初夏の朝の香草茶
玄関の戸を開けると、土の匂いが昨日より薄かった。
昨日の雨の名残りはもうほとんどない。空気は乾いている。庇の下を覗くと、昨日直したばかりの雨樋が水を流せる角度のまま乾いていた。
厨房に戻って香草茶の支度をする。春先の朝粥に合わせていた濃いめの配合を今日は変えてみることにした。暑くなりかけの朝には、もう少し軽いほうがいい。
生の葉を一枚減らす。湯気がまっすぐ立つ手前で、火を止めた。塩は棚の端の袋から、指先に残るほどだけ。生の葉・湯気の止めどき・指先の塩。変えたのは、それくらいだった。
これでいいかは、飲んでみないと分からない。
ミラが食堂に降りてきて湯のみを一つ取った。一口飲んで、短く言う。
「軽い」
「朝の空気に合わせてみたんです」
「ああ」
もう一口飲んで、湯のみを置いた。
「悪くない」
ミラは食堂の片づけに戻っていく。「軽い」と「悪くない」のあいだに、別の意味は読まないでおいた。
ポポは食堂の隅で丸い。湯気の少ない朝でも、机の脚のそばにいる。
昼が近づくころ、古道のほうから足音がした。いつもより重い、引きずるような足の運びだった。日はもう高く、庇の影がいちばん短くなる時刻だ。
玄関に出ると、旅人が一人、庇の影に入るように立っている。額と首筋に汗が浮いて、顔が赤い。背の荷は小さいのに、それを下ろす動きすらつらそうだった。日盛りの時間に古道を来たらしかった。
「すみません。少し、日陰と……水を、いただけますか」
声がかすれている。戸口の柱に片手をついて、ひと息ついていた。
「どうぞ。涼しいところへ」
食堂のいちばん奥の、涼しい隅へ通す。窓から乾いた風が通る場所だった。まず、水を一杯。旅人がそれをゆっくり飲み干す。
何か召し上がりますか、と聞こうとして、やめた。旅人は水の湯のみを両手で持ったまま、まだ息を整えている。重いものは、今は入らないだろう。
代わりに、今朝軽くした香草茶を、少し冷まして出した。薄い香りの、ただ軽いもの。
旅人が湯のみを手に取る。湯のみは、すぐには机に戻らなかった。一口、二口。薄い香りだけが湯気に残って、旅人の喉が小さく動く。
「……ひと心地つきました。重いものは、今日は喉を通らなくて」
「暑いですから。これなら、と思って」
無理にすすめはしなかった。湯のみの湯気が薄くなっていくのだけを、横で見ていた。
旅人はいちばん暑い時間を、食堂の影でやり過ごした。外の光は白く、古道の土は乾いて見える。食堂の奥は、石の壁のおかげで昼でもひんやりしている。時々、乾いた風が窓を通り抜けて、汗の匂いと香草の匂いをさらっていった。旅人は香草茶をもう一杯飲んで、しばらく窓の外の光を、まぶしそうに見ている。
日ざしが少し斜めになってきたころ、厨房へ戻った。米を少しだけやわらかく煮て、火から下ろす。井戸水を張った桶で鍋底を冷まし、人肌まで下がってから小さな椀によそった。香草を一枚だけ浮かべる。熱いものは、この暑さでは重い。
椀を出すと、旅人は少し迷ってから匙を取った。ひと匙、ふた匙。冷ました粥が喉を落ちていくのを確かめるように、ゆっくり食べる。
「……食べられます。これなら」
「よかった。歩く前に、少しだけでも」
半分ほど食べて、旅人は匙を置いた。それで十分だった。
日が傾きかけたころ、旅人が立ち上がった。
「助かりました。もう少し涼しくなってから、また歩きます」
「お気をつけて」
奥から、ミラが短く言った。
「水、持っていけ」
旅人は竹筒に水を分けてもらって、礼を言った。
旅人の足音は、古道の先でじきに聞こえなくなった。
夕方、物干し場の毛布を取り込んだ。日に当てたぶん、香りが少しだけ変わっている。
机の端には、旅人の湯のみがひとつ残っていた。食堂の灯りを落としても、底の香草の匂いは細く残っていた。
灯里のまかない日誌より
二十二日目。
香草茶、少し軽く。
暑さの客に、一杯。
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