豆の配達とまかないの席
朝の宿仕事を一通り終えて、玄関の脇を見る。
昨日の夜に出しておいた空き籠が、そのまま置いてある。豆を受け取るための籠だった。今朝はまだ何も入っていない。籠の底に、夜のあいだの落ち葉が一枚だけ溜まっていた。それを拾って、籠を元の場所に戻す。
初夏の光が古道のほうから差している。風は乾いて、朝でもぬるい。客はまだ来ない。近いうちに豆の配達が来ると、ミラが言っていた。
厨房に戻って、まかないの下ごしらえをする。香草を洗って、水を切る。畑で摘んだばかりの葉は、洗うと青い匂いが立った。湯を沸かしかけたとき、古道のほうから軽い足音と荷の鳴る音が近づいてきた。
玄関に出ると、見覚えのある背中があった。配達袋を背負って、尻尾の先が歩くたびに少し揺れている。
「リコさん」
「あっ、こもれび亭さん。お届けに上がりました」
背伸びした言い方をして、それからすぐに崩れた。
「……久しぶり、です。ご無沙汰、してました。市の日に、会えなくて」
息が少し上がっている。古道を急いできたらしく、額に薄く汗が浮いていた。
「お久しぶりです。暑かったでしょう」
「平気です。これくらい、配達屋には……あっ、はい、暑かったです」
リコが配達袋を下ろして、なかから豆袋を一つ取り出した。
玄関脇の空き籠を一度だけ見て、それから迷わずに豆袋をそこへ置いた。置く向きも、籠のなかの位置も、確かめ直さない。受け取りの控えを袋の脇にそっと挟んで、手を離す。
その手元を横で見ていた。
「豆、雫村のさらに先のところからです。今年のはよく乾いてるって」
「ありがとうございます。助かります」
「あと……これは、おまけ」
リコが袋の口を少し開けて見せる。豆の上に、小さな草の束が一つ載っていた。
「途中の道で摘んだんです。匂いがいいかなって。いらなかったら、捨ててください」
「いただきます。匂い、確かにいいですね」
厨房の奥からミラが顔を出した。豆袋に目をやって、短くうなずく。
「来たか。助かる」
「ミラさん、お久しぶりです」
「次もな」
ミラは薪のほうへ戻っていった。
リコをまかないの席に通す。前に一度、配達のついでに席へ着いたことがあった。あのとき、椀が一つ増えた。今日も同じように椀を出す。
厨房に立つと、リコが鼻を小さく動かした。
「なんか、前と匂いが変わりました? 薬草っぽい、いい匂い」
「森の薬草師の方が、ときどき。棚に薬草を干しに来られて」
「へえ。私が来ない間に、いろいろあったんですね」
少しさびしそうに、それからすぐに笑った。配達の巡りは決まっていて、この宿に寄れるのは月に何度か。リコの知らない棚に、薬草の匂いが増えていた。
初夏の香草を効かせた軽い一皿を作る。届いた豆は、その場では使わない。乾いた豆は厨房の棚へ移しておいた。湯のみ棚・塩の袋・薬草の、その隣に豆の袋が一つ加わる。
まかないを出すと、リコはよく食べた。勢いよく、けれど背筋は伸ばしたまま。慌てて口の端を拭く仕草だけが、ときどき子どもっぽい。椀の底まで食べて、それから少し恥ずかしそうに匙を置いた。
「おいしいです。香草、こもれび亭のは、なんか違う」
「畑のものなので。摘みたてだからかもしれません」
「いいなあ、畑。私、土はすぐ乾かしちゃうから」
外の話を、リコがいくつか置いていく。雫村の市が初夏になって少し賑わってきたこと。新しい行商が、川のほうから入ってくるようになったこと。近ごろは小間物を担いだ行商も古道を通るから、そのうちこの宿にも寄るかもしれない、と。
「道で会ったら、こもれび亭のこと、教えてあげます。ここ、教えたくなる宿だから」
リコは得意げに言って、それからまた少し照れた。
ポポが食堂の隅で丸くなって、リコの椀の湯気のほうへ鼻先を一度だけ向けた。
食べ終えると、リコはもう次の荷の話をしていた。
「午後、雫村のほうにもう二件あるんです。日のあるうちに回らないと」
「お気をつけて」
「はい。豆、またあったら持ってきます」
玄関先まで送る。リコが配達袋を背負い直して、古道のほうへ歩き出した。来たときと同じ勢いで、けれど足の運びはもう慣れている。
一度だけ振り返って、軽く手を上げ、走っていった。
玄関の脇に戻ると、空き籠は空になっていた。豆はもう厨房の棚にある。籠を、また元のところへ片づけておく。
裏口のほうから、初夏の風が入ってきた。畑の香草の匂いが薄く混じっている。
灯里のまかない日誌より
三十日目。
豆が、ひと袋。
リコが、迷わずに来た。
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