第70.5話 閑話 見えている兵が全軍とは限らない
天文二十二年(1553年)、秋。
伊勢国、三重郡、切畑村。
縮んだ寿命――畑与九郎
今年の稲は悪くない。刈り取られた稲束を持ち上げてみると、穂はよく垂れ、籾もしっかり詰まっていた。春先には雨の具合を気にしたものだが、この分なら取るべき年貢を取っても、村には冬を越すだけの米が残るだろう。
「殿、それはこちらではなく、向こうへ置いてくだされ」
「分かっておる。向こうへ持っていくところだ」
「先ほどもそう仰って、違うところへ置かれましたぞ」
「どこへ置いても稲は稲だろう」
「後で束を数える者が困ります」
「……なら最初からそう言え」
近くで鎌を振っていた者まで手を止め、こちらへ顔を向けている。切畑など、城下と村を分けて考えるほど大きな土地ではない。城主といっても、田へ下りれば昨日も顔を見た者ばかりで、百姓の仕事に口を出せば逆に叱られることもある。
少し先では嫡男が黙々と稲束を運んでいた。こちらを見て笑っているのが腹立たしい。
「お前も笑っておらんで、少しは父を助けんか」
「父上が余計な仕事を増やされなければ、こちらも助かるのですが」
「随分な言い草だな。わしは城主だぞ」
「田では百姓の言うことを聞いた方がよろしいかと」
「お前はどちらの味方だ」
「稲の味方にございます」
また周りから笑い声が上がった。今年はよく穫れた。村の者がこうして笑えているなら、それでいいと思っていた。
ところが刈り入れが終わってひと月もすると、妙な話が増え始めた。豊作だったはずなのに米の値が下がらず、それどころか街道へ出た者が戻ってくるたび、前より高くなったと言う。
「今年は米が穫れたのだろう。何で値が上がる」
「商人が買っております。こちらだけではなく、八風街道沿いでも随分集めているようで」
「なら売らなければよかろう」
「値の高いうちに売りたい者もおります。それに、塩や油を買わねばなりませぬ」
「塩なら、いつもの荷が来るだろう」
「それが、まとまった荷を持ってくる商人が減っております。少しずつなら入ってくるのですが」
誰かが荷を止めているなら分かる。だが、街道から商人が消えたわけではなく、塩も油も買えないわけではない。ただ、入ってくる量が減り、値ばかりが上がっている。米は買われるのに、こちらが欲しい物はまとまって入ってこないという、何とも気味の悪い状態だった。
城の蔵にも米はある。だが、この妙な状態がいつまで続くのか分からん。先のことを考えれば、好きなだけ食わせるわけにもいかない。飯の盛りが少しずつ減り始めると、わしの腹は正直だった。
「……ひもじいな」
「父上、先ほど粥を二杯召し上がったではありませぬか」
「粥は水が多い。腹に入ってもすぐ消える」
「村では一杯で済ませている者もおります」
「それを言われると食い足せんではないか」
「最初から足さぬ方がよろしいでしょう」
冬が近づくにつれ、今度は近江から兵が来るという話まで流れ始めた。最初は千だ二千だと言われていたものが、数日後には五千、一万と増え、とうとう二万にまで膨れ上がった。
「二万だと? 本当にそう言っておるのか」
「街道を来た商人も同じことを申しております。正月明けには、六角勢が八風を越えるのではないかと」
「待て。二万も連れて何をしに来る。切畑を取るだけなら、そんな数はいらんぞ」
「北伊勢全体へ兵を入れるのではないかという話にございます」
「それならなおさら困るわ。二万もの兵に通り道にされれば、戦う前に踏み潰されるではないか」
「噂の出どころまでは分かりませぬ。ただ、どこへ行っても似た話を聞くそうで」
出どころの分からん噂ほど始末が悪い。だが、米が妙に買われ、まとまった塩の荷が入ってこなくなったところへ六角出陣の噂まで重なれば、ただの馬鹿話だと笑い飛ばす気にもなれなかった。
