第83話 六年ぶりの再会
天文二十四年(1555年)、六月。
伊勢国、員弁郡、山口、山口城。
門前では倒れた柵が外され、道を塞いでいた材木が脇へ積み直されていた。城内から集めた槍や弓は蔵の前へ運ばれ、武装を解かれた藤田の者たちが、呼ばれるたびに一人ずつ城内へ入っていく。
俺は門を出たところで足を止め、後ろから来た可成へ向き直った。
「山口は三左衛門に預ける。城だけじゃない。ここへ集める連中も、お前の下で働かせてくれ」
「某に、城までお預けになるのでございますか」
「ああ。尾張で言っただろ。兵が増えれば兵を預ける。城を取れば、城も預けるって」
「……覚えておられましたか」
「俺が言ったことだからな」
あの頃は、約束しても渡せるものがなかった。今は第一大隊を任せ、その兵で取った城が目の前にある。可成は門内へ一度目をやり、改めて俺へ頭を下げた。
俺は蔵の前に集まる藤田の者たちを示した。
「藤田と梅山の旧臣で、こっちに仕える者は山口へ送る。元は何をしていたのか聞いて、兵に使えるなら兵へ入れろ。ほかに任せられる仕事があれば、そっちでもいい」
「家ごとに兵を抱えさせるのではなく、一人ずつ役目を決めるのでございますな」
「ああ。元の家中を、そのまま残す必要はない」
利家は東禅寺へ戻り、戦場の片付けに続いて城も壊すことになっている。こちらへ移すのは、すでに降っている吉綱、佐兵衛、大蔵介、範者に、今回城を開いた義晃と左馬允を加えた六人だ。元の城へ置いておくより、可成の目が届く所に集めた方がいい。
範者の名を出すと、可成がその扱いを確かめた。
「主計頭は傷を負っております。すぐに働かせるのは難しいかと」
「本人には次も先鋒だと言ってあるが、傷が塞がるまでは休ませていい」
俺は門前に広げた絵図へ戻り、上平野と野尻を指した。可成も隣へ来て、腰を下ろす。
「この二つは壊す。古田は残す」
「古田を残すのには、何かお考えが」
「理由は後で話す。それより、尾張から連れてきた者で城を預けられる奴はいないか。古田と上木、下笠田に一人ずつ欲しい」
「新右衛門、五郎右衛門、彦左衛門なら任せられます」
可成が挙げたのは、林新右衛門通安、武藤五郎右衛門兼友、肥田彦左衛門直勝だった。通安は可成の舅で、兼友と直勝も尾張から従ってきた家臣だ。
俺は三つの城の位置を示した。
「誰をどこへ置く」
「古田は新右衛門、下笠田は五郎右衛門、上木は彦左衛門と考えております」
「上木は主計頭に預けて片山勢もそこへ置くから、彦左衛門を目付に付けてくれ」
「では、傷が塞がるまでの差配と、主計頭が出陣した折の留守は、彦左衛門に任せます」
「ああ。ただし、遅参の咎を許して上木を返すわけじゃない。城も兵も、三左衛門の指図に従わせろ」
可成は上木の位置を確かめ、古田へ指を移した。
「古田の兵はいかがいたします」
「残して使っていい。ただし、これからは新右衛門の指図に従わせろ。治部本人は山口へ移す」
兵の入れ替えも、この際に済ませる。俺は絵図の治田から上木、下笠田へ指を移した。
「藤吉郎が戻ったら、この三城も兵を替える。今連れている三百を百ずつ入れて、置いてある三百を戻せ。戻した兵は、また藤吉郎に預ける」
「第四大隊として集め直すのでございますか」
「ああ。三つに分かれていたから、揃えて動かすところからやらせる」
「では、某は藤田と梅山の者の聞き取りを始めます。弾正左衛門たちの居場所も、その間に決めておきましょう」
「頼む。俺は先に江野へ戻る」
山口を出る頃には、可成が藤田の者を呼び始めていた。門前で待っていた男が一人、兵に促されて城内へ入っていく。その脇を抜け、俺は帰りの道へ馬を進めた。
* * *
江野へ戻ってから数日は、員弁から使者が続いた。上平野と野尻の城も壊され、政澄は六百を率いて朝霧へ帰ったという。東禅寺では利家が片付けと破却を済ませ、山口では可成が旧臣の聞き取りを進めていた。
秀吉が戻ったのは、その後だった。治田、上木、下笠田で兵を入れ替え、連れ帰った三百もすでに集めてある。
屋敷へ来た秀吉は、当面の教練について話し始めた。
「三つに分かれておりましたので、二、三日は一緒に動かします。使番も混ぜて、命が届かぬところや列の詰まるところを直しておきたいと思います」
