第百十一回 柴進の決断
柴進の邸宅は梁山泊の下層にあった。元々広い邸宅と土地の持ち主だった事もあり、それを失った心情を察して王倫は彼を王家村の村長用に用意していた家を改良し広くして柴進に譲ったのだ。小さいながら庭もあり、他の頭目達の住む家より随分立派だった。柴進は王倫の心遣いに感謝しながらも気落ちした日々を送っている。
柴進は庭に出て空を見上げていた。
(このままではいけないのは私が誰よりも分かっているつもりだが……)
ふうと今日何度目かのため息をつく。活気にみちた梁山泊の中で彼だけが黒い気を放っているようだ。
「ご主人様」
そんな柴進の背中に同じく滄州から逃げてきた使用人が声をかける。彼らは梁山泊に来た後も変わらず柴進を支えていた。
「ご主人様に来客でございます」
(また王倫殿か晁蓋殿だろうか。相変わらず気を使わせてしまっているな)
滅入っている状態だとはいえ、会わずに追い返すような事をすれば礼を欠く上に負い目を感じる。柴進は使用人に案内するように指示をだした。そして別の使用人に
「茶でも……いや、酒の方が良いか。酒の準備を……」
だが入ってきた人物を見てその使用人も柴進も驚く。それほど意外な人物が訪ねてきたのだ。
「……ご主人様。お酒……でようございますか?」
確認してくる使用人に柴進は首を振って言い直す。
「いや、茶と……何か良い菓子でも買ってきてくれるか」
「かしこまりました」
頭を下げて使用人が出ていく。柴進は来客に向き直り口を開いた。
「まさか……梁山泊の姫君様達が私を訪ねてくれるなどとは思いもしませんでした」
……話は少し遡る。
「そうですか。首領でも難しそうでしたか」
話しているのは王倫と副首領の晁蓋。二人は柴進が落ち込んでいるのを立ち直らせようとしていたが、成果があがらない事を報告しあっていたのだ。
「ああも落ち込んでいてはかける言葉もみつからぬ。何を言っても柴進殿には届かぬだろう」
「やはり屋敷と土地を失った事で……?」
「うむ。心に重くのしかかっている」
「私も名主でしたがそれでも比べ物にはならないほどの豪邸でしたからな」
「私が読み違いをしたばかりに。なんとか柴進殿に立ち直ってもらわねば」
「そんな。首領のせいではありません。首領まで落ち込まないでください」
二人は気付かなかったが、その会話を偶然聞いてしまった者がいた。瓢姫である。
(爸爸が……落ち込む……)
瓢姫はその場をそっと立ち去った。
「しかし先祖代々の土地を失うというのは相当こたえるであろう。その心中如何ばかりか……」
二人の会話を最後まで聞かずに。
「……」
「……」
その場を静寂が支配していた。そもそも桃香、瓢姫と柴進の間に特別な繋がりは全くと言っていい程ない。お互いが存在を知っている程度のものであり、こうして近くで会うのは初めてだ。柴進は二人の緊張している様子が見てとれたので笑顔で優しく話しかける。
「王倫様にはこのような屋敷を用意していただき、生活に困る事もなく大変感謝いたしております」
さすが好人物として知られる柴進。その柔和な態度に二人も安心したようだ。
「私達のような幼い者にまでご丁寧にありがとうございます」
桃香が返す。彼女は医者として色々な者を診療している所もあり社交性は瓢姫よりもある。その言葉遣いに柴進は内心感心していた。
「今使用人に菓子を買いに行かせていますから是非召し上がっていってください」
「……お菓子」
瓢姫がぽつりと漏らす。対照的に外見相応な反応だと柴進は思い可笑しくなった。しかし本題はまだ二人の口から出てきていない。
「それで……梁山泊でも噂の姫様達がこの私めにどのようなご用でしょう?」
その言葉に二人は顔を見合わせる。そして瓢姫が真剣な目で柴進を見た。
「……爸爸が落ち込んでいる」
「王倫様が?」
