第百十三回 聞煥章の反計
都の宮殿にある謁見の間。玉座には第八代皇帝、徽宗が座っていた。殿司太尉の宿元景から調査の報告を聞くためだ。そして椅子の前の階段を降りた場所には宰相の蔡京が控えていた。
※蔡京
行政官僚として有能であったが、権力欲の強い人物で、主義主張に節操がない。民を苦しめている元凶の一人。
間もなくその謁見の間に宿元景が姿を現す。
「殿司太尉宿元景。陛下に拝謁致します」
宿元景は拝礼する。徽宗もそれに応じた。
(蔡京……やはり同席していたか)
この場に蔡京が同席する事は聞煥章が予想していた。その理由も当然見抜いている。
(おそらくその場には蔡京もおりましょう。それは師兄が蔡京の味方になるか敵になるかを見極める為です)
「よく来た。早速だが調査の内容を聞かせてもらえるか?」
「はっ!」
徽宗の問いにもう一度頭を下げてから宿元景は口を開く。
(良いですか師兄。蔡京は自分にとって都合の悪い話が出そうな時は口を挟んでくるはずです。なのでまずは……)
「はい。調査しましたところ確かに蔡京殿の言われるように不正の跡が確認できました」
その宿元景の発言に蔡京は僅かに眉を動かした。それもそのはず。蔡京は政敵を追い落とすため相手に罪をでっち上げていたのだ。なので不正の痕跡などないという報告には難癖をつけ、宿元景も共犯にしてしまっても構わないとの思惑があった。それがまさか本当に不正の証拠が出てくるとは思わず驚いたのである。
(ほう。まさか嘘から出たまことになるとは。とはいえ犯人があやつとは限るまい。このまま奴の罪にしなければならんな)
調査結果に目を通す徽宗を見ながら蔡京は次の展開に備えた。
「ふむ……大した量という訳ではないようだな。これなら別に」
「! 陛下。おそれながら」
蔡京が口を挟もうとするよりはやく。
「何を仰るのですか! 量は関係ありません! 陛下の財産に手を出したという事実が問題なのです!」
宿元景がすごい剣幕で捲し立てた。徽宗も蔡京も普段温厚な彼しか知らずその激昂ぶりに驚く。
「お、落ち着け宿元景。お主がそんなに怒るとこなど初めて見たぞ」
「これが怒らずにいられましょうか! 敬愛する陛下の財産に手をつけるなど死を以て償って当然です!」
「し、宿元景、とにかく落ち着くのだ。蔡京。そなたはどう考えるか」
「は? は。わたくしめ」
我に返った蔡京が言葉を発しようとするがまたもや宿元景に遮られる。
「蔡京殿! 不正に気付いていただけた事にはこの宿元景、深く感謝いたします」
「う? あ、いやなに」
「されど陛下の薪に手を出すような輩はこの手で処断しなければ気がすみません! どうかこの件に関しましてはこの宿元景にお任せいただきますよう!」
蔡京は瞬時に考える。今までも自分の邪魔になる存在を処罰したり中央から遠ざけたりしていたが、今回は自分の手を汚さずとも済むかもしれないという事を。
(宿元景は処罰ではなく処断と言った。それはつまり処刑したいという気持ちだ。死を以てと口にしたところからも間違いないだろう。もし実現すれば邪魔がいなくなる上に一族の恨みも奴に向くか。……悪い話ではない)
思わぬ所から良い方向に転がったものだと内心ほくそ笑む蔡京。最初は展開によって自分も激昂し、望む結果にしようとしていたが自分よりも遥かに熱くなっている宿元景を見て妙に冷静になってしまっていた。
蔡京は笑みになりそうな表情をつとめて真面目に装い、徽宗に上申する。
「陛下。確かに今回の件は宿元景殿の管轄で起きた不正事件と言えます。なので宿元景殿の意を酌むのも有りかと考えますが」
「な、何。蔡京は宿元景に任せると言うのか?」
「はい陛下」
徽宗は前のめりの体を椅子深くに座り直した。
「では宿元景。そなたの考えは?」
「一族もろとも断罪こそがふさわしいかと」
「な、なんだと?」
徽宗は再び前のめりになる。
(ほうほう。そこまで怒り心頭か。もはや他の者の関与の可能性すら抜け落ちておる。儂が苦労する必要はなさそうだな)
徽宗と蔡京の反応は全然別のものであったが宿元景はすぐさまその場に膝をつく。
「そして陛下。この宿元景にも何卒罰をお与え下さい!」
平伏して訴える宿元景。
「ま、まてまて。何故そなたを罰しなければならぬのだ。そなたは朕の功臣ぞ」
「今回の件はわたくしの管理が行き届かなかった結果にございます! どうかわたくしめも罰してくださいませ!」
平伏したまま叫ぶ宿元景に徽宗は困ってしまう。大した量ではない、と口にしたように彼自身の中では取るに足らないと思えた案件。むしろ目の前の宿元景が騒ぎすぎのような気になってきていたのだ。徽宗にとってはこんな内容で宿元景を罰する気にはなれない。
徽宗は困った目で蔡京を見た。が、蔡京は先程宿元景に任せると言ってしまった手前何も言えない。それに代案もなかった。
「そうだ! 朕は決めたぞ。もうこの決定に意見を言う事は許さん」
~宿元景の屋敷~
「ずっと針の筵に座らされている気分だったよ」
今日の出来事を愚痴る宿元景。聞いているのは聞煥章だ。
「ですが師兄の頑張りで狙い通りの結果を陛下から引き出せました」
「陛下の私を見る目が変わっていなければよいが」
「普段激昂する事のない師兄だからこそ効果があったのです。その証拠に蔡京すら熱くさせずにこちらの思惑へと誘導できたではありませんか」
聞煥章は、人は例え激昂したとしても他人が同じ事柄で自分より激昂している姿を見ると変に冷静になるという心境を蔡京に利用し、陛下に対しては価値観の違いが生じる程度の数字をあえて不正の証拠として宿元景に示させた。
その結果、徽宗は問題そのものを軽視して関心を失い、蔡京には宿元景に面倒事を押し付けようと考えさせて手を引かせたのである。
蔡京は自分の邪魔になる存在の命を奪って排除する事もあるにはあったが、邪魔にならないのならば中央から離れさせる(失脚)だけでも良しとしていた行動を逆手に取った策とも言えた。
悩んだ徽宗は両者の罪を互いに引くと言ったのだ。つまり宿元景を不問にするかわり今回の対象は死罪ではなく流刑にする、という両者への減刑。だがそれでは処置は宿元景に任せると言った内容が履行できないので徽宗は流刑先を宿元景に決めさせた。
宿元景は徽宗への忠誠と感謝を述べた後、その人物が流刑先で何かやらかすようなら自ら処罰に向かえる場所にという事で登州を希望。蔡京も宿元景がこの調子ならばその人物に陽の当たる事はもうないだろうと考え徽宗の決断を英断と称えた。内心では宿元景に貸しをつくったと思っているかもしれないが。
また蔡京が徽宗の判断を支持した事で宿元景の管理責任を責める事は出来なくなった訳でもある。なにせその証人が宋国の皇帝なのだから。
「これで師兄は皇帝に忠実なだけの無害な人物との印象になったはずです」
「そう願いたいね。もう危ない橋を渡ったり檀渓を跳ぶ思いはしたくないよ。しかし今回は君のおかげで本当に助かった」
宿元景は聞煥章に感謝する。
「いえ、まだ気は抜けません。最後の仕掛けが残っていますから」
だが聞煥章の策とは彼を救うだけではなく、更に先を見据えたものであったのだ。




