3 お茶会
マリア様に言われた通りにシャーリーン様を脅すと、あっさりお茶会に応じてくれた。
王宮の中庭、綺麗に整えられた花々に囲まれて、わたしとシャーリーン様は紅茶を飲んでいた。
紅茶を淹れてくれた使用人たちは、一礼をしてから退席した。近くで見守ってはいるが、会話が聞こえない距離で控えている。
「…………」
「…………」
……沈黙が重い。
脅して連れてきたんだからそりゃそうだろう。
「あの、単刀直入に言います」
わたしはティーカップを口から離し、シャーリーン様を見つめた。シャーリーン様は紅茶に視線を落としたままだ。
「わたしとマリア様に危害を加えるのをやめていただきたいのです」
「……何のことかしら?」
シャーリーン様はティーカップを持ち上げた。
えっ、ここまできてとぼけるの?
予想外の返事に、わたしは体が固まってしまった。
だって、「わたしたちを殺そうとしたナヴァロ様はあなたの差金ですよね?」とゆすられたから、シャーリーン様はこの席に座っているはずだ。
お茶会にいる時点で犯行を認めたも同然なのに、ここからとぼけるなんてどういうつもり……!?
「わたくしがナヴァロに指示したという証拠でもあるのかしら?」
「でもナヴァロ様が、シャーリーン様の名前を出して……」
「知らないわ、あの子が勝手に言っているだけでしょう」
ピシャリと跳ね除けられてしまった。
呆然とするわたしに、シャーリーン様の冷たい眼差しが突き刺さる。
「あのね、証拠もないのに人を殺人者呼ばわりするなんて失礼じゃない? あなたのほうこそ、王女に殺人の罪をなすりつけたと広めるわよ」
「……っ!」
確かにそうだ。わたしはナヴァロ様が呟いたのを耳にしただけで、確固たる物理的証拠があるわけではない。
こんなふうにとぼけられてしまったら、もう打つ手がないのだ。
……詰めが甘かった。
シャーリーン様がお茶会に応じたのは、わたしが孤立した状態で脅すため。
マリア様と相談できないように。
「……申し訳ございません」
「分かればいいのよ」
そう言って、シャーリーン様は持っていたティーカップをわたしの頭の上で逆さまにした。
「……っ!?」
紅茶がばしゃりと降り注ぐ。
ダージリンの香りが髪の毛を伝って広がっていった。
ぽたり、と紅茶が雫となって落ちる。
あぁ、なんか久しぶりだな、この感じ。
ルカ様に見初めてもらって、マリア様に弟子入りして……そんなに時間は経っていないはずなのに、魔女だと蔑まれた日々が遠い出来事のように思っていた。
実家にいた頃は、飲み物をかけられるなんてよくあることだった。
よくあること、よくあること。
少し前のわたしにとって、日常だった出来事。
自分に言い聞かせる。
最近、ちょっと勘違いをしてしまっていたな。
「似合っているわよ」
そっとティーカップをテーブルに置くシャーリーン様。その顔は、侮蔑の表情を浮かべていた。
「濡れてしまいました……」
髪、肩、腕と紅茶が滴り落ち、濡れてしまった手袋を外す。チラリとシャーリーン様を盗み見れば、勝利を確信して油断し切っていた。
わたしはその隙をみて、彼女の手首を掴んだ。
「な、なにするの!? 離しなさい! 無礼者!!」
わたしがやるべきことは、ここでショックを受けて凹むことじゃない。
以前のわたしなら失意に呑まれて脱力していただろうが、今は違う。やるべきことがあるのだ。
咄嗟の出来事で反応できずに慌てるシャーリーン様の声を聞きながら、わたしは脳裏に浮かぶ映像に集中する。
場所は王宮の大広間だ。舞踏会が開かされた場所。
大勢の騎士がいる。それからナヴァロ様と、彼の隣にいるのは──国王エヴァレット様。
舞踏会の開会宣言で謁見した以来、初めてかもしれない。
何を話しているかは聞こえない。
シャーリーン様はエヴァレット様に詰め寄ろうとして、動きが止まった。
喉を抑えて、呼吸が苦しそうにしゃがみ込んだ。
ずっと上手く息ができないまま──映像は途切れた。
この症状は……?
「離せって言ってるでしょう!!」
「きゃあ!」
シャーリーン様に手を振り払われ、その勢いでわたしは尻餅をついてしまった。
「ふん、あなたはそうやって地べたに座っているのがお似合いね」
シャーリーン様は鼻息荒く、そう言い残して去っていく。
シャーリーン様付きの使用人たちが慌てて彼女を追いかけていき、わたしに付いている使用人たちは手助けをしていいのか迷っていた。
そうよね……王女様に悪態つかれた姫を助けたら、同じ目に遭うかもしれないから。
わたしは手袋を付け直しながらゆっくりと立ち上がる。
「わたしは平気よ。片付けておいて」
「は、はい!」
使用人たちの返事を背中で受けながら、わたしは濡れた服を着替えるために、自分の部屋を目指して歩き始める。
それにしても、シャーリーン様の症状が何か分からない。
マリア様に対処法を教えてもらえば、もしかしたら彼女を助けられるかもしれない。
マリア様のところにも行かなければ……!
