭の出来栄えに誰もが驚嘆の吐息を漏らした。
そしてこの姫様達の気遣いを美談として感動し涙した……だけでは済まず、この箱庭なるものに自分も挑戦したいという者達が現れる事になる。
人気に火がついた箱庭は昔からあった盆栽のそれを凌駕し、春になると使えそうな品を探そうとする人々が梁山泊のあらゆる場所で散見できた。その様子はとても「山賊により治安の悪い」場所で見られる光景とは思えない。湯隆は鑷子についての問い合わせが後を絶たず、王倫は苦笑しながらも村の者達の自由にさせていた。
一方でその頃、都である開封府の宿元景の屋敷を同じ師に学んだ弟弟子の聞煥章が訪ねる。
「師兄! 師兄!」
慌てた様子の彼は宿元景を見つけ拝礼すると急かすように切り出した。
「先日起きた事件のこと。ききましたぞ」
途端に宿元景の表情が曇る。
「もう君の耳に届いたのか。人の口に戸は立てられないものだな」
聞煥章は朝廷内に知り合いが多い。その辺りから彼の耳に入ったのだろう。
少し長くなるが事件とその背景はこうだ。元々柴進の先祖、後周の皇帝から禅譲を受けて成立した宋国は、後周のように有力な軍人が皇帝に取って代わる事を避ける為、武断主義から文治主義への転換を目指す。
科挙制度の重要性を高め、通過した者を重要な職に就け官僚任命権を皇帝のものとした。
しかし文治主義は軍事力の低下を招き、宋国を狙う諸外国とは薄氷を踏むような外交戦略で均衡を保った。この平和で一時期国は栄えたが、その後国の政策の混乱により国益は赤字に転落。
この財政の改善や軍事力の増強を任された人物が行った政策を「新法」という訳だが、これはそれまでの支配層であった大商人ら勢力の利益を大きく損ねるものであった為、当然彼らの強い反発を受ける事になった。この事から新法を推進しようとする者を新法派、反対する者を旧法派と呼ぶようになった訳である。
それから徽宗の代まで皇帝が変わってきたのだが、その時の皇帝によって中小農民の保護・生産の拡大・軍事力の強化などを図る新法が推進されたり、旧法派が権力を握る時代があったりした。
この一連の政治的争いを「新法・旧法の争い」と呼び、もはや両者には政策理論など関係なく、ただ対立相手が憎いがゆえの行動をとるようになっており、国政が混乱するのは必然であったと言える。
徽宗が信任している蔡京は新法派であり、その蔡京が今回の騒動を引き起こした。以前より旧法派を強く弾圧していたのだが、なんと同じ新法派に所属している者を処罰したというのだ。
「その人物は新法を悪用し汚職や増税を行う蔡京に対立していたと聞きます」
「うむ。糾弾するつもりでいたようだがそれは叶わなかったようだ」
「蔡京に先手を打たれたのでしょう。して、師兄。私が今日ここに来た理由ですが師兄の窮地をお救いする為です」
「うん? それはどういう事だい?」
聞煥章は宿元景に顔を寄せて声を落とす。
「その人物が処罰された理由。この冬の間に陛下の薪を横領していたからだとか。間違いありませんか?」
「……君に隠し事は出来なさそうだ。陛下は朝廷内だけで処理するつもりだったのだが」
「陛下の薪となればその管轄は師兄ではありませんか」
「うむ……陛下に言われて部下に調べさせているところだ。間もなく結果が出るだろう」
「やはり」
「やはり?」
聞煥章は宿元景の手を取り真剣な表情で考えを伝える。
「これは蔡京の奸計です。対応を間違えれば師兄も連座させられてしまいますぞ!」
「私は何もしていないのにか?」
「何もしていないのは今回の人物も同じです」
「! ……」
宿元景は考え込んだ。聞煥章は手を離し続ける。
「師兄は陛下への忠義に厚く、また陛下からも信頼されておいでです。しかし太尉と言っても権限が強い訳ではなく、また新法派でも旧法派でもないため蔡京に目をつけられてはいませんでした」
「それは確かに……」
「あくまで狙いは政敵関係にあった人物です。しかし師兄は蔡京にとって敵でも味方でも無かった為に都合が良く、排除の計画に巻き込まれてしまったのです」
「む」
「師兄はこの後陛下に正直に話すか嘘をつくかの選択にせまられましょう。正直に話せば蔡京から睨まれ、陛下に対して嘘をつけばそこを弱みとして握られます」
この説明で宿元景も他人事ではないと理解した。
「私の管理責任を問われる話に展開してしまう訳か。ならどうすれば良いだろう?」
「師兄が急を脱するには……そうだ!」
二人の密談は夜遅くまで続いたが、宿元景はこの危機をどう乗り切るのか。




