第百五回 山士奇逃亡
山士奇が戻ると心配していた者達に出迎えられた。その場で自分の考えを伝え、史進達の要求を認めると宣言する。当然、周囲は驚き疑う声もあがったが、街の富豪の御曹司で一番腕も立つ男の意見という事もあり表立って反対する者は現れなかった。
「何、明日になれば私の言った事が正しいと分かる。彼等は皆好漢だった」
そして翌日。山士奇は門前に現れた史進達を案内するように街の中へと招き入れた。少華山の一行の一番前を史進と王進が進む。最後尾を朱武と孔亮、中央に残りの頭目達が並んで進み、少華山の手下が問題を起こさないように目を光らせる。
街の者達も最初は不安で遠巻きに様子を見ていたが、この気配りに気付くと安心して自分達の日常に戻っていった。史進と王進の横にいる山士奇も言った通りだろうと鼻が高い。
しかしこの時、街の者達の考えとは違う別の思惑と感情が渦巻いている事に山士奇は気付けなかった。……そしてその思惑と感情に気付き、それを利用しようとしている者の存在にも。
一行は何事もなく街を抜ける事が出来た。そのまま進み、ひらけた場所での休息時に頭目達が集まる。
「後は梁山泊へ向かうだけですね先生」
「うむ。母上の方も快方に向かっているならよいのだが」
王進は急ぎたいのだろう。だがここで孔亮が妙な事を言い出した。
「山士奇殿が信用できる方で良かったですね」
「別れるのが惜しい程の人物だった」
孔亮の意見に賛同する史進。史進の意見に誰も異論は挟まず、頷いたり称えたりしている。
「王進殿。手合わせをして山士奇殿の性格はどう見られましたか?」
「うん?」
その腕前ではなく性格をきく孔亮。陳達などは質問の意図すらわからない様子だ。だが王進は手合わせした時の山士奇の様子を思い浮かべその性格を分析してみせた。
「決して浅はかとまでは言わないが、物事に理知的に当たるよりかは直情型だと思えますな。攻めに重点を置いていた部分と、体力配分を考えずに短期決戦を狙ってきた部分とで推測すると、気は長い方ではないでしょう」
その王進の分析は孔亮にとって策の成功を予感させる。
「だとするならば王進殿には申し訳ありませんが、暫く行進速度を落として梁山泊に向かう方がよろしいでしょう」
「ど、どういう事ですかな?」
王進も孔亮のこの言葉には困惑の表情をみせた。
「実は朱武殿と謀り、あの街にひとつ策を仕掛けておいたのです」
周囲からいつそんな余裕があったのかと問われる。孔亮は街に入りそのまま街を出るまでの間だと答えた。
「それでは最後尾を馬に乗って歩いてきただけではありませんか」
皆怪訝な顔をする。朱武が言う。
「いやぁ孔亮殿の目の付け所は大したものでした」
「どういう事だ?」
「我等も山士奇殿を信用し、彼もまた我等を信用してくれた。その結果双方に全く被害が出なかったのは承知の通りでしょう」
いい事ではないかと皆頷く。
「ですがその結果、なんの利益も得られない者達が存在していたのですよ。孔亮殿はそこに目を付けられた」
「そんな奴らがいるのか? 双方争う方が得するとか意味がわからん」
「そうではない楊春。争いは避けた方がその者らにとっても都合は良かったはずだ」
「……ますます意味がわからんではないか!」
「だから目の付け所が凄いと言っておるのだ」
話が進まないと思ったのか王進が尋ねる。
「一体二人は列の最後尾で何をされたのです?」
「朱武殿とずっと山士奇殿の英断を褒め称えていただけです。ああ、興奮していて声はお互い大きく周囲に響いていたかも」
しれっと言う孔亮を見て朱武は笑ってしまった。
「あまりの手際の良さに双方内通していたと思われても仕方がない。というような話はしましたな。近くにいた『役人』にも『聞こえて』しまったかもしれません」
役人。確かにあの街では武装していた者達の中に少数ながら役人も混じっていた。山士奇に雇われた者達は報酬を貰え、結果争いも起こらずに自分達の街を守る事が出来たので良かったと言える。しかし役人はその職務の性質上『無償』でも参加しない訳にはいかなかった。
撃退したり相手の頭目を捕らえたりすれば手柄になるものの、そうならない場合はなんの『利益』も『個人』には入らないのだ。
職務に忠実な役人ならそれでも不満は抱かないであろう。だがもしこの街に『腐った』役人が潜んでいたら?
孔亮と朱武の会話の内容から着想を得て、『強引』に『自分の利益』に結びつかせようと『悪知恵』を働かせた者が動いたとしたらどうなる?
そう、孔亮は山士奇と役人との間に騒動の火種を蒔いていたのである。
後日、梁山泊へと進む集団に後方から馬に乗った男が一騎で駆けてきて追いついた。その男の顔を見て驚く史進。
「山士奇殿! 一体どうなされた」
男は山士奇。一人の役人が山士奇に賊と内通していたと都へ報告すると脅しをかけてきた。完全に強請りが目的のその役人に怒り、棒で打ちのめしたのだが役人は運悪く命を落としてしまう。
実家に対しては同情的な声も多く罪に問われなさそうであったが、当事者である山士奇はそういう訳にもいかず、街に迷惑をかけない為にそのまま逃亡してきたというのだ。
「こうなってしまった以上、私も梁山泊の一員に加えていただきたいと思いまして」
(そうか! 孔亮殿は最初から彼を仲間に引き入れるつもりだったのか)
本来、生活が安定しているはずの富豪の息子が賊になるなど『史進』のような出来事でもなければ考えられない。だから仮に富豪の息子を仲間に誘っても無駄である。
そういう無意識による不文律が皆の心の中に共通して出来ていた。……だからこそ山士奇の一言で孔亮と朱武の狙いに気付けた者はその智謀に戦慄さえ覚えたのだ。
こうして心強い仲間がまた一人。梁山泊へと加わろうとしていた。
一方その頃滄洲では。
柴進のもとへと赴いていた林冲達が、今まさに王倫の夢での出来事と現実で遭遇しようとしていた。




