第82話 上平野攻め
天文二十四年(1555年)、六月。
近江国、愛智郡、朝霧村、鍛冶場。
上平野攻略――橘政澄
喜平が国友から朝霧へ来て、もうすぐ三年になる。約束した期限について本人の考えを聞こうと、朝から鍛冶場へ顔を出した。
作兵衛が江野へ移った後も炉には火が入り、弟子たちが鎌や鍬を直している。その奥では、喜平が火縄銃の銃身を調べていた。
喜平は私に気づくと、手元の一本を布の上へ置いた。
「兵庫助様。国友への文なら、昨日出しましたぞ」
「三年のことか」
「ええ。わしは朝霧へ残るつもりだとも書いておきました」
「もう決めたのか」
「今さら国友へ戻って一から居場所を作るより、ここの方が仕事も弟子もありますからな。向こうにも筋は通しておきます」
喜平は作業台の弟子へ目を向けた。若い男が火縄銃の台木へ金具を合わせ、収まりを確かめている。
「それに、まだあいつらを放り出すには早い」
弟子を呼び、持ってこさせた台木を受け取ると、喜平は削りかけの箇所を指した。
「ここはもう削るな」
「まだ少し厚くありませんか」
「金具を合わせてから考えろ。削った木は戻らん」
「分かりました、親方」
弟子が作業台へ戻ると、喜平は別の銃身を手に取り、火蓋の辺りを確かめた。
「こっちは朝霧で直しますが、先ほどの一本は国友へ送ります。無理に触るより、その方が確かです」
「弟子にも、その見分けがつくようになったか」
「壊れていることは分かります。自分で直してよいかどうかは、まだわしに聞きますな」
「まだ三年だ。そこまで覚えたなら、教えた甲斐もあったな」
三年前は火縄銃を開くだけでも、作兵衛と喜平が二人で確かめていた。今は弟子たちがそれぞれ作業を進め、手に負えないものを喜平へ持ってくる。残ってもらえるなら、作兵衛のいない朝霧でも修理を続けられる。
私は用件を終え、戸口へ向かった。
「兄上には私から話しておく」
「お願いします」
村外れまで来たところで、山から下りてきた孫兵衛と出会った。腰に山刀を差し、後ろには縄や鉈を持った男たちを連れている。
このところ畑へ鹿が下りると聞いていたので、私は足を止めて孫兵衛に尋ねた。
「鹿の跡を調べてきたのか」
「ええ。今朝のものも残っておりました」
「いつも同じ場所か」
「だいたい決まっております。今夜から人を置いて、畑へ入る前に追い払えるか試します」
「罠は使わないのか」
「使うなら人を付けます。山へ仕掛けたままでは、次に掛かるのが鹿とは限りませぬからな。用が済めば、その日のうちに片付けます」
孫兵衛は後ろの男が縄を下ろしかけたのを見て、声を掛けた。
「その縄は持ってこい。夜に使う」
男が担ぎ直すのを待ち、私は人手について確かめた。
「山の者だけで足りるのか」
「今のところは。足りなくなれば屋敷へ申し上げますよ」
「なら任せる」
「日が落ちる前に、もう一度獣道を確かめておきます」
孫兵衛たちは畑の方へ向かい、私は屋敷へ戻った。昼になり、縁側では春が初音を抱いている。
その少し先で、惟丸が秀長に尋ねていた。
「小竹、昼餉の後に川へ行ってもいいですか」
「俺に聞かれても困ります。奥方様に聞いてください」
惟丸は春へ向き直った。
「母上、昼餉の後に川へ行ってもよろしいですか」
「橋の下まででしたら構いませんよ」
「ありがとうございます。小竹も一緒に来てください」
「はい」
許しを得た惟丸が膳へ戻る。縁側の端で書付を読んでいた頼政も、私が上がると紙を脇へ置いた。
「兵庫助、遅かったな」
「まだ昼です」
「お前が戻らんので、飯を待っておった」
春が私の前へ椀を置きながら、頼政へ言った。
「殿が御自分で待っておられただけでしょう。先に召し上がればよろしかったのに」
「一人で食えば、後から兵庫助に文句を言われる」