その晩、嫡男を呼んで相談した。
「杉谷へ援兵を求めるのはいかがでしょう、父上。善住坊殿なら兵もおりますし、山道にも詳しいでしょう」
「善住坊だと! あの変わり者に頼むなど御免被る。何を考えているのか分からん男に借りなど作れるか」
「今は好き嫌いを言っている場合ではございませぬ。なら三郎左衛門殿はいかがでしょう。千種ならこちらより兵も多うございます」
「三郎左衛門だと! ふざけるのも大概にしろ。千種なんぞに兵を借りたら、戦が終わった後まで切畑へ口を出してくるわい」
「では治部少輔殿へ話を通してみては。六角方の事情も分かるでしょうし――」
「治部少輔だと! 六角方ではないか! 六角が攻めてくるかもしれんという話をしておるのに、そちらへ助けを求めてどうする!」
嫡男はしばらく黙り込んだ。杉谷は嫌、千種は嫌、六角は論外となれば、残る相手などそう多くない。
「では、どなたならよろしいのでございますか」
「それを考えるためにお前を呼んだのだ」
「某が挙げた相手を、父上がすべて退けられたのですが」
「もう少しましな相手を出せ」
「その三つ以外で、今すぐまとまった兵を出せる相手がおりませぬ」
「……なら、今日はここまでだ」
「何も決まっておりませぬぞ、父上」
結局、援兵を頼む相手は決まらなかった。
ところが年末が近づいた頃、今度は正月明けに八風を越えるのは六角本隊ではないらしいという話が入った。近江の境目にいる橘という家が、先に伊勢へ入るという。
「橘? 六角ではないのか」
「先鋒を務めるだけかもしれませぬが、今のところ先に八風を越えると聞くのは橘にございます」
「兵の数は分かるのか」
「そこまでは。ただ、近江の境目を預かる国衆にございます。六角勢二万が一度に押し寄せる話ではないようで」
「何だ、橘か。六角が二万も連れて来ると思って、どれだけ眠れん夜を過ごしたことか」
「安心するのはまだ早いかと」
「分かっておる。だが、まず縮んだ寿命を返してもらいたいものだ」
楽観して備えまで解いたわけではない。近くの村から兵を集め、切畑にいる者を合わせて百八十ほどまで増やした。城の柵も見直し、蔵の米も数え直したうえで年を越したのだが、正月を迎えてもしばらくは何も起きなかった。
村では家々から餅を焼く煙が上がり、城へ集めた兵まで酒を回し始めた。米を節約しているから膳は少し寂しいが、餅と酒があれば騒ぐには足りる。歌い出す者もいれば、村の子供は城の下を走り回り、ここ数月の重苦しさが嘘のようだった。
「来る来ると言われて年を越したではないか。橘も正月くらいは休むらしいな」
「父上がそう仰ると本当に来そうなので、あまり申されぬ方が」
「縁起でもないことを言うな。ほら、お前も飲め」
「番の者まで飲ませぬようにしてください」
「そこまで馬鹿ではない。わしだって城主だぞ」
酒はよく入った。その分だけ厠も近くなり、寒い外へ何度も出る羽目になった。
「酒を飲めば温まるが、その度に外へ出ていては何をしておるのか分からんな」
厠から戻る途中、番兵の一人がこちらへ駆けてきた。麓の林の辺りで人影が動いており、何人かは林へ入ったという。
「村の者ではないのか。今日は朝からあれだけ騒いでおるのだぞ」
「それにしては人数が多いようにも見えまして」
「薪でも取りに行ったんだろう。この寒さで火を絶やせば凍える。橘が来るなら、林へこそこそ入らず旗でも立てて来るわ」
「もう少し見張っておきます」
「それでいい。何かはっきり見えたら知らせろ」
城へ戻って酒を一杯飲み直した頃、同じ番兵がまた来た。やはり麓の様子がおかしく、先ほどより人影が増えているという。
「お前、本当に麓しか見ておらんな」
「番でございますので、見ぬわけにもまいりませぬ」