「いたっ……」
先ほど怪我をした足が、急に痛み出す。ちょっと傷口が開いたのかもしれない。わたしは片足を庇いながら廊下を進んだ。
「エリザベス? びしょ濡れじゃないか!?」
「あ、ルカ様……」
見つかりたくない人に見つかってしまった。
マリア様の指示でシャーリーン様とお茶会を開いたら、紅茶をぶっかけられたなんて、優しい彼に言えるはずがない。
そもそも、聖女に弟子入りする話でルカ様とは揉めている最中だ。
気まずい……。
ルカ様は駆け足でわたしに近づいてくる。
「えぇと……何でもありません」
「何でもないわけないだろう!」
愛想笑いを浮かべるわたしに、ルカ様は「紅茶か?」と鼻を動かした。
「そうです。紅茶を運んでいたら、転んでこぼして、自分に……」
「紅茶は使用人が運ぶだろう、嘘をつくな」
「…………」
一瞬で見抜かれた。
「誰かにぶっかけられたのか?」
「…………」
わたしはどんどん俯いていく。
顔を隠したい。逃げたい。怖くて目が見れない。
申し訳ない、早く謝らなくては。嘘をついたこと、わたしが自分の不幸は予知できない無能だということ。
「あの……」
「エリザベス……」
わたしが何か言う前に、ルカ様はわたしの手を取って跪いた。
「えっ!? ルカ様!? おやめください!」
「聞いてくれ、エリザベス」
真剣な声と瞳に、わたしは黙り込んでしまう。
「お前の意見も聞かずに聖女になるなと否定したこと、悪かった。何があったかは知らないが、今のお前を見て俺は胸が苦しくなった。守ってやりたいと思ったのに、全然守れていない」
「それは、わたしが勝手に……」
「俺を許してくれないか? そして、教えてくれないか? 何があったのか……」
「…………!」
そんな子供のような顔で懇願されたら、何でも許してしまいそうだ。
わたしは観念してことの顛末を説明するために、わたしの寝室の前でルカ様に待っていただいた。
使用人とともに着替えを済ませてから、ルカ様を招き入れる。
長い話になりそうだったので、ソファーに腰をかけてからわたしは順番に説明した。
怪我をしたこと、シャーリーン様を説得しないといけないこと、紅茶をかけられたこと。できるだけ簡潔に。
ルカ様はうなずきながら、真剣に耳を傾けていた。
「……というわけです」
理解していただけたかしら……?
わかりにくかったかもしれない、と思いつつ、恐る恐るルカ様の顔色を伺う。
「……お前は、そんなことをされてもなお、母様を救おうとしているのか?」
開口一番、ルカ様の声は怒りに塗れていた。
怒っていらっしゃる……が、何に怒っているのか分からない。
「助けるも何も、これから具合が悪くなる人を放っておくわけには」
「放っておけばいいだろう!」
ルカ様が勢いよく立ち上がった。反射的にわたしは目を瞑る。
激昂して立ち上がった両親は、必ずわたしを叩いた。その記憶と防御する姿勢が体に染み込んでしまっていた。
頭あたりに手を掲げて震えるわたしを見て、ルカ様は深呼吸を一つしてから静かに座り直した。両手を組んで額に押さえる。
「……俺は、今の父も母も好きじゃない、というより、嫌いだ。お前にそんなことをして、たとえ病気になろうと、自業自得だと思っている」
「ルカ様……」
冷静を取り繕うとしているが、その手は震えていた。
怒りで、だろうか。
自分の母親は断罪され、王宮から追放されたのだから、自分の母を守ってくれなかった今の王様と女王様を好きになれるわけがない。
物心ついた頃には、きっと自分に似ていない家族に囲まれていたのだろう。唯一血縁関係のある父は追放される母を見捨てた。
「ずっと、一人だったのですね」
「……!」
わたしみたいに。
わたしはそっと震えるその手を両手で包み込んだ。
「ルカ様の気持ち、お察しいたします。わたしも魔女と呼ばれ、家族から腫れ物扱いされていましたから……」
落ち着かせるように、安心させるように、わたしは微笑んだ。
「ルカ様のお母様を探すために、わたしエリザベス、全力を尽くすことを誓います」
あなたの心が少しでも安らぎますように。
もう一人じゃないと。
わたしはあなたのお嫁さんになったのですから。
「エリザベス……」
ルカ様の瞳は揺れていた。今にも涙が瞳の奥から溢れてきそうなくらい。
ルカ様の右手がわたしの頬に触れる。
「はい、エリザベスはここにおります」
手に頬を擦り寄せた。
「……っ」
ルカ様の手が少しびくりと震える。
ゴツゴツしていて、大きくて、温かい、男の人の手。
……ずっと、この手で触れていて欲しい。
「お前だって今まで辛かっただろうに、どうしてそんなに他人に優しくなれるんだ?」
ルカ様の顔がだんだん近づいてきた。
え……?
ルカ様の唇がわたしの唇に重なった。
キス、されて……?
