第72話 取った土地を治める
天文二十三年(1554年)、二月。
伊勢国、三重郡、千種村、千種城。
千種を開かせてから、ひと月近くが過ぎた。
向城と金ヶ原城は、使える物を運び出した後、破却を進めている。杉谷城は飛騨守が押さえ、平尾城では政基の父、政貞が引き継ぎを済ませている。
朝霧からも兵糧や道具を積んだ荷が届き始めた。行き来する荷駄も増え、城の蔵には運び込まれた物と千種家から引き継いだ物が分けて置かれている。
戦の後始末は進んでいる。だが、城を取っただけで、この土地を治めたことにはならない。
俺は広間へ呼んでいた忠治へ声を掛けた。
「三郎左衛門。早速だが、千種の領内のことを知りたい。同道しろ」
「私が、でございますか」
「橘に従った後は働きを見ると言っただろう。まず、お前が治めていた土地を案内しろ」
「……承知しました」
忠治の隣では政基が黙ってこちらを見ていた。一益は持ってきた帳面を膝の横へ置いている。
まず、何があるのかを知らなければ話にならない。
「千種のほかには、どこがある」
「大きな村でしたら、音羽と潤田にございます」
「大きいのは、千種、音羽、潤田の三つか」
「はい。ただ――」
「なら、早速見に行くぞ。まず千種からだ」
忠治が何か言いかけたが、立ち上がった俺を見て口を閉じた。
「弦十郎、久助。行くぞ」
「承知しました」
「某も帳面を持ってまいります」
城から大勢を連れ出す必要はない。護衛を数人だけ付け、俺たちは千種村へ下りた。
村へ入ると、田は朝霧よりずっと広く取られていた。冬の田に水は張られていないが、畦と水路が幾筋も続き、その間に家々がまとまっている。
山間の狭い田を見慣れた目には、これだけでも羨ましい。
「名主の家はどこだ」
「こちらにございます」
忠治に案内され、そのまま屋敷へ入る。
急に押しかけられた男は、土間まで出てきて頭を下げた。
「お前がこの村の名主か」
「はい。左様にございます」
「悪いが、これからはこの村に名主はいらん。区長を置く」
男の頭が上がった。
「私どもは、いかがなるのでございましょう」
「お前を追い出すと言っているんじゃない。名主だからといって、村を自分のもののように扱える形をやめる」
「区長というのは」
「村の中のことをまとめて、橘へ報告する役だ。困り事があれば上げる。こちらから伝えることがあれば村へ通す。勝手に村人を率いて他所と事を構えるような権限はない」
宮田では、それをやった区長を頼政が解任している。役の名だけを置き換えて、同じことをさせたら意味がない。
「千種から二人、候補を出せ。お前が候補に入っても構わん。ただし、お前一人で候補を決めるな。村の者から話を聞いて二人出せ」
「二人でございますか」
「その二人をこちらで調べて、一人を認める。音羽と潤田にも同じように出させる」
「村のことは、区長が決めるのでございますか」
「日々のことは村の者で決めればいい。だが、水や境、年貢、人足で橘へ話を通す必要がある時は区長がまとめろ。区長が村の領主になるわけじゃない」
名主はまだ戸惑っていたが、追放されるわけではないと分かったのか、もう一度頭を下げた。
家を出た後は、そのまま田へ向かった。
忠治に水路を案内させ、一益には古い帳面と見比べてもらう。
「この堰は、昔からこの高さか」
「左様にございます。水が少ない年には村同士で話をいたしますが、勝手に変えれば揉め事になります」
「なら、今までの決め事は残せ。変える必要があるなら、関わる村の話を聞いてからだ」
田の水は、上で取れば下へ行かない。朝霧でも宮田でも散々見た話だ。
「千種は田畑が多い。だからこそ、水でくだらん争いをして生産を落とすな。区長を置いたら、水の揉め事もまずそこから上げさせろ」
「承知しました」
少し先で、一益が足を止めた。
水路の脇に並ぶ田を見てから、帳面へ目を落とす。
「三郎左衛門殿。この辺りは、ほかと記し方が違いますな」
「どこでございます」
「ここです。同じ千種村の田としては書かれておりますが、納めのところが別になっております」
俺も帳面を覗き込んだ。
「三郎左衛門。ここは千種家へ納めていなかったのか」