「村の者も今日はあちこち歩いておる。兵なら武具なり旗なりが見えるだろう」
「今のところ、それらしい物は見えておりませぬ」
「なら村の者だ。何でも敵に見えていたら、正月から身が持たんぞ」
番兵を戻した直後、遠くで鏑矢の音が響いた。
今度はわしも杯を置いた。外へ出ると、麓に旗が上がっていた。橘の旗だったが、見える兵はせいぜい百ほどしかいない。六角勢二万を想像して何月も身構えてきた目には、あまりにも少なかった。
「何だ、やっぱり小勢ではないか! 橘だか何だか知らんが、この与九郎の敵ではないわ。倅、お前は三十ほど連れて城に残れ。残りはわしと出るぞ」
「父上、見えている兵が全軍とは限りませぬ。少し様子を見てからでも遅くはないかと」
「百ほどが目の前まで来ておるのに、城へ籠もって眺めていろというのか。こちらは百五十を出せる。押せば退く」
「追い過ぎてはなりませぬぞ」
「分かっておる。お前は自分の役目を果たせ」
「城は某が守ります。父上も無理はなさらぬように」
城を出て一度槍を合わせると、橘勢はほどなく向きを変えた。きれいに下がっていくのが少し気にはなったが、こちらが押した途端に退いたとなれば、敵が怯んだと見る方が先だった。
「殿、退いていきますぞ。このまま押せば追い払えます!」
「見たか。やはり百ほどで切畑を取ろうなど無理なのだ。詰めろ、逃がすな!」
「城から離れますが」
「ここで崩せば、今さら城へ引き返す必要もない。正月早々人を騒がせた礼くらいしてやれ!」
橘勢を追って街道を進み、狭い沢へ入ったところで、前を退いていた橘兵が左右へ割れた。その向こうに兵が並び、長い筒を一斉にこちらへ向けていた。
「殿、鉄砲です!」
「何丁ある!」
「分かりませぬ。前だけでも相当な数が!」
「何なら分かるんだ! ……待て、後ろにも兵がおるぞ」
「殿、これは罠では――」
「しまった、罠か! 城へ戻るぞ、後ろを押し破れ!」
轟音が重なった。
馬が前脚から崩れたのと、胸へ何かが打ち込まれたのはほとんど同時だった。身体が宙へ投げ出された。それなのに不思議と痛みはなく、代わりに幼い頃の切畑が妙にはっきり見えた。田の畦を歩いたこと、城の庭で転んだこと、泣いているわしを抱き起こしてくれた大きな手まで浮かんでくる。
ああ、死んだ爺様がおる。わしを呼んでおるのか。
「……今、行きますぞ」
* * *
天文二十三年(1554年)、正月半ば。
伊勢国、三重郡、千種城。
どうしてくれる忠治――萩沢備前守
近江から六角勢二万が伊勢へ入るらしい。そんな話を忠治へ持っていった時、切畑がこれほど早く落ちるとは、某も忠治も思っていなかった。
「二万となれば、こちらへ来てから考えていたのでは間に合いませぬ。切畑で止まらぬなら杉谷、その次には千種へ来ると見て、今のうちに兵を集めておいた方がよろしいでしょう」
「二万か。それは一大事だな。六角が本気で北伊勢へ入るなら、こちらだけを相手にするとも思えん」
「籠城するにしても、兵糧と城兵の数は改めて確かめておきます。向城と金ヶ原にも話を通しておいた方がよろしいかと」
「そうしてくれ。こちらから動くかどうかは、近江勢の姿が見えてから決めればいい」
「切畑が少しでも持ちこたえてくれれば、その間に――」
「申し上げます! 切畑城、落城にございます!」
忠治と顔を見合わせた。いくら何でも早い。
「もう落ちたのか。左京大夫は伊勢へ入ったのか」
「そこまでは分かりませぬ。ただ、切畑を落とした先鋒は橘勢とのことにございます」
「橘か。兵はどれほどいる」
「確かな数ではございませぬが、三百ほどではないかと」
「三百? 二万ではなく?」
「後ろに六角本隊がいる可能性はございますが、今のところ確認されているのはその程度にございます」