驚きで目を見開いていると、我に返ったルカ様がバッと離れた。
ほんの一瞬の出来事だった。
「……っ! すまない!」
真っ赤になったルカ様は、袖口でわたしの唇を乱暴に拭き取る。リップが白い袖に付いてしまった。
唇の皮がめくれるんじゃないかと思うくらいの力でゴシゴシされる。
「い、いえ……」
わたしは呆然としてされるがままだ。
わたし、ルカ様にキス、を、されたの……?
わたしなんかと……?
なぜ……?
「本当にすまない。今日はもうゆっくり過ごせ、また改めてきちんと謝罪する」
「ルカ様、待っ」
ルカ様の唇と袖口はわたしのリップで赤く染まったまま、引き留める暇もなく出て行ってしまった。
頭の理解、整理がまったく追いつかない。
ただ残るのは、彼のぬくもりだけ。
わたしは人差し指で自身の唇をなぞる。
「…………」
お互い、本当に好きな人ができたら別れる約束なのに。
契約結婚なのに。
こんな気持ち、不毛なのに。
「顔が熱い……」
わたしはその場にしゃがみ込んで、しばらく動けなかった。
***
「この役立たずがッ!」
パァン!
シャーリーンの執務室に、乾いた音が響き渡った。
「…………」
白い頬に真っ赤な平手の跡を残されても、ナヴァロは何も言わない。
言えない。言い返せない。
そういう立場だから。
そう育てられてきたから。
逆らったところで、意味がないと。
「どうしてあいつらは元気で、一丁前に脅してくるの!? お前はわたくしが言ったことを忘れたのか!? 失敗したのか! このグズがっ!」
激しく唾を飛ばしながら、シャーリーンはナヴァロを怒鳴り続けた。
ナヴァロはスッと目を細める。
どうやらエリザベスに僕を差し向けただろうと脅され、お茶会に連れ出されたらしい。
単刀直入に嫌がらせをやめろ、と言われただけのようだが……この様子ではしばらくまともな会話は望めない。
謝り続けるしかないか。
「申し訳ありません……」
ナヴァロは頭を下げる。その頭を何度か叩いて、シャーリーンの鼻息はようやく静かになってきた。
目も合わせたくないので、九十度腰を曲げたままでいることにした。
「あの小娘どもが……!」
シャーリーンは強い意志を宿したエリザベスを思い出す。
使命感に満ち足りたあの目。人を憐れむような、あの目。
それは過去に断罪し、追放した聖女に似ていた。
藍色の髪を持ち、シャーリーンより若く、そして美しかった元聖女。
シャーリーンが受けるはずだった王の寵愛は、すべてあの女に奪われたのだ。
嫌な記憶が掘り起こされ、イライラが収まらない。
シャーリーンはぎり、と親指の爪を噛んだ。
「そもそも、舞踏会で毒を混ぜたのもルカの仕業だろう! あのクソ聖女の子供が、わたくしたちを恨んでないはずがない!」
彼女は頭を下げたままのナヴァロの髪の毛を乱暴に掴んだ。無理矢理顔を上げさせられる。
「痛っ……!」
「ルカを殺しなさい」
「それは、母様がずっと暗殺者を送ってますよね……!?」
「全部失敗しているの。あの男、想像以上に手強いわ。だから、お前が何とかしなさい」
シャーリーンの顔が息の届くところにあった。
ナヴァロ以上に白い肌。切れ長の瞳をこれでもかというほど見開き、小さな瞳孔がナヴァロを捕らえて離さない。
あまりの迫力に、ナヴァロはうなずくことしかできない。
「期限は一週間。できなかったら……殺すわよ」
「……母様の、仰せのままに」
ようやく解放されたナヴァロは足早に寝室へ戻った。
誰もいない部屋で、呼吸をする。
……ルカを殺せだって!?
しかも一週間以内に!?
とんでもない無理難題を提示されたことを再認識して、心臓がドクドクと脈打つ。
僕が弟を殺す……!?
……絶対に嫌だ!
そんなことに手を染めたくない!
人を殺すなんて、僕にできるわけない!
「母様が自分でやればいいのに……」
ボソリ、と呟いて気づく。
そうだ、母様だって暗殺者だの刺客だの、他人に依頼して実行してきたはずだ。僕だってそうすればいい。
使用人でも脅して実行役にさせよう。足がついたら、僕だって母様のせいにするしかない。
──「できなかったら、殺すわよ」
血の気が引いた、というより、人の血が流れていないかのようなシャーリーンの表情が脳裏に流れ、ナヴァロは身震いした。
できなかったら、僕が死んでしまう。
「……やるしか、ないんだ」
ルカ暗殺は使用人にやらせるとして、僕はできるだけ成功率が上がるように場を整えなければならない。
そのために何が必要か。
あるいは、何が邪魔なのか。
「エリザベス……」
そうだ、あの女が母様を脅したから僕がこんな目に遭っているんだ。
あいつが現れてから、全部おかしくなった。
あいつが大人しく舞踏会で捕まっていればよかったんだ。
そうすれば全部今まで通りだったのに……!
「まずは、エリザベスを消す……!」
ナヴァロの目に、光は宿っていなかった。
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