第5話 名もなき獣人の少女
『金運』が発動した?
俺の中で少女とのつながりを強く感じる。
こんなことは初めてだ。
一体なにが——
「うぐっ...」
俺は突然の苦しみに、地べたにうずくまった。
「あ、主...様っ...!」
少女が俺に駆け寄ってくる。
まずい、アドレナリンが切れた。
膝が笑って立っていられない。
全身が痛みでガクガク震えている。
やばい、鎮痛剤って持ってきてたっけ。
俺はガサゴソとカバンに手を入れて探る。
「...クッソぉ」
やべぇ、忘れてる。
終わった。
「わ、悪い。肩貸してもらって…いいか...?」
早く家に帰って薬を打たないと。
「っは...はいっ!」
少女は俺の声を受けて、俺の肘を自分の首に回し、肩を入れて持ち上げた。
やはり、少女は体躯に似合わない膂力を発揮する。
「うぅっ...」
「わぁっ」
しかし、バランスを崩し俺は地べたに落ち、少女は尻餅をついた。
俺の身長は178センチだ。
普通に考えて小学生くらいの女の子が支えられるような体格差ではない。
とはいえ、俺は支えがないと到底、歩くことはできない。
最終的に、少女に腰のあたりを掴んでもらい、俺が肩に手を置くことでなんとか歩いて家に向かうことができた。
***
「はぁ…うっ...はぁっ」
やばい、気持ち悪い。
家の近くに差しかかったあたりで、急激に体調が悪くなり始めた。
トイレを我慢して帰宅すると家の前で漏れそうになるあの感じを思い出した。
早く薬を...。
内臓が締め付けられ、全身の痛みで汗が噴き出す。
「うぅっぷ...」
あぁ、吐きそう。
まじでゾンビ戦法なんかしなきゃよかった。
クソぉ、気持ち悪い。
「はぁはぁ…主...様っ」
少女は必死に俺の体を支え、俺の歩幅に合わせて小さな足を大きく踏み出して歩いている。
なぜだか、それを見ると俺も頑張ろうという気持ちになれた。
***
——ドタドタ
俺は家に着くや否や、ドアを蹴り開け階段を駆け上った。
足を踏み外して、転んで顔をぶつけるが、気にもせずに這いずって一直線に部屋へと向かう。
「主様っ...!」
すかさず、少女が俺の下に入り体を支えてくれる。
もう我慢の限界だ。
死ぬ。
どうして俺は薬部屋を一階に作らなかったのか。
絶対に後で移動させよう。
そんな後悔をしつつ、何とか薬部屋にたどり着いた。
俺はすぐにドアの近くにある引き出しを乱暴に開け、目的の薬を探す。
「...あった!」
俺は精神抑制と鎮痛の効果のある薬を見つけた。
エピペンのように棒状で、突き刺せば薬液が注射されるタイプの状態異常回復のポーションだ。
「ふぅっ...うっ」
痛い...けど今の状態なら誤差みたいなもんだ。
俺は打ち込み終わったポーションを引き抜き、床に投げ捨てた。
「悪い...多分...気絶する。二時間かそこら...放っておいてくれ」
即効性の薬は一瞬にして俺を苦しみから解放した。
楽になった俺は意識が朦朧とし、今にも気を失いそうだった。
「えっ...えっ...あっ」
少女は困惑したようにあたふたしている。
「ごめ...ん」
そうして俺は、そのまま気を失った。
***
「...ん」
目を覚ますと俺は布団の中にいた。
ここは...薬部屋にあるベッドの上か?
俺は床で気を失ったはず...。
「あ、主様っ。失礼いたします...」
そう言って少女が、部屋に入ってきた。
「よかった...うぐっ...よかったぁ...」
「えっ、ちょっ」
少女は泣きじゃくりながら、布団に顔をうずめようにして俺に抱き着いてきた。
どうしたんだろう。
心配していてくれたのかな...。
「ふふっ」
俺は思わず笑みがこぼれ、自然と少女の頭をなでていた。
純粋な優しさが嬉しかった。
「うぐっ、うぅ」
少女は鼻水をすすりながら、まるで俺が生きているのを確かめるように手を握ってきた。
俺は彼女を金で買った。
『金運』の強制イベントだったから、助けたかったから、理由はいくつかあるが許されることではないだろう。
奴隷から解放するだけならもっと他に良い手段はあったと思う。
だが、理由はどうあれ彼女の人生を買ってしまった以上は責任をもって面倒をみる必要がある。
「えっと...」
俺は名前を呼ぼうとして、言葉に詰まった。
そういえば、名前をあの男...ガルドフだったか?
