道を覚えている、と言いながら
灯里のまかない日誌より
十五日目。
包み朝食、リコさんと。
「ちょっと遠いところ」、を試す日。
「灯里さん、今日もちょっとついでに、いいですか」
朝の片づけをしていると、玄関の鈴の音と一緒にリコが食堂をのぞきこんできた。配達のついでに、別の道を見せたいという。川辺に出かけてから二日後の朝だ。手を止めて、ミラのほうを振り返る。
「行ってこい」
ポポは暖炉のわきで、前足に鼻先をうずめて動かない。
慌てて包みを支度する。このあいだと同じく、暖炉で焼き直した黒パン・香草・冷ました香草茶を用意する。
「これ、いいですよね、本物の朝ごはん」
覚えていてくれたのが、少し嬉しかった。
古道を歩きはじめると、リコはこのあいだの川辺とは反対の方角に足を向けた。
「今日は、こっちです」
古道の途中でリコが「ここを曲がります」と一本目の脇道に入る。木の密度がさっきまでよりも増して、苔の匂いが少し強い。鳥の声は遠くなった。
川辺の朝と同じように、白い石・木の根・大きな倒木を、目で順に確かめながら歩く。
「ここの根っこを越えたら、次は石が三つ並んでいて、その先に開けた草地が……」
リコの言葉は前のときと同じ調子だ。地図を開く前に身体で覚えた道を辿っている。
リコの足が、ふと止まった。
「あれ」
根っこを越えたあと、リコの言っていた「並んだ石」は見当たらない。代わりに、視界の先には大きな苔の生えた切り株と別の細い分かれ道が二本あった。
「……あれ。こんな、なかったはず」
リコの声から、明るい背伸びが少し抜けた。普段は見ない、強張った肩。
リコをそっと見る。見えるのは、肩の張りといつもより浅くなった息だけだった。
地図を出すかどうかは、こちらから言わずにいる。
リコは少し黙ったあと、「ちょっとだけ待っててください」と地図を開いた。地図の上で、指が一度だけ迷う。
二本に分かれた道は、右側のほうが明るく見えた気がした。足が、そちらへ向きかけた。
「そこじゃ、ないと思います」
リコが首を振った。
「……はい」
見ていても、進む道まではわからなかった。
「リコさん、私も地図、見せてもらってもいいですか」
二人で地図を見た。地形は読めないけれど、リコが「ここがおかしい」と言っている場所だけは一緒に指で押さえることができた。
リコが短く言った。
「すみません、戻ります」
リコは耳を少し伏せたまま、根っこの手前の白い石まで戻った。地図は閉じず、片手で押さえている。
「ここまでは、合ってました」
そこからもう一度ゆっくり歩き直す。今度は石と根を確かめ、地図も時々開きながら進む。大きな倒木のところでリコが小さく息を吐いた。
「あった」
並んだ石は、根っこを越えたあとではなく、倒木を越えたあとにあった。リコの覚え違いだった。
間違えた場所がはっきりすると、リコの肩は少し下がった。地図の端を押さえ直した。息は少しだけ戻っていた。
並んだ石の先の開けた草地は、確かに気持ちのいい場所だった。けれど、たどり着いたリコの顔にはまだ少しこわばりが残っていた。その景色をゆっくり味わう余裕は、まだなさそうだ。長居はせずに、来た道を戻った。
白い石のところまで戻ったとき、リコの足がやっと少しゆるんだ。ここまでは合っていた、とリコが確かめた場所だ。
「リコさん、少しだけ座りませんか。せっかく持ってきたので」
包みを開くと、黒パンはもう冷めていた。それでもリコは両手で受け取って、ひと口かじった。
「……冷めても、おいしいです」
「冷めたパンは、慌てないで食べられるので。これは、これで」
リコは小さく笑って、それからようやく川辺のときのようにゆっくり食べた。迷って戻って、その道の途中で食べる冷えたパンには、朝に焼いたときとは少し違う味がある。
帰り道、リコは普段より静かだ。鈴の音も少し小さい。
「すみません、灯里さん。私、ちょっと、間違えました」
「私も、見えないことが、あるみたいです」
リコがこちらを少し驚いた目で見た。
「迷っても、戻ってこられました。それで、いいんだと思います」
リコは少し黙って、それからふっと笑った。
宿に着くと、ミラは薪を運んでいた。
「戻ったか」
薪を運ぶ手を止めず、何も聞かなかった。
リコは配達鞄の紐を締め直して、古道のほうへ向き直った。
「もう少し練習します。次は、道標もちゃんと見ます」
鈴の音が、いつもよりゆっくり、古道を遠ざかっていった。
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