「藤吉郎に任せる。二、三日で足りなければ延ばしていい」
「では、そのようにいたします」
七月に入る頃には、湯場の上客用の館も人を泊められるところまで仕上がった。いきなり義賢を迎えるわけにもいかないので、最初に一晩使わせたのは継潤だ。
翌朝、戻ってきた継潤を呼び止めた。
「泊まってみて、何か困ることはあったか」
「一晩過ごす分には問題ございませぬ。御屋形様がお連れになる人数が決まれば、それに合わせて世話をする者を置けばよろしいかと」
「なら、支度を進めよう。善祥坊、それが済んだら観音寺へ行き、員弁の仕置きを終えたと御屋形様へ報告したうえで、湯場にも一度お越しいただきたいと伝えてくれ」
「日は御屋形様の御都合を伺ってまいります」
「頼む」
継潤を送り出す頃、俺も清洲へ行く支度を始めた。信長が城を移った祝いに、清酒、ビール、蒸留酒、漆器、それに椎茸を持っていく。品を届けるだけなら使者で済むが、今回は本人と話しておきたいことがあった。供には政基と秀吉を連れていく。
* * *
尾張へ入ると、秀吉が道沿いへ顔を向けることが増えた。荷車が村へ入ればその行き先を追い、道端で荷を積み替える者がいれば、馬を進めながら手元を眺めている。
俺は秀吉へ馬を寄せた。
「やっぱり気になるか」
「生まれた国でございますから。以前通った頃より、荷車が増えたように思います」
政基が横から声を掛けた。
「上総介様は、藤吉郎のことも覚えておられるかな」
「そこが少し気になっております。十兵衛様は忘れておられぬでしょうが、わしまでとなると」
俺は那古野でのことを思い出した。
「相撲場で猿とまで呼ばれたんだ。案外そっちの方を覚えてるかもしれないぞ」
「それは忘れていただきたいのでございます」
政基が笑いながら続けた。
「日吉丸だと訂正までされたからな」
「弦十郎殿まで楽しそうにしないでくだされ」
清洲が近づくにつれ、荷車だけでなく、荷を負った人の姿も増えてきた。
俺は前を進む列へ目を向けた。
「上総介殿が城を移したからか」
秀吉も城下へ続く道を眺めた。
「家臣も移れば、米や薪を買う先が変わりますからな。商人も客を追って来るのでしょう」
政基が俺を見た。
「十兵衛様。町へ寄る前に、まず城へ行ってくだされ」
「分かってるよ」
「六年前のことがございますので」
「今回は、上総介殿に連れ回される前にこっちから会いに行くんだ」
秀吉が吹き出した。
「また道の真ん中におられたら、どうなされます」
「今度は避ける」
二人は顔を見合わせた。そこまで信用がないかと思ったが、言い返すと長くなりそうなので、城へ向かって馬を進めた。
城門前には兵のほかに荷車や馬が並び、使者らしい武士も何組か控えていた。荷を下ろす者と運び込む者が行き交う中で名を告げ、取次を待つ。
しばらくして、長秀が城内から出てきた。
「橘殿。お久しゅうございます」
「万千代。久しぶりだな」
「今は五郎左衛門にございます」
「ああ、そうだったな。五郎左衛門」
長秀が笑った。
「橘殿も、もう小徳丸ではございませんな」
「ああ。今は十兵衛だ」
案内されて城内へ入り、廊下を進む間に互いの近況を話した。長秀は清洲へ移ってからのことを、俺は近江から伊勢へ出たことを伝える。込み入った話には触れないまま、人の少ない所まで来た。
俺は少し声を落とした。
「五郎左衛門。前に誘った時とは、こっちの事情も変わった。今なら兵も城も任せられる。それでも橘へ来る気はないか」
「ありがたいお話にございます。ただ、某は上総介様にお仕えしております。お仕えする先を変えるつもりはございません」
「そうか。なら、これで最後だ」
「もう、お誘いにはなりませぬか」
「二度聞いて、二度とも断られたんだ。これ以上は誘わない」
長秀は足を止め、俺へ頭を下げた。
「申し訳ございません」
「謝ることじゃない。自分で決めたんだろ」
長秀が顔を上げ、再び先へ立った。廊下を曲がったところで、女房衆を連れた少女が向こうから来る。長秀が脇へ寄ったので、俺も隣へ避けた。
少女は長秀へ軽く頷き、俺へ目を向けた。
「五郎左衛門、その方は?」
「近江の橘殿にございます。上総介様への御祝いに参られました」