「はい。こちらへ納める田ではございません」
「では、どこへ納めていた」
「別口にございます」
「分かった。後で帳面を見せろ」
「承知しました」
今ここで一つずつ聞いても仕方がない。まず村全体を見る。
田だけではなく、蔵や厩、農具を直す小屋も見て回った。支配する家が千種から橘へ変わったからといって、今まで使っていた物まで捨てる理由はない。
「この蔵は今も使っているのか」
「年貢米を入れておりました」
「なら残せ。橘の物を入れる場所が足りなくなった時にも使う」
「中を改めさせます」
「頼む、一益。腐っている物まで数に入れるなよ」
「その程度は分かっております」
一益がいつもの調子で返した。
田も同じだ。耕している者から取り上げれば、春の田植えに間に合わない。今まで通り作らせ、変える必要があるところだけ手を入れればいい。
村外れへ出ると、戦の時に踏み荒らされた田が残っていた。畦が崩れ、足跡の残るところには水も溜まっている。
「ここは、戦の前までは作っていたのか」
「はい。春には直すつもりでございます」
近くにいた村の者が答えた。
隣の田は荒れていない。同じ村でも被害は一様ではなかった。
「荒れたところは、元へ戻るまで年貢を取るな」
「村の年貢を、でございますか」
忠治が確かめる。
「違う。荒れた田の分だけだ。何もされていない田まで免除する理由はない」
「承知しました」
「橘の兵が荒らした田から、何事もなかったように取るつもりもない。直すのに必要な物も調べてくれ」
* * *
音羽と潤田も、その日のうちに回った。歩いて回れない距離ではない。千種ほどではない場所もあるが、どちらにも田がまとまっている。
二つの村でも名主を呼び、千種と同じように区長候補を二人ずつ出すよう命じた。
その場で誰を区長にするかまでは決めない。名主だったことは、外す理由にも、そのまま区長にする理由にもならない。村から名前を出させた後で調べればいい。
音羽では田と水路を見て回った。
「田で使う道具と、水路や畦を直すのに必要な物も調べろ。当面必要な道具と大きな普請の人足は、朝霧から回す」
「こちらの者を使わぬのでございますか」
「使わないとは言っていない。普段の水路掃除まで朝霧の者にやらせる気はない。ただ、戦が終わった途端に田から人を引き抜いて、こちらの普請ばかりさせるなということだ」
今は二月だ。ぐずぐずしていれば、すぐ春になる。
「田植えまでに整える。秋には、これまでより取れるようにしたい」
「年貢を増やすためでございますか」
「先に収穫を増やすんだ。取れる米が増えなければ、取り分だけ増やしても村が痩せる」
忠治は少し黙った後、頭を下げた。
「承知しました」
今までどれだけ年貢を納め、どれだけ人足を出していたのかは、後で帳面と照らし合わせて調べればいい。今すぐ新しい数字を決める必要はない。実際に田を見て、村が何を負担できるのかを確かめてからでいい。
潤田では、帳面と家の数が合わなかった。
一益が村の者へ聞き、道の端にある小さな家を示した。
「こちらの家は、帳面にございませんな」
「田を持たぬ者の家にございます。人に雇われて働いておりますので」
「住んでいるのに、数えていないのか」
「年貢を納める家ではございませんので」
なるほど。千種家の帳面は、年貢を取るための帳面なのだろう。それなら田を持たない家が抜けても、向こうにとっては困らなかったのかもしれない。
だが、俺は困る。
「作り直せ」
「どのようにいたしましょう」
一益が筆を持つ。
「田を持っているかどうかで外すな。橘の領内に住んでいるなら、身分に関わりなく把握する」
「家の数さえ分かればよろしいですか」
「いや、家ごとに男が何人、女が何人、子供が何人、老人が何人いるかまで数えろ」
「それだけでよろしいですか」
「それに、何を仕事にしているか、田畑を持っているのか、人に雇われているのか。それも分かるようにしろ」
「年貢の帳面とは分けますか」
「ああ。帳面に載せることと、同じ年貢を取ることは別だ」
子供や老人まで、大人と同じだけ年貢を払わせるわけではない。知りたいのは、ここに誰がいて、何ができるのかだ。