私は座につき、頼政を見た。
「言いませんよ」
「なら次から先に食う」
「どうぞ」
頼政が箸を取ったので、私も椀へ手を伸ばした。食べ始める前に、喜平の意向を伝えておく。
「兄上。喜平は三年の期限が来ても朝霧へ残るそうです。国友へも文を出したと申しておりました」
「本人がそう決めたか」
「ええ。仕事も弟子もあるので、こちらに残る方がよいと」
「なら残ってもらえ。こちらからも国友へ礼の文を出しておく」
向かいでは惟丸が、いつもより速く飯を口へ運んでいた。川へ行く支度でもするように箸を動かすので、私は椀を置いて声を掛けた。
「惟丸。そんなに急ぐと、川へ行く前に腹を痛めるぞ」
「すみません。早く行きたくて」
「川は逃げん」
「母上にも言われました」
食べる速さは落ちたものの、惟丸の関心は川から離れなかった。今度は秀長へ、昨日の竿を持ってきてほしいと頼んでいる。秀長が籠も要るかと確かめたところで、庭から声が掛かった。
「御免!」
頼政が箸を置き、私も庭先へ出た。泥の付いた脚絆の男が片膝をついている。江野から来た使者だった。
「十兵衛様より、殿へ書状にございます」
頼政は受け取った書状をその場で開き、読み終えると私へ渡した。
「兵庫助。五日後の辰の刻、十兵衛が員弁で五つの城へ同時に掛かる」
「五つですか」
「山口、上平野、東禅寺、古田、野尻だ」
書状には、治田から北へ軍を分けるのに合わせ、朝霧からも上平野を攻めてほしいとあった。城には梅山宗兵衛が八十ほどを抱えているという。
私は書状から顔を上げた。
「彦九郎を戻しますか」
「戻さん。千種を空ける方が面倒だ」
「では、兄上が」
「わしまで出れば朝霧が空く。お前に行ってもらう」
頼政は庭に控えていた家臣を呼んだ。
「茂兵衛、右近、左近へ陣触れを出せ。各二百、兵庫助に付ける」
私はもう一度、書状の上平野の名を見た。
「私が六百を率いるのですか」
「嫌か」
「まさか」
「なら決まりだ」
話を聞いた春が、初音を抱いて縁側まで出てきた。
「今度は兵庫助が伊勢へ行かれるのですね」
「鞍掛を越えて、上平野までです」
「いつお立ちになりますか」
頼政が代わりに答えた。
「四日後だ。明日から兵を集める」
春は私の具足や旅支度を思い出すように、奥へ目をやった。
「では、今夜のうちに支度を出しておきます」
「私の分だけで構いませんよ」
「分かっています。六百人分まで私にさせるつもりでしたか」
「まさか」
春が初音を抱き直して戻ると、頼政は書状を持つ私の手へ目を落とした。
「鞍掛を越えた翌朝、辰の刻に掛かれ。十兵衛の軍と刻を違えるな」
「心得ました」
「宗兵衛を逃がすな。ただし、首を追って城を忘れるなよ」
「それは十兵衛にも何度も言われました」
「なら、今度はお前が言う番だ」
* * *
陣触れを受けた三人は、翌日から兵を集め始めた。最初に二百を揃えたのは高晴だったが、その後から兵糧を積んだ馬や人足が次々と入ってくる。
私は高晴の隣へ立ち、続く荷駄を見た。
「茂兵衛殿。まだ来るのか」
「あと少しでございます」
言ったそばから、荷を担いだ男たちが現れた。
「少しではないな」
「……兵の方は揃っております」
「兵だけ先に鞍掛を越えても、腹は膨れんぞ」
「それは困りますな」
高晴は自分で荷の方へ歩いていった。一方、重尚は兵糧も荷馬も揃え、武具まで確かめていたが、二百全員が集まるまで隊列を動かそうとしない。後から来た兵が道へ溜まり、その後ろの荷駄まで止まっている。
私は重尚を呼び、空いた場所を示した。
「右近殿。先に来た兵を、あちらへ寄せてくれ」
「途中でほかの兵と混じります」
「今日は朝霧から出ない。後ろの荷が入れぬ方が困る」
「では、半分を先へ寄せます」