少女が頭を下げたので、俺も礼を返した。それ以上の言葉はなく、女房衆を連れて通り過ぎていく。
角を曲がる前に一度だけ振り返った少女を見送り、俺は長秀へ尋ねた。
「今のは」
「上総介様の妹君、お市様にございます」
織田市か。信長の妹だと聞いて、もう一度そちらへ目を向けたが、市はすでに廊下の角を曲がっていた。
* * *
広間へ通されてしばらくすると、信長が入ってきた。俺の顔を見るなり笑っている。こちらは姿勢を正し、まず頭を下げた。
「橘十兵衛にございます。清洲御移りの祝いに参りました」
「気色の悪い挨拶をするな、小徳丸。前のように話せ」
「今は十兵衛だ。上総介殿だって、あの頃は那古野にいただろ。俺だけ昔の名で呼ぶなよ」
「六年ぶりに会って、最初に言うことがそれか」
「こっちの台詞だ。六年前だって、最初に道を塞いだのはそっちだろ」
「まだ覚えておったか」
「あれを忘れる方が難しい」
信長は笑い、後ろの政基へ顔を向けた。
「そちらは、あの時の護衛か」
「今井弦十郎にございます。以前も十兵衛様のお供をしておりました」
「今も変わらずか」
「はい」
秀吉も続いて頭を下げた。
「木下藤吉郎にございます。以前は日吉丸と名乗っておりました」
「日吉丸……相撲場におった猿か」
「猿ではございません」
即座に返され、信長は声を上げて笑った。
「そうであった。十兵衛にも日吉丸だと直されたな。今は藤吉郎と言うたか」
「はい」
「こやつまで残っておったか」
俺は秀吉を振り返った。
「残ってるどころか、今は三百預けてるぞ」
「三百を?」
秀吉が改めて頭を下げる。
「第四大隊を預けていただいております」
「ほう。日吉丸が兵を率いるようになったか」
「藤吉郎にございます」
「もう覚えたわ」
秀吉は返事を控えた。少なくとも、忘れられてはいなかったらしい。
信長が俺へ向き直った。
「それで十兵衛。お前は何をしておった。近江に籠もっておったわけではあるまい」
「酒を造って兵を増やして、今は伊勢にいる。この前は三嶽寺を攻めた」
「寺まで攻めるようになったか」
「山道を押さえて、兵を抱えていた寺だ。条件を伝えて二度使者を出したが、どちらも断られた。最後は向こうから使者を寄越させたが、それでも返事は変わらなかった」
「三度も話したのか。随分気が長いな」
「そこまで聞けば十分だろ。最後の使者は首を刎ねて供に持たせ、門を開ければ手は出さないが、閉じたままなら攻めると伝えさせて、朝まで待った」
長秀が横から口を挟んだ。
「三度までは、お待ちになるのでございますな」
何の話かはすぐに分かった。
「五郎左衛門は別だ。さっきので最後だよ」
信長が二人を見比べた。
「何の話をしておる」
「先ほど、橘へ来ぬかと再びお誘いを受けました。那古野へ上がる前にも、一度お声を掛けていただいております」
「それで、今も断ったのか」
「はい。上総介様にお仕えするつもりは変わりませぬので」
信長は長秀の返答を聞いてから、俺を見た。
「寺には三度聞くが、五郎左衛門には二度で終わりか」
「寺とは返事次第で戦になるだろうが、五郎左衛門を攻めるわけじゃない」
「当たり前だ」
長秀が笑った。
「安心いたしました」
「何を安心してるんだよ」
俺は信長へ向き直った。
「じゃあ、代わりに権六をくれ」
「無理だ。権六はわしの家臣ではない」
「ああ、そうだったな」
後ろで秀吉が笑いを漏らした。信長は取り合わず、三嶽寺の話へ戻る。
「それで、朝になって門はどうなっておった」
「閉じたままで、僧兵も槍を持って並んでいたから、そのまま攻めて寺も焼いた」
「使者の首を返しても、開けなんだか」
「ああ。上総介殿ならどうした。三度話して、それでも門を閉じて槍を並べている寺だ」
「わしでも攻める。そこまでして従わぬなら、寺であるかどうかなど関係あるまい」
「やっぱりそうなるよな」
「何だ。わしならどうするか聞きたかったのか」
「少し気になってた」
信長ならそう答えるだろうとは思っていた。それでも、本人の口から聞いておきたかった。
信長が続きを促した。
「お前は、その戦を最後まで見ておったのか」
「いや。攻める方は任せて、途中で湯を見に行った」
「湯?」
今度は秀吉まで笑った。信長は聞き違いかとでもいう顔をしている。
