90.治療の開始
数十分の時間が経って、血の拘束は薄れて消えた。
「色んな人と戦ってきたけど、こんなの見たことない。うん、やっぱり殺すには惜しい人だわ」
ジークを見ながら、ふわりと微笑む。それは妖艶な女の笑みだったが、気絶したように眠っているジークはそれに魅了されることはない。いや、仮に起きていたとしてもそんなことにはならなかっただろうが。
「でも、このままじゃ死んじゃうわよね」
ジーク自身は穏やかな表情で眠っているが、左腕の切り口は見るも無惨な姿になっている。切断面自体は刀の切れ味とアマカの技量によって芸術的なまでに綺麗だった。しかし、その後のジークの処置のせいで、およそ修復不可能としか思えないほどに焼けただれている。止血こそ出来ているが、それだけだ。このまま生きていけるとは到底思えない。だが、アマカなら絶対に無理というわけではない。彼女の治癒魔法の技術は卓越している。もっとグロテスクになった自分の体を治した経験もある。
「こういう時だけ、魔術師が羨ましくなるわ」
今は何より魔力が足りない。アマカはスイゲツの家が自分達の体と血を使い何代にも渡って『品種改良』をしてきた上での最高傑作であり、魔力の回復力も体力の回復力も常人とは比べ物にならない。それでも今は自身の傷を悪化させないようにするのが精一杯だ。
「取りあえず、メディちゃんのところに連れて行かなきゃね、言い訳は……その時考えればいいか」
軋む体で崩れた体を支えて歩き出す。落ちた大剣を一瞥し、後で拾えば良いだろうと思い直して歩き出す。宿まではそう遠くないが、死体じみたジークの体は重い。息を荒げながら、一歩一歩を踏みしめた。
***
「メディちゃん!起きて!ジーク君が!」
扉を激しく叩き、メディを起こそうとする。普段のメディならば無視して眠ったかもしれないが、ジークという単語が含まれていれば、その限りではない。
「ジークがどうした!」
戸が吹き飛びそうな勢いでメディが部屋から飛び出た。乱れた髪が口の中にまで入っている。そして、アマカの背で死んだように動かないジークを見て鋭く息を吸い込んだ。
「えっとね、これは……」
「話は後だ!兎に角布団に移せ!クソッ!また私のいないところでこいつは……!!」
怒っているようで、彼女の語尾は涙声になっていた。大切な人がこんなことになっている間に、自分は悠長に寝ていたのか、彼はまた自分のいないところで勝手に傷つくのかと、悔しさと寂しさがない交ぜになった感情が、メディの胸を締め付ける。ジークの胸に顔をこすりつけ、文句を言いながら泣きじゃくってしまいたい。しかし、今ジークは生死の境を彷徨っている。それなら治して思いっきり文句を言ってやるという、半ば自棄な感情が彼女を突き動かしていた。
ベッドにジークを寝かせ、服を脱がして傷口を看る。一流の魔術師であるメディから見ても、治癒は困難であることが見て取れた。
「私も手伝うわ、これでも治癒魔術には心得があるの」
そう申し出るアマカを見る。彼女の体もジークほどではないがボロボロで、魔力の乱れが見て取れるほどだ。
「邪魔だ。そんな体で魔法が暴走されたらジークが本当に死ぬ」
冷たく突き放す。今は問いただす余裕もないが、ジークをこうしたのはアマカの仕業だろうと推測していたし、事実その推測は的中している。仮にメディの十倍治癒魔法の技術が優れていても、メディは任せないだろう。
「わかったわ、でも、手伝えることがあったら言って頂戴。私はジーク君に危害を加えるつもりは無いから」
「……怪しい動きはするな、そうすれば助手の役割くらいはくれてやる。とりあえず包帯を持ってこい。主な処置はそれでする」
多少の不信と怒りを孕みながらも、落ち着いた指示をするメディに、アマカは静かに頷いた。