忠治の顔から少し険が取れた。三百だけなら、千種城へ籠もっていれば容易に落とされる数ではない。本隊が後ろにいるとしても、到着するまでには備えを整える猶予がある。某もそう考えたのだが、その考えはすぐに崩れた。
そこへ、さらに使者が駆け込んできた。
「殿、杉谷が橘方へ付きました。善住坊が兵を出し、橘勢とともにこちらへ進んでおります」
「善住坊までか。……備前守、どうする」
「籠城するのが堅いとは思いますが、杉谷に山道を押さえられるのは厄介ですな。こちらが閉じ籠もる間に向城や金ヶ原へ回られかねませぬ」
「なら杉谷を先に叩くか」
「橘がすでに近くまで来ております。六角本隊まで後ろにいた場合、杉谷へ出たところを挟まれますぞ」
「では籠城か」
「ですから、それでは杉谷が厄介だと申しておるのです」
どちらを選んでも別の穴が開く。籠もれば目先は城を守れるが、その間に杉谷勢がどこへ回るか分からない。六角本隊が後ろにいるなら、待つほど不利になる。外へ出れば橘三百を先に叩ける可能性はあるが、杉谷勢の動きも、本隊の位置も分からない。
「……どうする」
「殿、こちらから奇襲を仕掛けてはいかがでしょう」
「こちらからか。今しがた、お前自身が外へ出れば挟まれると言ったではないか」
「杉谷へ向かえば、でございます。狙うのは橘だけ。八風を越え、切畑を攻め落とし、そのまま杉谷まで進んでおります。橘の兵が三百ほどなら、相当に疲れているはずです。杉谷勢が近くにいても、こちらは六百。夜のうちに橘だけを先に叩きます」
「その疲れたところへ夜襲を掛けるのか」
「いかにも。六角本隊が来る前に先鋒だけを潰すなら、今しかございませぬ」
忠治は腕を組んだ。夜なら鉄砲も昼ほど自由には使えないと付け加えると、ようやく顔を上げた。
「なるほど。切畑との戦の疲れも癒えぬうちにこちらまで来た橘を、休ませる前に叩くわけか」
「左様にございます。先鋒を潰せば、仮に後ろに六角本隊がおっても簡単には進めますまい」
「悪くないな。なら備前守、お前が兵をまとめろ」
「六百ほど出せます。橘だけなら十分でしょう」
「六角本隊が見えたら無理はするな。今夜の相手はあくまで橘だ」
「心得ております」
夕刻までに兵を揃え、支度を済ませて忠治のところへ戻った。ところが、こちらはもう出陣できるというのに、忠治はいつもの格好で座っている。
「殿、兵の支度は整いました。日が落ちる前には朝明川の近くまで出られます。さっ、殿もお支度を。そろそろ出陣いたしますぞ」
「……わしもか」
「何を仰っておるのです。殿が総大将でしょう」
「いや、行かん。任せる」
「某だけでございますか。ここまで一緒に策を考えておいて、いざ出る段になって残られると」
「お前が言い出した策だろう。それに、わしまで出れば千種城が空になる。今夜の差配はお前に任せる」
理屈は通っている。だが、何となく釈然としない。
「便利な言葉でございますな」
「勝って戻れば何の問題もない」
「なら勝って戻ってまいります。その時は一番よい酒を出していただきますぞ」
「好きなだけ飲め。だから、さっさと行け」
兵を率いて朝明川の近くまで進み、こちらの姿を隠せる場所で足を止めた。まず物見を出して橘勢の様子を探らせると、戻ってきた者の話は、事前に聞いていた内容とほとんど変わらなかった。
「橘勢は川の対岸に陣を置いております。見える兵は三百ほどにございます」
「杉谷勢は」
「見当たりませぬ。橘の兵は座り込んでいる者も多く、随分と疲れているように見えます」
「陣の備えはどうだ」
「柵はございますが低く、荷もそれほど多くは見えませぬ」
「やはり切畑から休まず来たか。もう一度、兵の数と周りの様子を確かめてこい」
「承知しました」