「何人いるか分からなければ、米が足りるのか、人足をどれだけ出せるのか、誰が働けなくなれば困るのかも分からん」
「今ある帳面は」
「捨てるな。今までどう扱っていたかを見るために残せ。その上で新しく作る」
「承知しました」
一益が帳面へ書き始める。これで村を見る形はだいたい決まった。
* * *
翌日、千種城の広間へ旧臣たちを集めた。
忠治と善住坊もいる。新九郎には朝から来てもらい、壁際に座らせていた。
城と兵を取り上げただけでは終わらない。千種家という組織を解いて、使える人間を橘の中へ入れ直す必要がある。
「昨日、三つの村を見た。次はお前たちだ」
旧臣たちの顔が上がる。
「千種家で何をしていたかは聞く。だが、それだけで役は決めない。橘で何ができるかを見る」
一人が口を開いた。
「以前の役目は、引き継がれぬのでございますか」
「そのままは引き継がない。兵を率いていたからといって、今日から橘兵を預けることもしない」
切畑でも同じようにした。昔の肩書きは、今の能力を保証しない。
「新九郎。一人ずつ話を聞け。何が得意で、何が不得意か。これまで何をしていたかも本人から聞き、周りの話と合わせろ」
「承知しました」
「久助。読み書きや勘定ができる者は、お前も見ろ。蔵や帳面を任されていたなら、その働きも確かめろ」
「心得ました」
「戦える者は兵に取り立てる。だが、いきなり人を指図させることはしない。鍛冶や木工の腕がある者、馬や山に慣れた者なら、その働きも見ろ」
旧臣の中で何人かが顔を見合わせた。
武士だった者に、武士以外の仕事もさせる。気に入らない者はいるだろう。
「知行は、いかがなるのでございますか」
別の男が聞いた。
「橘でいう知行は銭だ。半年ごとに、働きを見て精算する」
「田や村を頂く形ではないのでございますか」
「ない」
「城をお預けいただいた場合も」
「城は橘の城だ。守れと言われて預かるだけだ」
「では、城へ集める兵は」
「橘の兵だ。お前の兵にはならない」
広間が静かになった。
前世でいえば、俺は市長で、こいつらは役所の職員に近い。道路を担当した者が道路を自分の物にできない。蔵を預かった者が中身を自分の物にできない。それと同じことを、この時代のやり方でやろうとしている。
「村も同じだ。村は橘の領地だ。家臣へ渡して好きに取り立てさせるつもりはない。村のことは村の者にまとめさせる。そのために区長を置く」
「今まで頂いていた知行地も、取り上げられるのでございますか」
「知行を銭で払うと言ったろう。村を切り取って知行地にする形はもう取らない」
「では、百姓の田も取り上げられるのでございますか」
「違う。百姓が耕している田まで取り上げるという話じゃない」
「では、何を取り上げると仰るのです」
「村ごと家臣へ渡して、そこから好きに取り立てさせることはしないと言っている」
男は口を閉じた。
その隣から、別の旧臣が身を乗り出した。
「では、我らには何の得もないではございませぬか」
今度は周囲も止めなかった。
「城を預かっても己の城にはならず、兵も己の兵にはならぬ。土地も頂けぬ。それでは、何のために橘へ仕えるのでございます」
何人かが忠治を見る。忠治は口を挟まなかった。
「それが橘に仕えるということだ」
男が言葉を止めた。
「勘違いするな。お前たちが得をするために役を与えるんじゃない。領内を治めるために必要だから役を与える」
「ですが」
「働けば銭は出す。働きが大きければ、それに応じて出す。家族を食わせられない銭で働けと言うつもりもない。だが、役目を得たから民から余分に取っていい、城や兵を自分の物にしていい、とはならない」
俺は旧臣たちを見回した。
「それが嫌なら、橘へ仕える必要はない。他所で働き口を探せ。止めはしない」
何人かの顔が強張った。
「ただし、後になって、やはり橘で働きたいと言っても遅いぞ。こちらが必要としている今、働く気がないというならそれでいい。他所で食えなくなったから戻りたいと言われても知らん」
「……」
「その時は路頭に迷え」
広間から音が消えた。
