第73話 寺が領主をするな
天文二十三年(1554年)、二月。
伊勢国、三重郡、千種村、千種城。
千種城の広間には、槍よりも帳面が積まれていた。忠治、一益、可成の三人が、俺を囲むようにその帳面を検めている。
千種、音羽、潤田。忠治から聞いていた村は三つだったが、千種家の蔵から出てきた帳面には、ほかにも枝郷や山中の集落が並んでいる。
「三村だけではなかったのか」
忠治が僅かに困った顔をした。
「申し上げようとしたのですが」
「……あの時か」
「はい」
「悪かった。続けろ」
千種の枝郷として扱われていた土地もあれば、杉谷との境目が曖昧な土地もある。家が数軒しかない集落まで数えれば、三つの村だけを検分して終わるわけにはいかない。
可成が帳面の端を指先で叩いた。
「境の怪しい村ほど、後で揉めます。旧千種と旧杉谷、双方の帳面に同じ村が載っていれば、どちらの取り分だったかで言い分が割れかねません。先に扱いを決めておかれるのがよろしいかと」
「分かってる。線引きは帳面を洗ってからだ」
一益へ目を移す。
「久助。旧千種と旧杉谷の帳面を合わせて調べろ。三郎左衛門と善住坊からも話を聞け」
「承知しました。まず旧千種分から蔵の帳面を洗い、抜けている村がないか三郎左衛門殿に確かめてもらいます」
「小さな所は、どちらへ年貢を納めていたか、誰の兵を出していたかまで見ろ。千種か杉谷の内なら橘へ入れる。ただし、別の大きな家を主とする話が出たら止めろ。勝手に取るな」
「その場合はそこで手を止め、十兵衛様のご判断を仰ぎます」
一益が帳面を一冊引き寄せた。
「こちらは音羽の田でございますが、納め先が別口にございます」
「別に納め先があるわけか」
「はい。三嶽寺とございます」
忠治に目を向ける。
「三郎左衛門。三嶽寺とは何だ」
「国見岳にある寺にございます。千種とも、道や田を巡って揉めたことがございました」
「百済寺のようなものか」
「似てはおります。寺領を持ち、兵も抱えております。ただ、百済寺ほど大きくはございません」
百済寺ほどではないと分かった以上、今のうちに潰しておいた方が早いかもしれない。とはいえ、帳面を一冊見ただけで決めていい話でもない。
可成が口を開いた。
「小さい寺だからと侮れば、後で痛い目を見ます。腰を据えて調べるべきかと」
「ああ。三左衛門、お前は道を見ろ。寺へ入る道、番を置いている場所、兵を動かせる道だ。甲賀の者には中を探らせる」
一益が言った。
「某は帳面を引き受けます」
「ああ。何を持っていて、何を取っているのかを先に出せ」
千種の頃から道や田を巡って揉めてきた相手だが、支配する家が替わった以上、その相手をするのは今度は俺だ。
* * *
帳面の整理と並行して、兵の編制も変えることにした。
今後、北伊勢で兵を動かすなら、三百人の直轄大隊だけでは足りない。旧千種、旧杉谷から兵を取り込み、新たに集める者も合わせて一つの軍にする。
「千人の直轄連隊を作る」
広間にいた可成と一益が、俺の前の書付へ目を落とした。
「連隊本部を百。残る九百を三百ずつ三つの大隊に分ける」
可成が三つの大隊を書いた箇所を指した。
「今の直轄大隊は、いかがなされます」
「崩して混ぜる。古参を三つに分けろ。千種の兵だけ、杉谷の兵だけで固めるな」
旧主が変わっただけで、昔のまとまりがそのまま残るのでは意味がない。以前の役目や家柄で兵を預けることもせず、橘の下で改めて働きを見る。
一益が本部の欄を筆の尻で示した。
「本部の百は予備でございますか」
「違う。藤吉郎の伝令を厚くする。今まで使っていた中継を三つの大隊へ広げる。報告を本部へ集め、そこから命令を返す。千人を動かすなら、今の人数では足りん」
「承知しました。伝令に回せる者を先に選びます」
さらに各大隊へ五十人の偵察小隊を一つずつ置く。
「足が速いだけの奴を入れるな。道を見て、覚えて、戻って報告できる奴だ。橋、川、浅瀬、脇道、敵の番、隣の大隊がどこにいるか。見たものを正しく伝えられる方が大事だ」
可成が確認した。
「新九郎殿の甲賀衆とは分けるので?」
「分ける。甲賀衆は敵の中を見る。こっちは戦場を見る」
これなら俺がいなくても、連隊本部に指揮を執れる者がいれば軍を動かせる。
次は鉄砲だ。