重尚の指図で道が開くと、高晴の荷駄が進み始めた。ところが、その先では政忠の兵が通り道を塞いでいる。自分の二百と荷は収まっていても、よその荷が抜ける余地までは残していなかった。
私は政忠を呼び、止まった荷馬を示した。
「左近殿、兵を脇へ寄せてくれ。茂兵衛殿の荷を通したい」
政忠は振り返り、自分の兵へ声を張った。
「道を空けよ! 荷駄が通るぞ!」
三人とも、自分の二百にはすぐ命令を通せる。だが、政忠が道を空ければ、そこへ重尚の兵が移ろうとする。高晴の荷を先へ出すにも、誰かが両方へ話を通さなければならなかった。譜代の家臣たちを間へ入れ、朝霧を出る前から何度も位置を直した。
四日後の朝、高晴を先頭に、重尚、政忠の順で出発した。三つの備の間には譜代の家臣を置き、前が止まれば、その理由を後ろへ伝えさせる。平地ではそれで済んだが、犬上郡を北へ進み、鞍掛峠へ入ると道が細くなった。
二人並べぬ所もあり、曲がりを一つ越えるだけで前の兵が木立に隠れる。しばらく登ったところで列が止まり、前から声が送られてきたが、私の所へ届く頃には何が起きたのか分からなくなっていた。
高晴のもとへ行くと、道の中央に腰ほどの大きさの石が転がっていた。
「これか」
「上から落ちてきたようです。横は通れませぬ」
「なら、動かすしかないな」
高晴が兵を呼び集めた。
「槍を置け。五人ほど来い!」
兵たちは石へ手を掛け、足場を確かめて押した。一度ではわずかに動いただけだったが、立つ位置を変えて押し直すと、ようやく道の端へ寄る。声を合わせてさらに押し、通れる幅を空けた。
高晴は先頭へ進むよう命じた。
「動いたぞ! 後ろにも伝えろ!」
列が伸び始めたので中ほどへ戻ろうとすると、今度は後方で馬が鳴いた。重尚の所まで下がれば、馬の背に括った俵が岩へ引っ掛かり、荷が傾いている。引きずって通そうとすれば、残る俵まで崩れそうだった。
私は馬を止めさせた。
「一度下ろせ」
「ここで下ろしますか」
「谷へ落ちてから拾うつもりか。人に持たせろ」
兵が俵を支えながら縄を緩め、一つずつ馬から下ろして担いだ。その間にも後ろが詰まり、事情の分からぬ者が前へ声を掛けている。譜代の家臣を伝えにやり、積み直す間は待たせた。
賢政が八風の道で、道幅だけでなく荷を避ける場所まで気にしていたのを思い出す。六百と荷駄を一本の道へ入れると、石一つ、馬一頭で列が止まる。前を直すだけでなく、後ろへ事情を知らせるにも手間が掛かった。
伊勢側の下りでは、兵が浮き石を踏んで滑るたびに列が乱れた。長槍の穂先を枝へ引っ掛けた者もいる。外そうと立ち止まったところへ後続が詰まり、前の兵が振り返って怒鳴った。
「押すな! 前が止まってる!」
「槍を寝かせろ!」
「分かってる。だから押すな!」
政忠が私の所まで来て、前後へ伸びた列を眺めた。
「兵庫助殿。朝霧を出た時には、もう少し軍らしく見えたのですが」
「私もそう思っていた」
「峠が悪いのでございますな」
「峠だけならよいがな」
政忠は枝から槍を外す兵へ目を向けた。
「戻ったら、道で六百を動かす稽古も要りそうですな」
「まず今日の六百を下ろしてから考えよう」
「それもそうです」
日が傾く頃、ようやく伊勢側の山裾へ近づいた。これ以上進めば上平野へ寄りすぎるため、山中の開けた場所で先頭を止めた。後から来る兵と荷駄を順に入れ、夜を明かす支度をさせる。
高晴の兵が腰を下ろした所へ重尚の二百が入り、さらに政忠の兵が続いた。政忠はすぐに座らせず、重尚の荷駄が通り切るまで待っている。朝霧で詰まったことは覚えていたらしい。
最後尾が着く頃には薄暗くなっていた。人数と荷を確かめさせ、私は治田へ向かう使者を呼んだ。
「十兵衛に伝えろ。予定どおり鞍掛を越えた。明朝、上平野へ進む。辰の刻は違えぬ」
