第3話 やはり上手くはいかない
階段を下りると、地下に少し広い空間があった。
「うぅ…」
しかし、酷い匂いだ。
小学生の頃に行った、動物園のバックヤードの匂いを思い出した。
周囲を見ると、檻にたくさんの人が入れられている。
亜人だけではなく人類種もだ。
性別も種族も関係なく、等しく檻に閉じ込め鎖につながれている。
あながち動物園というのも間違っていないのかもしれない。
「では、少々準備をいたしますので、こちらでお待ちを」
そう言って、男は部屋の奥にある扉に消えて行った。
「......」
少女は依然として死んだ目をしている。
確かに、こんな環境で生かされるくらいなら死んだ方がマシなのかもしれない。
しかし、奴隷では死ぬことすら主人の許可がなければできないのだろう。
「えっと...これ...」
俺は肩にかけていたカバンから治療薬を取り出した。
上級魔法の回復がこめられたポーションだ。
「っ!!!」
——ドタン
少女は俺から距離を取ろうとして転んだ。
「ご、ごめん」
驚かせるつもりはなかった。
俺はただ、この薬を使って欲しかっただけで...。
どう接すればいいのかわからない。
「...」
それから、俺が少女に声を掛けることはなかった。
今すぐにでも怪我を治してやりたいが、無理やり何かをするのもよくないと思った。
男を待つ間、近くにいる少女からする血の匂いが、たまらなく辛かった。
***
「お待たせいたしました」
数分後、男はカートに瓶や紙を載せて戻ってきた。
契約の魔方陣の道具だろう。
契約の魔方陣は基本的に、その場で支払いができない場合に用いる契約書みたいなものだ。
しかし、契約書と違って契約を破った瞬間、魔法によって代償を強制的に支払うことになる。
そのため、契約の魔方陣によってなされた契約は絶対に履行されるという信頼がある。
「早いとこ済ませてくれ。息が詰まりそうだ」
「はっはっは。勇者様は気が早くていらっしゃる。このような場所に来ることもそう多くはないでしょう。この機会によくご覧になられては」
本当にこいつは正気なのかと疑いたくなる。
檻に閉じ込められ、食事を与えられているのかも、風呂に入っているのかも、怪しいような人を見たいと思うやつがこの世にいると思っているのか?
こんなところ今すぐにでも立ち去りたい。
「いいから早くしてくれ」
「はははっ、ではこちらにお立ちになっていただけますかな?」
そう言って男は魔方陣の描かれた床に俺を促した。
「...?」
これは契約の魔方陣とは違う...?
「勇者様には先に、これと奴隷契約をしていただきます。契約の魔方陣と違って少々、手順が複雑ですので」
なるほど。
しかし、こちらが先で本当にいいのか?
「大丈夫か? 俺が逃げるかもしれないぞ?」
「ははっ、ご冗談を。この場の奴隷は全て私との契約によって縛られております。戦闘奴隷もおりますゆえ、さすがの勇者様といえども逃げおおせることなど、叶いますまい」
まぁ俺には戦闘能力なんてないから戦力に関わらず、普通にこの人数に襲われたらお終いなんだけどな。
というか1体1でこの男に勝てるかすら怪しい。
「まぁ...そうだな」
すると、男は俺に紙を渡してきた。
「これは奴隷契約の魔法詠唱呪文です。私が合図をしたら詠唱を開始してください」
まじか。
俺が詠唱するのか。
文字は召喚の時に適応がどうとかで勝手に読めるようになっていたから大丈夫だけど、この世界に来てから魔法なんて使ったことないぞ。
「...わかった」
「では、まずこのナイフで血を魔方陣へ落としてください」
俺は男から渡されたナイフで指先を切り、床に描かれた魔方陣へ血を垂らす。
そして、男が少女の指を切り同じように血を垂らす。
「では、詠唱を開始してください」
「あ、あぁ。血と契約の礎...千の鎖に...これを縛る...」
詠唱を開始すると、床の魔方陣が輝きだした。
魔法が使えるのか不安だったが、大丈夫そうだ。
「...魂の回廊...永劫の時を経ても辿りつけぬ深淵へ...刻み...契約と成す」
つっかえながらも言い終えると、魔方陣は再び床の模様として輝きを失った。
「お見事です。さすがは勇者様」
これに見事とかあるのかと思ったが、まぁお世辞だろう。
しかし、終わってみると何か自分の中でつながりを感じる。
『金運』の気配に近いかもしれない。
確固たるつながりが、この少女とできたのだと直感でわかった。
その後、俺は契約の魔方陣にて800ギルゼの支払いを契約した。
期日は三日後だった。
奴隷の支払いだから、即日だと思っていたのだが、意外と親切だ。
まぁ普通は三日後に800ギルゼも用意するのは難しいんだけど。
「じゃあもう、行ってもいいな」
「えぇ...それはもう勇者様の物です。ご自由になさってください」
俺は枷を解かれた少女に一枚の布を巻き、外へと向かった。
***
「さて、どうしたものか...」
俺は横にいる、布一枚の少女を見て呟いた。
勢いに任せて奴隷を買ってしまった。
これが『金運』の起こしたイベントなら、少女を買ったことで何か俺の得になることが起きているはずなんだが...。
少女はただ、絶望した表情で動かない。
「とりあえず...」
俺は先ほど、渡しそびれたポーションを少女に使うことにした。
「これ、飲めるかな...?」
今度は驚かせないようにかがんで、最初に声をかけた。
そっとポーションの瓶を少女に差し出すと、疑うことなく、それを口に含んだ。
先ほどのような警戒はなかった。
もしかすると主人には抵抗しないという、認識があるのかもしれない。
ポーションを飲んだ少女の体からは傷が消えていく。
こころなしか表情も穏やかになったような気がする。
「...あ…ありがとう...ござい...ます」
少女は途切れ途切れに俺に感謝を述べた。
「......っ!」
初めて俺に対して口を開いてくれた。
俺はそのことがたまらなく嬉しかった。
「うんっ! どういたしましてっ」
少女は再びうつむき、黙ってしまったがそれでも良かった。
この子はコミュニケーションができないわけではないのだ。
時間を掛けてゆっくりと関わっていけば、少女の心を救うことができるかもしれない。
そうして俺は少女と一緒に家に向かおうとした——
「よぅ、兄ちゃん。ちょっといいか?」
「えっ...? ぐはっ!」
俺は腹に痛みを感じ、その場にうずくまった。
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