「鉄砲を五百。今ある二百に、あと三百を足す」
一益が書付の二百を筆で示した。
「三百を新たに揃えるとなれば、すぐには難しゅうございます」
「夏まででいい。国友から買い足せ。千種方から取り上げた鉄砲も、使える物は直して数に入れろ」
「朝霧へ回す修理分も含めて勘定いたします」
人も要る。そう考えて、俺は別の紙へ五つの名を書き付けた。
杉原七郎左衛門家次、生駒甚助親正、加藤作内光泰、太田又助牛一、前田孫十郎玄以。
後世の名前を知っていても、今の本人がどこまで使えるかは別だ。まず会わなければ始まらない。
一益が紙に並んだ名を見た。
「この者らを、十兵衛様はご存じなので?」
「会ったことはない。これまで人の話を聞く中で、使えそうな名は控えていた」
「五人ともでございますか」
「ああ。七郎左衛門、甚助、作内は兵を預けられるか見たい。又助と孫十郎は、書付や勘定の方だ」
「なるほど」
「新九郎と藤吉郎に分けて探させろ。見つけたら、そのまま話を続けさせる」
最後に、もう一人を書き足した。
宮部善祥坊継潤。
「善祥坊は急げ」
可成が首を傾げた。
「善住坊殿なら、もうこちらにおりますが」
「善住坊じゃない。善祥坊だ」
「……別人でございますか」
「別人だ。近江に、兵をまとめるのが上手い坊主がいると聞いた。今はそいつの方を先に探してくれ」
可成は書付の「善祥坊」をもう一度見た。
「承知しました。誰に人脈があるか、まず新九郎殿へ当たってみます」
* * *
三月。
継潤については、可成から先に報告が上がった。
「善祥坊、見つかりました」
「本人で間違いないか」
「はい。話を聞いてまいりましたが、兵の差配にも通じているようでございます」
「こちらへ来る気は?」
「何をさせるつもりなのか、それを直接聞いてから決めたいとのことでございます」
「それでいい。無理に連れてくるな。千種まで来る気があるなら、道中だけ手配してやれ」
名前を知っているからといって、今の俺に仕える理由まであるわけではない。欲しいのはこちらだが、向こうにも来るだけの理由が要る。
それから十日ほどして、継潤が千種城へ入った。供は二人だけだった。仕官を決めて家財まで運んできた様子でもない。本当に話を聞きに来ただけらしい。
継潤は挨拶を済ませると、俺が差し出した編制の書付をしばらく読んでいた。
「十兵衛様は、これを一人で動かされるおつもりではございませぬな」
「そのつもりなら、本部に百も置かない」
「では、某に何をお望みで」
「俺の軍師になれ」
継潤が書付から顔を上げた。
「一つの大隊を任せたいんじゃない。三つ全部を見ろ。報告をまとめて、地形と兵糧を見て、俺や総大将へ意見を出せ。俺がいない戦でもだ」
「随分と広い役目にございますな」
「そのために呼んだ」
継潤はすぐには答えなかった。もう一度書付へ目を落とし、三つの大隊と連隊本部の間を指で追っていく。
「某が意見を申し上げて、十兵衛様のお考えと違った時はいかがなされます」
「聞く。その上で俺が決める」
「聞くだけ、では困りまする」
「筋が通っていれば変える。俺が間違っているなら止めろ。そのための軍師だ」
「……なるほど」
今度は少し長く考えてから、継潤が頭を下げた。
「承知いたしました。お仕えいたします」
「知行は土地では出さない。半年ごとに働きを見て銭で出す」
「それも聞いております。村を頂くより、某にはその方が気楽にございます」
これで、俺が軍全体を見る時に横から意見を出せる者が一人増えた。
その頃には、新九郎と秀吉から、残る五人についても報告が届き始めていた。家次、親正、光泰、牛一、玄以の五人とも居場所は掴めたらしい。
「居場所が分かったなら、そこで終わりじゃない。そのまま交渉に当たれ。今すぐ動けない者も、話は続けておけ」
人材は一日で揃わない。だから先に、今いる兵を使える形にする。
* * *
三嶽寺へ続く道を確かめるため、音羽の西へ入った時だった。可成が調べさせた道は、山へ近づくほど細くなる。その途中、江野側の低地を見下ろす位置に、丸く盛り上がった山があった。
高い山ではない。だが、上から周囲を見るには悪くなさそうだ。
登ってみると、木々の間から江野の低地と、その先の海までうっすら見通せた。千種城よりも俺の好みに近い。山裾には人と荷を集められそうな平地もある。