あいつから聞いていなかった。
「...?」
「君、名前は?」
「...わ...わたしに...なまえはない...です」
少女は少し目を泳がせて、最後には伏せて言った。
無い?
そんなことあるのか。
「そうか...」
無いと不便だな。
だが、テキトウに名前を付けるのも嫌だ。
こういうことは大事にしていきたい。
いや名前はこの際どうでもいい。
それ以上に確認しないといけないことがあるだろ。
俺も色々あって少し気が動転しているのかもしれない。
「ごめん…まず聞かないといけないことがあった。君は俺と奴隷契約したわけだけど…もし嫌なら俺は契約を解除してもいいと思っている」
俺はこの件において、この子の意思を一切聞いていない。
ないとは思うが、ガルドフのもとに居た方がよかったと言われるかもしれない。
そうでなくとも、俺の奴隷でいる必要はないのだ。
俺の『金運』があれば、一人の少女が自立できるようになるまで支援をすることくらいの資金は用意できる。
「いっ...いやっ!」
少女が叫んだ。
「えっ...」
少女は目に涙を浮かべている。
予想だにしなかった答えだ。
「ご...めん...なさい。でもっ...」
少女は言葉を止め、布団を強く握った。
どうしたんだろう。
このくらいの年の子と関わったことがないから対応の仕方がさっぱりだ。
いや、そもそも奴隷の少女の気持ちなど俺に推し量ることなどできるはずもない。
「大丈夫...何か言いたいことがあったら言っていいよ。ちゃんと聞くから」
俺はもう一度、少女の頭をなでた。
この子は、出会った時から全身に傷を負っていた。
俺が見つけた時も、ガルドフに鞭で打たれていた。
この世界で奴隷がどのような扱いを受けているのか、どの程度権利が保障されているのかわからない。
もしかすると、発言の自由が一切なくて意見を持つことすら許されていなかったかもしれない。
自分が何かを求めるのはおこがましい。
もし、そんなことを感じて生きなければならなかったのだとしたら、俺は...俺だけはせめてそう感じさせないようにしたい。
「えっと...その...」
少女はなおも、言葉に詰まる。
口をパクパクさせ、布団を必死に掴んでいる様子から何か言いたいことがあるのは間違いない。
でも、それがどうしても言葉にならないのだろう。
その気持ちはよくわかる。
「大丈夫、ゆっくりでいいから」
俺はそう言って、少女の手を握った。
すると、少しだが肩から力が抜けたように見えた。
「わ...わたしは...主...様...といっしょにいたい...です。主...様...におんがえし...がしたい...です」
恩返しなんて、俺は返されるだけの何かをした覚えはない。
仮に、彼女が奴隷としての義務感で俺に尽くそうと考えているなら、そんなものは必要ない。
「別に、責任を感じる必要はないんだよ。俺が勝手にやりたくてやったことなんだから。君が自由になりたいと思うなら俺は——」
「ちがっ...!」
少女は俺の言葉を遮った。
そして前のめりになって言った。
「わ...わたしが...主...様と...いっしょ...いたい...です。めいわく...おかけする...かも...。でも...おやくにたちたい...」
少女は必死に言葉を紡いで言った。
その言葉が嘘でないことは、頬を赤らめ、俺を真っすぐ見る目からはっきりとわかった。
「だめ...ですか...」
「ふふっ...あははっ」
「えっ...うっ...」
「あぁ、違う違う。ふふっ」
駄目なわけがあるか。
こんなに真っすぐ一緒に居たいなんて言われたのは生まれて初めてだ。
人から純粋な好意を向けられることがこんなに、嬉しいだなんて今まで知らなかった。
「うん、いいよ。一緒に居よう」
「えっ!」
こうして、名もなき獣人の少女との二人暮らしが始まったのだ。
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