「表には出さないようにしていますが、爸爸は貴方様を完全に救えなかったと嘆いているようなのです」
瓢姫の説明に桃香が補足すると柴進ははっとする。
「王倫様には恩こそあれ責任などありません。私が最初から忠告に耳を傾けてさえいれば良かったのですから……」
「元気ない爸爸を見ると私達も悲しい」
「そこでこちらの瓢姫が柴進様に立ち直っていただく為に贈り物をしようという話になったのです」
「贈り物? 私めにですか?」
瓢姫は横に置いてある荷物に手をかけた。入ってきたとき背中に背負っていたものだ。包んでいる布を取り払うと木箱が何段かに重ねてあるのが分かった。
「……私はここで生まれて育ったから他の場所をしらない。……大きなお屋敷も想像できなかった」
だから、と瓢姫は続ける。
「この梁山泊をあげる」
「!?」
そう言っていくつかの木箱を床に並べている時に使用人が戻ってきた。
「ご主人様。お待たせいたしました。お茶と菓子でございま……おお!」
床に広がる光景に使用人は絶句する。
「これは……なんと精巧な……」
そう大きくない箱の中には確かに梁山泊の風景が広がっていた。王倫の作らせた模型も良くできていたが、瓢姫のそれはとても細かく木の一本一本から石のひとつひとつに至るまで細かく再現されており、精巧さでは比べ物にならないほどだ。
「草木が風になびいている様子。村を行く人々。活気がそのまま再現されているような……」
何をどうしたらこのような物がつくれたのか柴進には見当もつかない。手先の器用な瓢姫が考案した鑷子を使い、隅々にまで心を砕いて作り上げた彼女の世界だ。
「この箱……水場に集まる動物達。この水場の再現は苦労した」
まるで空の上から見ているような不思議な感覚にとらわれる柴進。
「これは……またとない美術品ですよ。名だたる工芸家とてこのようなものはつくれないでしょう」
瓢姫は恥ずかしがっているようで赤くなりながら最後の箱に手を伸ばす。
「私には大きな屋敷は分からないって言った……けど。桃香の書物にそれらしい絵があったから……これはそれを参考にした」
「!?」
その箱をみた柴進は言葉を失い暫し固まった。
「柴進様?」
桃香が呼びかけてくる。
「おおお……」
「こ、こんな屋敷じゃ気に入らない……?」
瓢姫が不安そうになったので柴進は首を振ってそれを否定した。
「いいえ姫様。ただこれは屋敷とは言えません」
「「え……?」」
柴進は目に涙をためて言う。
「これは宮殿でございます。皇帝陛下ただお一人が住める建物で私の屋敷や土地など比べものになりません」
柴進は瓢姫と桃香に拝礼していた。二人も咄嗟に返礼する。
「この柴進。ながらく塞ぎ込んでおりましたが、姫様に梁山泊に加えて宮殿まで賜ったとあっては悩みが一気に吹き飛んでしまいました。これよりは私に出来る事で王倫様をお助けすると約束いたします」
「「!!」」
「ご主人様……ようございました」
使用人達も目立たぬように泣いていた。柴進を心配していたからこそ立ち直った姿に安堵した涙だった。
「それで瓢姫様。この素晴らしい美術品は何と呼称すれば宜しいのでしょうか?」
瓢姫は考えもしていなかった事に触れられ動揺する。
「え? あ……じおら……」
「じおら?」
「噛んだ……これは呼ぶなら箱庭でいいと思う」
「なるほど箱庭ですか。うん、まさに。良い感じだと思います」
その後、瓢姫と桃香の二人は美味しいお茶とお菓子でもてなされた。柴進の屋敷は久しぶりに明るい笑い声で包まれていたという。
翌日。王倫と晁蓋は姿を現した柴進に驚き、事の顛末を聞かされるとこれを大いに喜んだ。王倫は柴進を王家村の村長役に相応しいとし、そのまま村のまとめ役を任せる事にした。
ここに新たに村の顔役の一人として小旋風柴進が登場。長者としても活動していく事になるのである。