前世なら、この辺りは菰野町だったはずだ。目の前の山も、見ようによっては富士山に見えなくもない。
「菰野富士でいいか」
「何が、にございますか」
忠治が聞き返した。
「この山の名だ」
「十兵衛様がお決めになるのでしたら……」
決まりだ。
「ここを使う」
「城を築かれますか」
「ああ。江野側から使う城になる。江野城でいい」
城を置く場所は決めた。道と水、人と荷をどこから上げるかは、これから調べればいい。
西の山へ目を向けたところで、別のことを思い出した。この辺りは、前世では湯の山温泉だったな。俺が知っている頃には寂れた印象もあったが、湯そのものはもっと昔から出ていたはずだ。
「三郎左衛門。あの辺りに湯は出ないか」
「湯、にございますか」
「温い水でもいい」
「温い水が出る場所があるとは聞いております。ただ、使っている者がいるかまでは存じませぬ」
「分かった。今度、俺が見に行く」
城より先に風呂を作るつもりはない。だが、本当に湯が出るなら捨てる理由もない。
* * *
春の間、千種城の外では三つの大隊が毎日のように動いた。
教えたのは新しい軍令ではない。持ち場を勝手に離れず、略奪もしない。指揮官が倒れれば次の者が継ぎ、報告は決められた順で上へ通す——朝霧で続けてきたそのやり方を、新しい連隊へも一つずつ徹底させた。従えない者は外した。
偵察小隊が道へ出れば、その報告は伝令を通じて本部へ集まり、命令も同じ道を逆に戻っていく。
鉄砲も国友から届いた物と直した物を合わせ、五百丁まで揃った。
初夏には、千人が一つの命令で動けるようになっていた。
その間に、三嶽寺の調べも終えていた。寺領から何を取り、どこへ番を置き、どれだけの兵を抱えているのか。忠治と一益から得た話に、可成の調べ、おりんと甲賀衆から上がった情報を合わせ、三嶽寺へ使者を出した。
伝えたのは単純だった。寺領とその帳面を橘へ渡し、山道の番を退き、僧兵を解いて武器を差し出す——それだけを求めた。橘の領内にある以上、この条件に従わせるだけで、寺として残ること自体を妨げる気はない。
三嶽寺は拒んだが、もう一度同じ条件で使者を出しても、返事は変わらなかった。
それから間もなく、おりんが甲賀の男を一人連れて千種城へ来た。
「十兵衛様。三嶽寺へ向かう者が増えております。昨日までに十二人を見ております。いずれも、これまであちらへ出入りしていなかった者です」
続いて、甲賀の男が頭を下げた。
「二度目の使者を返してから、寺へ運び込まれる槍や矢も増えております。山道の番も前より多くなりました」
「武器は中まで入ったのを見たのか」
「はい。荷を運び込むところまで確かめております」
俺はおりんへ聞いた。
「集まっている男について、ほかに分かったことは」
「近くの村から声を掛けているという話は聞いております。ただ、誰が声を掛けたのかまでは確認できておりません」
見たことと、聞いただけの話は分けている。だが、こちらを二度拒んだ後で、人の出入りが増え、武器を運び込み、道の番まで増やしたのは事実だ。
戦支度と見ていいだろう。
「分かった。そのまま寺と道を見ておけ」
おりんと甲賀の男が頭を下げた。
俺は忠治を呼んだ。
「三郎左衛門。三嶽寺へ伝えろ。今度は向こうから使者を寄越せ」
「最後になさいますか」
「ああ。今度で終わりだ」
* * *
三嶽寺の使者は、千種城の広間でも返答を変えなかった。
「三嶽寺は、千種家の家臣ではございませぬ」
最初からそこか。
「それは聞いている。だが、こちらも再三要請したはずだ。寺領とその帳面を橘へ渡せ。山道の番を退けろ。僧兵を解き、武器は差し出せ。それで寺には手を出さないと伝えたな」
「三嶽寺には、古くより認められた権利がございます」
「古くからというが、それがこちらに何の関係がある。誰に認められた。昔の偉い者か。天台の者か。なら、そいつを連れてこい」
「朝廷より認められた寺領もございます」
「なら、認めた者を連れてこい」
「帝を謀るおつもりか」
「誰がそんなことを言った。話を勝手に変えるな」
使者が言葉に詰まった。
「帝が認めたというなら、その帝をここへ呼んで直に話を聞けばいい。こちらが納得すれば認めてやる。もっとも、三嶽寺ごときのために帝がそこまでなさるとは思えんがな」