二度目の物見も、兵数や陣の様子に変わりはないという。杉谷勢の姿も見えなかった。あまりにもこちらの見立て通りで、かえって気にはなったが、六角本隊が後ろにいるなら、ここで待つ方が危ない。
「これなら今夜仕掛ける。松明は使うな。川へ入ってからは声も抑えろ」
「見張りに見つかった場合は」
「騒ぎにならぬうちは、そのまま進め。先頭だけで戦を始めるなよ。六百を連れてきて、百や二百でぶつかっては意味がない」
「先頭を対岸で待たせ、後ろを渡らせます」
「それでいい。柵へ寄るまでは勝手に声を上げさせるな」
夜を待って兵を動かした。先頭が浅瀬へ入っても橘の陣から大きな動きはなく、やがて見張りらしき兵がこちらへ気付いたものの、声を上げて駆け回るでもなく静かに後ろへ下がっていった。
「備前守様、見張りが退いております。気付かれたのでは」
「こちらがいることくらいは分かっただろう。だが陣が騒いでおらん。数までは見えていない」
「先頭はもう対岸へ上がっております」
「そこで待たせろ。後ろを渡らせる」
「橘の兵はまだ陣から出てきませぬ」
「まだ何が起きたか分かっておらんのだろう。好都合だ」
渡河を続けるうち、低い柵がすぐ目の前に迫った。物見の報告通りの備えだった。
「随分と頼りない柵ですな」
「切畑からここまで来て、満足に普請する力も残っておらんのだろう。これなら今夜のうちに崩せる」
「後ろもほとんど渡りました」
「よし。詰めろ。ここからは一気に陣へ入るぞ」
「柵を越えたら声を上げます」
「そのまま押し込め。立て直す暇を与えるな」
その時、柵の向こうで人影が一斉に立ち上がった。横一列に並んだ兵の手にある長い筒が、篝火に照らされて浮かび上がった。
「……鉄砲?」
夜が白く光った。
轟音とともに先頭の兵が崩れ、後ろから押してきた者たちが止まりきれず、倒れた兵へ重なった。ここで止まれば余計に混乱する。そう判断して声を張り上げたところへ、今度は上流から喊声が上がった。
「押せ! 一度撃ったなら、次を撃つまで間がある。ここで止まるな!」
「備前守様、上流から兵が来ます!」
「何者だ」
「杉谷勢にございます! 川沿いへ回り込んできております!」
「杉谷勢は見えなかったのではないのか!」
「陣にはおりませんでした!」
そういう意味か。
後ろからも喊声が上がり、川へ戻ろうとした兵が押し返された。前には橘勢、上流側には杉谷勢、渡ってきた浅瀬にも敵が回っている。見えていた三百だけを叩くつもりで、その周りに隠れていた兵の中へ、自分から六百を入れてしまったのだ。
「城へ戻る! 浅瀬は塞がれた。城側の脇道へ抜けるぞ!」
「備前守様、その先にも橘勢がおります!」
「どれほどだ」
「五十ほどにございます!」
「五十なら押し破れる。ここで止まるな!」
「某らが道を開けます」
「よし、続け!」
城側の脇道へ向かって走っていると、どこからか声が飛んだ。
「久助! 具足の男がそっちへ行く!」
「見えております!」
前を塞ぐ五十ほどの兵へ、こちらの先頭が正面からぶつかった。槍が重なり、人の塊が止まった。
「道を開けよ!」
叫ぶと、敵の列から一人の男が前へ出た。
郎党の突き出した槍を、その男は受けて横へ流した。横から入ったもう一本は、隣の兵が叩き落とした。
久助と呼ばれた男の槍が伸びた。
まずいと思った時には、穂先がわしの脇腹へ入っていた。
膝が落ち、周りの声が遠くなった。三百だった。疲れていた。柵も低かった。物見でも杉谷勢は見えなかった。夜なら鉄砲も使いにくいと思った。だから今なら勝てると忠治へ進言した。
「……夜襲を言い出したのは、わしか」
いや、待て。
忠治も忠治だ。あの時、一緒に出ておれば、こうはならなかったのではないか。そもそも最後になって全部任せると言ったのも忠治ではないか。
なら、これは全部わしのせいというわけでも――。
「……どうしてくれる、忠治」