「俺が伊勢を攻めたのも、私利私欲のためじゃない。この腐った世の中を終わらせるためだ」
忠治がこちらを見る。
「領主が土地を分け、家臣がそこから好きに取り、兵を自分の家のものとして抱える。家が変われば決まりも変わる。それを繰り返しているから、いつまで経っても戦が終わらん」
「……」
「俺も好き勝手にしていいわけじゃない。橘の土地を治めるのが俺の役目だ。道を直し、水を通し、争いを収め、必要なら兵を出す。お前たちにも、それぞれ役目を果たしてもらう」
理念を語るだけなら簡単だ。実際にやるのは、目の前の人間を一人ずつ使える場所へ置く地味な仕事になる。
「新九郎、今日から聞き取りを始めろ。全員だ」
「はい」
「旧臣だからと一まとめにするな。本人の話だけでも決めるな。以前何を任され、実際に何ができたのかまで見ろ」
「承知しました」
「久助も手伝え。昔の家格ではなく、今できることで分けろ」
「承知しました」
一益が膝元の帳面を開いた。もう仕事を始めるつもりらしい。
「千種家の蔵や屋敷に残っている物も見直せ。使える蔵は使う。農具や材木も、持ち主が分かる物は勝手に橘の物にするな。千種家の物と個人の物を分けろ」
「その辺りは三郎左衛門殿にも立ち会っていただきます」
「そうしてくれ」
俺は忠治へ向き直った。
「三郎左衛門」
「はい」
「お前は橘に取り立てる。当面、俺の側で千種のことを説明しろ。土地も人も、俺はまだ知らなさすぎる」
「私を、取り立ててくださるのでございますか」
「そう言っている。働きを見るという約束だっただろう」
「……承知しました。お役に立てる限り、務めます」
次に善住坊を見る。
「善住坊。お前も取り立てる」
「わしも、でございますか」
「杉谷の道と山を知っている。夜戦でも役目は果たした。城へ戻して前と同じことをさせる気はないが、その土地勘は使える」
「承知しました。城を預かるのではなく、橘の家臣として働けということでございますな」
「そうだ。杉谷から千種へ入る道と、周りの山道を改めて調べろ。新九郎とも話して、荷を通せる道と兵が通る道を分けてくれ」
「そこまでお考えでしたか」
「使える者には役目を与えると言ったからな」
「分かりました。お任せください」
これでいい。降ったからといって、忠治や善住坊を飼い殺しにする気はない。ただし、力は借りても、昔のような支配権まで戻すつもりはない。
新九郎が最初の旧臣を呼び、一益が別の帳面を開いた。あとは一人ずつ聞けばいい。
* * *
夕方、城から千種の田を見下ろした。
冬の田は色が乏しい。それでも、朝霧とは比べものにならないほど平らな土地が広がっている。
千種は悪くない。田が多く、人もいる。荷を集め、領内を治める場所として考えれば、朝霧より使いやすいところもある。
ここを捨てて山へ引っ込むのも違う。ただ、俺は山育ちだ。
「十兵衛様、まだ何か気になりますか」
横にいた政基が聞いた。
「本拠だな」
「千種では足りませぬか」
「土地としては悪くない。田もあるし、人も集められる。ただ、どうせ北伊勢の本拠にするなら、もう少し守れる場所を考えたい」
「朝霧と同じものをお求めになるのですか」
「同じものは無理だろうな」
山そのものを壁にして、入ってくる道を絞る。朝霧では当たり前だったが、平地へ出れば同じにはいかない。
それでも、敵が来た時に城だけへ逃げ込む場所ではなく、人と荷と村を守ることまで考えられる場所が欲しい。
「すぐには決めない。千種城は当面使う。まず、取った土地の中身を把握する方が先だ」
「承知しました」
広間へ戻ると、一益が今日集めた帳面を抱えて待っていた。
「十兵衛様、村の帳面から始めますか」
「いや。千種家に残っている帳面を全部出させろ。村、田、年貢、人足、蔵、分かれているなら全部だ」
「全部、にございますか」
「全部だ。今のうちに見ておく」
「では、書き手も呼びます。某一人では夜が明けても終わりませぬ」
「頼む。俺も見る」
区長を置き、人を数え直し、田植えまでに水路と田を整え、旧臣も使えるところへ振り分ける。千種をどう治めるかは、これで概ね決まった。
あとは、実際の土地と帳面がどこまで合っているかだ。