「前から山の谷に湯が湧くと聞いてたんだ。道が使えるようになったから行ってみたら、本当に湧いていた」
「寺を攻めておる最中にか」
「任せてあるのに、俺まで横に立っていても仕方ないだろ」
「だからといって、湯を見に行くか」
「今は館もできて、泊まれるぞ」
「お前は伊勢へ戦をしに行ったのか、湯屋を造りに行ったのか分からんな」
「どっちもだよ。湯があるのに放っておくのはもったいない」
信長は呆れたように笑った。
「その辺りは昔から変わらぬな。那古野でも、人より荷を見ておった」
「人も見てたよ」
「どうだかな」
そこへ祝いの品が運び込まれた。酒の樽に続き、漆器と椎茸を詰めた箱が並ぶ。信長は身を寄せ、開けられた箱を順に覗いた。
「随分持ってきたな」
「清洲へ移った祝いだからな。酒は好きなのを飲んでくれ」
「全部わしの物であろう」
「当たり前だろ」
信長は漆器を一つ手に取り、内側まで確かめた。
「これも朝霧か」
「ああ。売り物だ。気に入ったら次から買ってくれ」
「祝いの席で次の商いを始めるな」
「今日はただだ。次から銭を取る」
「やはり変わっておらんではないか」
秀吉が品の並んだ箱へ目を向けた。
「朝霧では、六年前より売る物も増えております」
「藤吉郎まで商いの話をするか」
「兵を預かれば、銭が要ることも分かりますので」
「十兵衛についておると、そうなるのか」
「俺のせいにするなよ」
信長が漆器を戻すと、箱が順に下げられた。その様子を見ているうちに、廊下ですれ違った市を思い出した。
俺は信長へ声を掛けた。
「そういえば、来る途中で妹君に会った。お市殿というんだな」
「会ったか」
「ああ。似ても似つかんな」
「何がだ」
「上総介殿とだよ」
信長が笑う中、俺は祝いの品を運ぶ者が広間を出るのを待って、座り直した。
「上総介殿。もう一つ、話しておきたいことがある」
「何だ」
「織田と橘で、互いに兵を向けない約束をしておきたい。俺は尾張へ兵を入れない。上総介殿にも、橘が押さえた所へは兵を入れないでもらいたい」
「伊勢へ手を出すな、と言うておるようにも聞こえるぞ」
「伊勢全部じゃない。どちらかへ先に降った城や国衆には、もう一方が手を出さない。進もうとする先が重なりそうなら、兵を出す前に使者を立てる。そのくらいでいい」
信長は途中で遮らずに聞き、話が終わると尋ねた。
「使者を立てても、どちらも退かぬ時はどうする」
「その時に話し合うしかないだろ。まだ起きていない揉め事まで、ここで全部は決められない」
「では、まだどちらにも仕えておらぬ者は好きに取る。後から、わしが目をつけておったなどと言われても困るからな」
「構わない。こっちも同じにする」
「五郎左衛門はもう駄目だぞ」
「もう誘わないって言っただろ」
長秀が横で笑った。信長は俺へ目を戻し、今度は少し間を置いて尋ねた。
「十兵衛。お前は、わしがその約束を破るとは考えぬのか」
「破った方が得なら、破るだろ。俺だって同じだ。だから今は、破る理由のない約束にしておきたい」
「その先は、必要になってから話すか」
「ああ」
信長はしばらく黙っていた。俺を見ていた目が一度長秀へ向き、それから戻る。
「よい。その話には乗る。ただし、援軍だの共同で敵を討つだの、余計なものは入れるな」
「そのつもりだ」
「なら、書付にして持ってこい。五郎左衛門にも見せる」
「分かった」
まだ書付を交わしたわけではないが、話はついた。俺が姿勢を崩すと、信長は下げられていく酒の樽を指した。
「今夜、一つ開けるぞ」
「好きにしてくれ。祝いに持ってきたんだからな」
「次は銭を取るのであろう」
「気に入ったらな」
「なら、まず飲んで決めてやる」
* * *
その日のうちに清洲を発ち、城下を抜けて街道へ入ると、秀吉が馬を寄せてきた。
「上総介様、覚えておられましたな」
「俺だけじゃなく、日吉丸までな」
「そこは藤吉郎と覚えていただきたかったのでございますが」
「最後には覚えただろ」
「猿まで一緒に残っております」
政基が笑いながら口を挟んだ。
「次に会う頃には、藤吉郎だけになっているかもしれんぞ」
「そう願いたいものです」
清洲へ向かう荷車は、まだ途切れずに来ていた。俺たちは道を譲り、その列とすれ違いながら帰路を進んだ。




