乾燥棚の朝
灯里のまかない日誌より
二十七日目。
乾燥棚に、薬草。
森の人が、朝に来た。
客が発った翌朝は、よく晴れていた。
古道のほうから初夏の乾いた風が来て、物干し場の竿を細く鳴らしている。朝の支度の合間に、毛布を抱えて物干し場へ出た。
畑のほうへ目をやる。畑の香草は、初夏のあいだに丈を伸ばしていた。その畝の隅の乾燥棚のそばに、人影があった。
月の色の髪。薄い外套。腕に、薬草の束。
ネムだった。昨日の明け方に森へ戻ったはずの人が、朝の畑に立っている。毛布を竿に掛けてから、畑のほうへ歩いていった。
ネムは棚の布を脇へよけて、薬草の束を一つずつ掛けていた。手つきは慣れている。束の向きをそろえて、風の通る側へ少しずつ寄せていく。
「ネムさん……おはようございます」
「おはようございます、灯里さま。朝のうちに、少し干しておきたいものがありまして」
ネムは手を止めずに、こちらへ小さく会釈した。
「この棚を、またお借りしております。よく乾く場所でございます」
森の薬草師の棚だと、前にミラが教えてくれた。主の名は、そのとき聞かなかった。ネムが束を掛ける手元を見ている。
「埃を、払っておいてくださいましたね。棚の隅が、きれいになっておりました」
「……いつか、使う人がいるかと思って」
「ありがとうございます。おかげで、すぐに干せます」
ネムが束を掛けていく。隣で、一束だけ掛けさせてもらった。束の根もとを紐でひと結びにして、風の通る向きに掛ける。結び目がゆるいと、乾くまでに束が落ちるのだという。ネムは一度だけ手元で結んで見せて、それからこちらの結び目を指先で軽く締め直した。
束は、いくつかに分かれていた。朝に摘んだ香草・夜のあいだ森で集めた葉・小さな白い花のついた茎。名前は教えてくれなかった。代わりに、葉の形・指でこすったときの香り・乾きの早さの違いだけをひとつずつ示してくれる。香りは、どれも薄い。鼻を近づけて、ようやくわかるくらいだった。
「これは、夜のうちに森のへりで。月の光を吸った葉は、乾きがゆっくりで、香りが長く残ります」
「夜のうちに……。きのうの明け方に、森へお戻りになったかと」
「戻って、また来たのでございます。夜のうちが、わたくしの集めどきですから」
朝の光のなかで、ネムは少し眠そうだった。手は動いているけれど、返事は一拍だけ遅れて返ってくる。それ以上のことは、聞かないでおいた。
ポポは物干し場の竿の上で丸い。薬草の匂いが流れてくると、鼻先だけを一度動かして、また丸くなった。
ミラが、薪を運ぶ途中で畑のほうへ来た。ネムを見ても、驚かない。
「来てたか」
「ミラさま。棚を、また使わせていただいております」
「好きに使え。祖母の代から、そうしてる」
「ありがとうございます」
「蜂蜜は」
「次に来るとき、小瓶をひとつ。畑のものと、交換に」
「ああ」
ミラは薪を運びに戻っていった。
ミラの短い返事とネムの浅い会釈を、隣で見ていた。宿に来る前から続いていたやり取りの端が、そこに少し残っている。その端には、まだ触れないでおいた。
ネムが、掛けた薬草のうち一束を、こちらに分けてくれた。
「これは、朝の香草茶に。少しだけ入れると、初夏の朝に合います」
「ありがとうございます」
それを持って厨房に戻る。朝の香草茶を淹れるとき、もらった薬草をほんの少しだけ加えてみた。いつもの香草の匂いに、薄く別の香りが重なる。重なりすぎないくらいの薄さだった。
遅くなった朝餉の粥に一杯を添えて、ミラの分を食堂の机に置いた。薪をいったん下ろしたミラが、卓について粥を食べる。それから湯のみを取り、一口飲んだ。何も言わなかったけれど、湯のみを置くのが、いつもより少し遅かった。
厨房の棚に、薬草の置き場をひとつ作る。湯のみ棚・塩の袋・薬草。棚の端に、新しい一つが加わった。
昼が近づくと、ネムはいよいよ眠そうになった。
「そろそろ、森へ。昼の光は、少し重うございます」
「お気をつけて」
厨房の奥から、ミラが短く言った。
「また来い」
「お招きいただければ」
ネムは籠を腕に提げて、森のほうへ歩いていった。昼前の光のなかでは、夜の静かな足音とは少し違って、ゆっくりした歩き方だった。
その姿が、霧明の森のへりに紛れていく。
畑の隅の乾燥棚には、薬草の束がいくつも掛かっている。束の影が、地面に落ちていた。厨房の棚に置いた薬草を、もう一度見た。
乾燥棚の薬草が、初夏の風に揺れていた。
空のほうが、午後にかけて少しずつ重くなりはじめていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
少しずつ読んでくださる方が増えていて、とても励みになっています。
リアクションやブックマークも本当にありがたいです。
もし続きが気になる、面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。
次回も楽しんでいただけるよう頑張ります。