「そのようなことが叶うはずがございませぬ」
「なら、それが答えだろ」
使者の顔が強張った。
「お前らのやっていることは、帝の名を借りてやりたい放題しているだけだ。それこそ不敬だろ。帝がお前らに、勝手に兵を抱えろ、道へ番を置け、好きに取り立てろと命じたのか」
「我らは、古くより寺領を守って――」
「国見岳へ入る道の番も同じだ。誰の許しを得て置いている」
「寺領へ入る者を改めるためにございます」
「今、この土地を治めている俺の許しを得たのか」
「……ございませぬ」
「勝手に番を置く。それは山賊と同じだ。道を塞いで、通る者を選んでいるだけだろ」
使者が膝の上で拳を握った。
「寺を守るためにございます」
「だから、それが寺のやることではないと言っている。僧兵も解け。寺が兵を抱えることは認めん」
「武器を捨てろと仰せか」
「寺に残るならな。槍働きがしたい者まで止める気はない。戦いたいなら寺を出て橘へ来い。使える者なら召し抱える。働きに応じて知行も出す」
「三嶽寺の僧を奪うおつもりか」
「違う。坊主が槍を使えることに文句を言っているんじゃない。寺が勝手に兵を集めていることを問題にしている」
寺に残って経を読むのか。寺を出て兵になるのか。どちらかにしろというだけだ。
「宗門を敵になさるおつもりか」
「あのな、俺は寺が嫌いなんじゃない。お前らみたいな似非坊主が嫌いなんだ」
広間が静かになった。
「坊主なら坊主をやれ。祈るのも、経を読むのも好きにすればいい。だが、土地を抱え、年貢を取り、道を押さえ、兵まで持って、俺の命令には従わん。それは寺じゃない。領主だ」
使者はなお口を開いた。
「我らには、古くからの――」
「交渉は決裂だな」
横にいた政基が口を挟んだ。
「十兵衛様。少々、言い方がきつすぎるのではございませぬか」
「こちらは再三譲歩した。それでも全部拒否された。この期に及んで、俺にまだ譲歩しろとでも言うつもりか」
政基は答えなかった。
「それでは誰も従わん。断り続ければ最後には橘が引くと思われるだけだ」
百済寺の、あの貫主の顔まで頭に浮かんだ。
「百済寺だって同じだ。なぜ寺の分際で、俺のやることにいちいちケチをつけてくる」
「十兵衛様」
「坊主は坊主をやっていればいい。寺だからと、領主と同じことまで好きにしていい理由にはならん」
もう曖昧にする気はない。
「今後、橘の領内で寺を続けたいなら橘に従え。従わん寺は一つ残らず焼き滅ぼす」
使者の顔から血の気が引いた。
「最後に確認する。こちらの条件は何一つ受け入れず、橘が入れば武器を持って抵抗する。それが三嶽寺の返事だな」
「……左様にございます」
「今言ったことは、お前個人の話か。それとも三嶽寺の返事か」
「三嶽寺一山の返答にございます」
「取り消す気は」
「ございませぬ。三嶽寺は古くより――」
「またそれか。くどくど同じことを言いやがって。もういい。久助!」
「はっ」
「こいつの首を刎ねろ」
一益は一瞬黙った。
「……承知しました」
供の者が腰を浮かせた。
「使者を斬るおつもりか!」
「交渉は終わったと言ったはずだ」
一益は使者を広間の外へ連れ出し、ほどなく首を刎ねて戻ってきた。
「供の者はいかがいたします」
「殺すな。首を持たせて寺へ返せ」
供の者へ向き直る。
「三嶽寺へ伝えろ。武器を捨て、僧兵を解き、番を退けて門を開け。それなら寺に残る者には手を出さない。寺を出たい者は出ていい。残って祈りたい坊主も、武器を持たなければ殺さん。槍働きがしたいなら寺を出て橘へ来い。使える者なら召し抱える」
「……」
「だが、槍を持って三嶽寺の兵として残る者は敵だ。抵抗するなら討つ。寺も焼く。この首を見て、それでも戦うか、降るか決めろ」
返事はなかった。必要もない。
「次の使者はいらん。こちらからも送らん。門が開いているか、閉じているか。それを返事とする」
供の者たちは、首を持って千種城を出ていった。
城外では、三個大隊が訓練を終えて整列している。古参も、千種の者も、杉谷の者も、新しく加わった者も、今は同じ列の中にいた。
千種城の広間で帳面を前に決めた千人は、今、城外に並んでいる。
三嶽寺を焼くには、もう十分だった。