「心得ました」
使者が山裾の道へ出ていくのを見送り、私も明朝の支度へ戻った。
* * *
翌朝、明るくなるのを待って兵を起こした。上平野までは遠くない。三つの備を順に出し、荷駄も戦に要るものだけに絞ると、昨日ほど止まらずに進めた。
集落が見え始める頃、城の土塁にも人影が並んだ。上平野城は堀と土塁、その上の柵で守られた小さな城だ。八十ほどの兵で、六百を迎えようとしている。
高晴が城を見上げた。
「ようやく敵が見えましたな」
「昨日は石一つに止められたがな」
「石は押し退けました。今日は槍を持っておりますから、そうはいきますまい」
政忠が横から笑って口を挟んだ。
「茂兵衛殿。今日は首を取っても叱られますぞ」
「左近殿こそ忘れぬようになされよ」
高晴は馬を一歩進め、城へ声を張った。
「上平野の者ども! 六百を前に、いつまで土の陰へ隠れておる!」
近くの兵も槍を持ち上げた。
「宗兵衛を出せ!」
「門を開ければ早く済むぞ!」
土塁の上から、すぐに怒鳴り声が返った。
「登ってから吠えろ、近江者!」
「六百も連れて、八十が怖いか!」
こちらの兵が負けずに声を張る。
「怖いから六百連れてきたんだ!」
味方から笑いが起き、城からは罵声が飛んだ。山道では止まるたびに苛立っていた兵たちが、今は城を見ながら槍を握り直している。
その時、門が開いた。出てきたのは一騎だけだった。槍を持った武者が門前へ進むと、土塁の上から名を呼ぶ声が上がる。
「梅山甚之丞!」
甚之丞は槍を立て、こちらを見渡した。
「近江勢に、馬上で槍を合わせる者はおらぬか!」
高晴が動くより早く、政忠が私へ馬を寄せた。
「兵庫助殿。私にお任せを」
「随分嬉しそうだな」
「久方ぶりの戦にございますので」
「死んだら笑えんぞ」
「心得ております」
許すと、政忠は槍を受け取って前へ出た。
「酒井左近、参る!」
味方が沸き、甚之丞も馬を走らせた。最初は互いの槍を打ち合わせただけで、二騎とも落ちずに行き過ぎる。高晴がその背へ声を飛ばした。
「左近殿、落ちるなよ!」
「余計なことを申すな!」
政忠は怒鳴り返しながら馬を返した。二度目は甚之丞が先に突く。政忠は身体を傾け、穂先を肩の脇へ逃がしながら自分の槍を伸ばした。甚之丞の上体が崩れ、槍もろとも地面へ落ちる。
政忠は馬を止めて下りた。甚之丞は腰の刀へ手を伸ばしたが、抜く前に槍を突き込まれ、その場で動かなくなった。
槍を引いた政忠が首元へ手を掛け、途中で止まった。
「……おっと。十兵衛様に禁じられておったな」
こちらを振り返ったので、私は声を掛けた。
「取るな。これだけの者が見ていた。戻れ、お前の二百が待っている」
政忠が馬へ戻ると、兵たちが槍を上げた。
「左近殿が甚之丞を討ったぞ!」
「次を出せ!」
「宗兵衛でも連れてこい!」
城から怒号が返る。私は鏑矢を持つ兵へ合図した。弦が鳴り、甲高い音が城前へ響くのを聞いて、攻撃を命じた。
「掛かれ!」
鬨の声とともに高晴の兵が進み、重尚も続いた。政忠は自分の二百へ戻る。城から矢が降り、一人が肩を押さえて倒れたが、後続はその脇を抜けて堀へ向かった。こちらの弓と弩も土塁へ矢を送り、上の城兵を狙っている。
堀際に着いた兵が後ろへ叫んだ。
「堀だ! 足元を見ろ!」
「押すな、前が詰まる!」
先頭が堀へ下り、続く兵が城側の斜面へ取り付いた。頭上から石が落ち、槍が突き下ろされる。一人が転げ落ちると、別の兵が空いた所へ入り、穂先を避けながら上を目指した。
斜面の兵が槍を伸ばしたが、土塁の上には届かない。
「届かねえ!」
「なら登れ!」
高晴が後続を進ませながら声を飛ばした。
「止まるな! 上がれ!」
城兵が高晴の側へ集まる間に、重尚の兵も離れた所から堀へ入っていた。私は二つの攻め口を見比べ、政忠のもとへ家臣を走らせた。
