↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/12

#11 3日開けなかった手紙

ガレス・ドナヴァンとの面接は、私の「傾聴の間」の、最も重い案件となった。


彼は、他の患者たちとは異質だった。彼は、部屋に入ってきたとき、まるでそこにいること自体が、何らかの「侵入」であるかのように、壁際の一番暗い場所に身を寄せた。彼の纏う空気は、重く、乾いていた。それは、長年の戦場と、それに続く静寂が作り出した、一種の「石の匂い」のようだった。


私は、彼が座るのを待った。彼は、私を睨みつけることもなく、ただ、その場に存在していた。


「ガレスさん」私は、静かに声をかけた。


彼は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、深い森の底のように、光を吸い込んでいた。


「女神は、何人よこせば気が済むんだ」


その言葉は、問いかけというよりも、むしろ、諦念に満ちた、事実の陳述だった。私は、彼が他の治癒官の存在を知っていることを理解した。この国には、私以外にも、この「整備係」が送り込まれてきたのだ。


私は、彼が発した言葉を、そのまま受け止めた。反論はしない。彼が「気が済む」という言葉の裏に隠された、国家の焦燥感、あるいは、彼自身の疲弊を、私はただ静かに受け止めた。


「以前の治癒官殿は、どのような結果を?」私は尋ねた。


彼は、私の問いに、一瞬だけ、鋭い視線を向けた後、再び視線を落とした。


「結果、か。結果は、いつも同じだ。一時的な静けさ。そして、その後に、もっと深い沈黙が訪れる」


彼の言葉は、詩的でありながら、極めて事務的だった。彼は、この「治療」という行為が、単なる精神的な回復ではなく、ある種の「消耗戦」であることを、既に理解していたのだ。


私は、彼が語り始めた、その断片的な記憶の輪郭を、そっと観察した。それは、他の患者たちの持つ、激しい炎のような、あるいは鋭利な刃のような輪郭とは違った。ガレスの傷は、古く、深く、そして何よりも「乾いていた」。それは、感情が枯れてしまったような、硬質な傷だった。


「あなたは、何が辛いのですか」私は尋ねた。


彼は、私の問いを、まるで馬鹿げたものを見るかのように見下ろした。


「辛い、だと? 辛いのは、戦場だ。戦場は、血と土と、そして、明確な敵がいる。だが、今の俺の苦しみは、形がない。それは、形のない『記憶』の残骸だ」


彼は、言葉を選んでいる。その一つ一つの単語が、重く、計算されているように聞こえた。


私は、彼が語り始めた、その「形のない記憶」の輪郭を、そっと観察した。それは、彼が「語りたくない」と無意識に防衛している、最も重要な部分だった。


「4年前の魔王討伐の時、あなたは、誰かと共に戦っていたのですね」私は、最も安全で、最も事実に基づいた問いを投げかけた。


彼は、その問いに、初めて、わずかな反応を示した。彼の指先が、膝の上で、微かに震えた。


「アルフレート」


その名前が、静寂を切り裂いた。


「アルフレート」


私は、その名前を、ただ繰り返した。彼の口から出たその響きは、私自身の胸の奥底に、鋭い痛みを走らせた。


彼は、その名前を口にした瞬間、まるで何かに触れられたかのように、息を詰まらせた。


「彼は、2年前、死んだ」


その告白は、あまりにも淡々としていて、あまりにも事実として突き放されていた。


「公式記録では、旧傷の悪化による病死、とある」


私は、その言葉を、ただ受け止めた。この世界では、真実が、国家の都合によって、いかに容易く「病死」というラベルに塗り替えられるのかを、私は肌で感じていた。


「その記録は、真実ですか」私は尋ねた。


彼は、私の目を見つめ返した。その視線は、私を試しているようでもあり、同時に、私を「理解できる人間」として見ているようでもあった。


「真実か。それは、誰が『真実』と定義するかによる」


彼は、さらに言葉を続けた。


「だが、俺が知っているのは、彼が、2年前の、ある日、私に手紙をくれたことだ。そして、俺は、その手紙を、3日間、開けなかった」


私の呼吸が、浅くなった。


3日間。


私は、その「3日間」という数字に、全身の血が凍りつくのを感じた。


ハルト。私の前世のクライアント。あの時、彼は私に尋ねた。「先生は、誰に話すんですか」。私は、その問いに対し、何と答えたのだろう。私は、彼が抱える苦痛を、自分の「専門知識」という名のフィルターを通して処理しようとした。私は、彼が「話す」という行為そのものを、自分の手で「管理」しようとしたのだ。


私は、あの時、彼に「大丈夫です」と答え、話題を変えた。私は、彼が「誰に話すのか」という、最も根源的な問いを、自分の都合で封じ込めてしまった。


そして、彼は死んだ。


ガレスの「3日間」という行為は、私の「3年間」という沈黙と、あまりにも酷似していた。


私は、彼の言葉を遮らず、ただ、その沈黙の重さを、全身で受け止めた。


「なぜ、開けなかったのですか」私は、努めて静かに尋ねた。


彼は、深く息を吐き出した。その吐息は、長年の重荷を押し出すかのように、微かに震えていた。


「開けたときには、もう遅かったからだ」


その一言が、私の内側で、何かが決定的に崩れ落ちる音を立てた。


私は、彼に、この「3日間」の重みを、この「手紙」の持つ意味を、全て理解させようとした。私は、彼が抱える「未処理の記憶」の輪郭を、私の技術で、そっと引きずり出そうとした。


だが、その瞬間、私は悟った。


私は、彼に、あの時、ハルトに言ったのと同じ過ちを犯そうとしている。私は、彼の「沈黙」を、私の「治療」という名の「解釈」で上書きしようとしている。


私は、彼が抱える、アルフレートという人間を覚えているという、その「倫理的な立場」を、私の「善意」で踏みにじろうとしていた。


私は、その手を、止めた。


私は、彼に、何も言わなかった。


「ガレスさん」私は、静かに言った。「あなたの、その気持ちは、私には理解できません」


彼は、その言葉に、驚いたように目を見開いた。それは、彼が予想していた「共感」や「分析」ではなかったからだ。


「理解できない、と?」彼は、初めて、私を真正面から見据えた。その瞳には、怒りではなく、深い諦めが宿っていた。


「ああ。私は、あなたのその『選ぶこと』の重さを、まだ知らない」


私は、彼に、治療を提案しなかった。私は、彼が抱える「沈黙」を、そのまま、この部屋の中に残した。


彼は、その沈黙を受け入れた。そして、ゆっくりと立ち上がった。


「ありがとう、治癒官殿」


彼は、そう言うと、部屋の隅の暗がりへと、静かに消えていった。


私は、その場に、一人残された。私の手は、無意識に、自分の胸元を押さえていた。私の呼吸は、浅く、速くなっていた。


私は、ハルトの最後の問いを思い出した。


「先生は、誰に話すんですか」


私は、彼に、何と答えたのだろう。私は、彼が「話す」という行為を、自分の「専門知識」という名の「管理」で上書きしようとした。私は、彼が「誰に話すのか」という、最も根源的な問いを、自分の都合で封じ込めてしまったのだ。


私は、ガレスに、何も言わなかった。


私は、ただ、この部屋の隅に、彼が残していった、重く乾いた沈黙を、そっと置いてきた。それは、私自身の、最も残酷な「未処理の記憶」の、最初の、そして最も痛烈な反響だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。