川辺の朝ごはん
灯里のまかない日誌より
十三日目。
包み朝食、川辺で。
半分でいい、を、外でも一度。
夜明け前、黒パンを暖炉の端に置いた。
約束の朝。日が昇る前の薄明るい時間で、厨房はまだ少し冷たい。黒パンの表面が暖炉の熱でゆっくり香ばしくなっていくのを待ちながら、香草を一束ちぎる。焼き直したパンに少しはさんで布で包む。冷ました香草茶を小さな器に注いで蓋をする。粥は持ち運びにくいので今日は不採用にした。
誰かに連れ出してもらって宿の外に出る朝は、たぶんずいぶん久しぶりだ。仕事のために歩く朝ではない朝。
ミラが食堂を覗いて、短く言った。
「気をつけて行け」
はい、と返事をすると、ミラはもう薪のほうへ戻っていった。ポポは暖炉のそばで丸くなったまま、まだ起きていない。
包みを抱えて玄関に立つと、外から鈴の音が近づいてきた。
約束どおりの時刻にリコが来た。手を振りながら、笑って。
「お待たせしました」
「おはようございます」
「行きましょう。川辺、本当にいいんですよ。私の見つけた、いちばんの場所です」
古道に出ると、リコの歩幅は思ったよりずっと速い。それでもこちらに合わせて、少し緩めて歩いてくれる。朝の森は湿った苔の匂いがして、霧の名残が遠くの幹の隙間に薄く残っている。木漏れ日が落ちる道のあちこちで鳥の声がした。
地図を開く前に、リコは道端の白い石と、地面から飛び出た木の根を順に確かめながら歩いた。目で見るというより、足の裏で道をたどっているようだった。それからやっと地図を一度だけ開いて、確かめるでもなくすぐにたたんでしまう。地図はお守りみたいに首から下げているだけで、ほとんど見ていない。
「この道、雫村への配達でいつも通るんです。川辺は、白い石を越えた先のちょっと脇」
石と根で道を覚える子だ。たぶん、何度も歩いてきた道なのだろう。宿の中ではない場所を歩いている自分を、すこし他人事のように感じた。
古道から細い脇道を下りると、川辺に出た。
広くはないけれど、岸が苔と砂利でなだらかになっていて、座れる平らな石がある。朝の川は、まだ少し冷たい光を弾いていた。水音と、葉擦れ。鳥の声がさっきより近い。
リコは慣れた様子で平らな石に腰を下ろし、その隣をぽんと叩いた。
「ここ、座っても濡れないですから」
勧められた場所に、包みを抱えて腰を下ろす。
包みを開いた。香ばしい黒パン・香草の青い匂い・小さな器の香草茶。
「すごい。本物の朝ごはんだ」
両手で受け取って、笑った。二人で川を見ながら、ゆっくり食べる。
黒パンの端をかじると、焼き直した皮が小さく鳴った。香草の青い匂いが、川の冷たい匂いと混じる。リコは膝の上で包みを押さえて、こぼさないように少し前かがみで食べていた。
川面で朝の光が細かく揺れて、その照り返しが頬に届く。手が、次にやることを探していない。宿の厨房では、食べているあいだも目が次の鍋を追っていた。ここには追うものがない。川と、パンと、リコの横顔だけがある。それがどこか落ち着かなくて、けれど悪くなかった。
リコが半分ほど食べたところで、ふと手を止めた。
「半分でいい、って、このあいだ言ってくれましたよね」
「……はい」
「私、半分で止まらないから、全部食べちゃいますけど。でも、半分でいい、って言ってもらえるの、いいですよね。残してもいいんだ、って思えるから」
「半分でいい」は、食べる人にかける言葉だと思っていた。けれど川辺で聞くと、少し違って聞こえた。
リコは結局、ぜんぶ食べた。手元のパンを半分分けると、その半分もきれいに食べきってしまう。こちらも残りを最後まで食べた。
帰り道、リコはふと尋ねてきた。
「また誘っていいですか」
「はい。私からも、お願いします」
「次は、もうちょっと遠いところに行きましょうか。私、いい道、ほかにも知ってるんです」
そう言いながら、リコの指が首から下げた地図の端に触れた。開きはしない。けれど、知らない道の話をするときだけ、指がそこへ行くようだった。
鈴の音と、二人分の足音が古道を戻っていく。木立のあいだに、こもれび亭の屋根が見えてきた。
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