「左近殿は右近殿の右へ回れ。城兵の薄い所へ掛からせろ」
土塁の上では、高晴の兵が柵へ手を掛けていた。一人では動かせず、後から来た者が加わる。城兵の槍が柵越しに突き出されると、一人が手を放して身を引いた。その脇から別の兵が槍の柄を差し込み、隙間を広げる。
柵をつかんだ男が隣へ叫んだ。
「縄を切れ!」
刀が振り下ろされ、結び目が切れた。傾いた柵へ数人が体重を掛け、倒れると、その隙間へ後続が押し込む。城兵が塞ごうと集まった直後、重尚の側でも兵が土塁へ上がった。
味方の声が堀を越えて届く。
「右近殿のところが上がったぞ!」
高晴の兵も続いた。一人が槍で払われて膝をついたが、後ろの二人が城兵へ突き掛かり、上に留まる場所を作った。政忠の二百も右から堀を越え、手薄になった斜面へ取り付いている。
八十ほどでは、三方へ十分な兵を置けない。一度上を取られると、近江勢は後続を引き上げ、柵の隙間を広げて城内へ入っていった。
城の奥から指図が飛ぶ。
「大手へ戻れ!」
「右を塞げ!」
「宗兵衛様の旗を守れ!」
兵の集まる旗を見つけた味方が叫んだ。
「宗兵衛は奥だ! 逃がすな!」
城内では三つの備の兵が入り交じっていた。長槍を短く持ち、振れぬ所では刀を抜いて、目の前の城兵を押している。私も門を越え、旗のある方へ進んだ。
その近くで、宗兵衛と思しき武者が数人を従えて槍を振るっていた。一人を突き倒し、正面から来た兵を押し返す。
「退くな! ここを守れ!」
城兵が声のもとへ寄る一方、こちらも次々に集まった。宗兵衛が右からの槍を払い、正面へ向き直ったところへ、横から別の穂先が伸びる。誰の槍かまでは、私の位置から見えなかった。
宗兵衛の身体が傾き、近くの橘兵が飛び込んだ。二人がもつれるように倒れると、周りから声が上がった。
「宗兵衛だ!」
「宗兵衛を討ったぞ!」
近くの城兵が振り返った。そこへ近江勢が押し込み、旗の周りが崩れる。ほかの場所へも大将が倒れたと伝わり、武器を捨てろという声が重なった。
それでも槍を構える者は残ったが、城内へ入り続ける近江勢を押し返せなかった。抵抗が途切れると、鬨に代わって負傷者を呼ぶ声が聞こえ始める。
堀から血を流す兵が引き上げられ、土塁の下では足を痛めた者が仲間の肩を借りていた。泥まみれの高晴が戻ってくる。
「兵庫助殿。大手は押さえました」
「では、負傷した者を集めて手当てをさせてくれ」
高晴が指図へ向かうと、袖の肩口が切れた政忠が来た。
「左近殿、それは甚之丞か」
「掠っただけにございます」
「死んだら笑えんと言ったぞ」
「笑われずに済みました」
重尚も戻り、宗兵衛の死を報告した。
「城方の者にも確かめさせました。間違いございません」
「討った者は分かるか」
「何人も掛かっておりましたので、今のところは」
「分かった。無理に誰か一人の手柄へ決める必要はない」
昨日は道を進むだけで何度も止まった兵たちが、城を前にしてからは私の細かな指図を待たずに動いた。ただ、戦が済めば入り交じったままにもしておけない。
私は重尚と政忠へ続けて命じた。
「自分の兵を集め直してくれ。手の空いた者から、茂兵衛殿の手当てを助けさせろ」
「某は城兵を集めてから、人を出します」
「私は外に残った兵を戻します」
二人が離れると、譜代の家臣を呼び、治田へ送る使者を選ばせた。堀には折れた槍が残り、土塁の斜面には幾重にも足跡が刻まれている。その横を、負傷者を担いだ兵が下りてきた。
やがて馬を引いた使者が来たので、私は報せを託した。
「十兵衛に伝えろ。上平野城、陥ちた。宗兵衛は討死だ」
「兵庫助様より、と申し上げます」
「ああ。急げ」
使者は馬へ跨がり、治田へ続く道を駆けていった。




