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近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第二章 橘の礎

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第62話 人を束ねる者

 天文二十一年てんぶんにじゅういちねん(1552年)、夏。

 近江国(おうみのくに)愛智郡(えちぐん)朝霧村(あさぎりむら)橘屋敷(たちばなやしき)表座敷(おもてざしき)


 夏のある日――橘頼政(たちばなよりまさ)


 わしが表座敷へ入ると、小徳丸(しょうとくまる)は、おせんと可成(よしなり)を前に二通の書付(かきつ)けを広げていた。


 小徳丸が一通をおせんへ渡す。

「まず三十組揃えてくれ。使った数も控えておいてほしい」

「承知しました」


 おせんが書付けを畳むと、小徳丸は残る一通を可成へ差し出した。可成は二枚の紙へ順に目を通す。

三左衛門(さんざえもん)。兵を組み直して、まずはこれを試してくれ」

「全て同時に始めるのでございますか」

「いや。一個小隊(しょうたい)でいい。実際にやってみて、使えないものは変えて構わない」

「では、五十人で一通り試します。使えるものだけ残しましょう」


 二人が座敷を出ていくと、小徳丸はすぐにわしの方へ向き直った。

「父上。桑名(くわな)へ行ってきます」

「今度は何を見に行く」

「蔵と船の出入りです。荷が増えて、人足(にんそく)が足りていません。帳面だけでは分からないので、一度向こうを見てきます」

「なら弦十郎(げんじゅうろう)を連れていけ。お前一人で船着き場をうろつくな」

「はい、父上」


 火縄銃(ひなわじゅう)を買って戻ったばかりだというのに、もう次の仕事へ手を伸ばしている。止めたところで、おそらく誰かを桑名へ送り、自分は別のことを始めるだけだ。弦十郎を付けて本人に見せた方が、話は早い。


 小徳丸が立ち上がりかけたところで、廊下から家人(けにん)が顔を出した。

「殿。茂兵衛(もへえ)殿が、宮田(みやた)村の区長(くちょう)を連れて参っております」


 高晴(たかはる)が区長を連れてくるなら、ただの報告ではあるまい。小徳丸も足を止めた。

「お前は行け。こちらはわしが見る」

「分かりました。では、行って参ります」


 入れ替わるように高晴と宮田村の区長が入ってきた。高晴の後ろへ座った区長は、片頬を赤黒く腫らし、袖には乾いた泥がこびりついている。


 挨拶を済ませるのも待たず、わしは()いた。

「何があった」

「隣村の者が、沢の(せき)へ板を足しました。宮田へ落ちる水がほとんどなくなり、田が干上がり始めております」

「水が止まっただけなら、その顔にはならぬな」

「村の者を連れて板を外しに参りましたところ、向こうの者が止めに入りまして……」


 連れていったのは二十人ほどだという。

「その前に、こちらへ知らせたか」

「いえ。急がねば田が駄目になると思い……」


 やはり、知らせていない。


 水を止められれば、田を持つ者が黙っていられぬのは分かる。だが、区長が二十人も率いて他領(たりょう)の村へ押しかければ、揉め事になるに決まっている。

「怪我人は」

「宮田は三人。向こうも二人ほど倒れました。幸い、死んだ者はおりませぬ」

「何を持っていった」

(くわ)と棒を……。堰板を外すための鍬でございましたが、争いになってからは……」


 最後まで聞く必要はなかった。鍬であろうと棒であろうと、人へ向ければ得物(えもの)になる。


 区長は、こちらに代わって村をまとめさせるために置いた者だ。村人を率いて他領へ押しかけるためではない。

「水を止められたことと、お前が何をしたかは分けて考える。橘へ知らせず人を集め、他領の村へ押しかけて争いを起こした責は軽くない。今日限りで区長の任を解く」

「殿……」

「急いでいたことは分かる。だが、急いでおれば勝手に二十人を動かしてよいことにはならぬ」

「……承知いたしました」


 高晴へ訊く。

「だが、これで水の話まで終わりにはできぬ。宮田の田を枯らすわけにはいかん。茂兵衛、以前はどうしていた」

「水の少ない年は、二日ごとに堰板を替えておりました」


 堰の石組(いしぐ)みは隣村、水路(すいろ)泥上(どろあ)げは宮田が受け持ち、どちらの村も勝手に板を足さないのが(なら)わしだった。

「書付けにはなっているか」

「ございませぬ。竹田(たけだ)が宮田を預かっていた頃から続いております」

「なら、向こうの名主(なぬし)にも来てもらおう。呼びつけるのではない。堰で話をしたいと伝えよ」


 隣村は橘の領分(りょうぶん)ではない。こちらで宮田の区長を処分することはできても、向こうの村まで同じように裁くことはできぬ。だからこそ、まず堰と水の様子を見た方が早い。


 昼を過ぎてから、わしは高晴と、先ほど区長を解いた宮田の男を連れて村の外れへ向かった。


 問題の堰まで来ると、話だけでは分からなかったことがすぐに見えた。沢を横切る石組みの上には板が重ねられ、その分だけ堰が高くなっている。争った時に崩したのか、石組みの端は一部が崩れていた。堰の下から宮田側の水路へ落ちる水は、底を濡らすほどしかない。しかも、上流(じょうりゅう)から来る沢水そのものが細かった。


 ほどなく隣村の名主も四人の百姓を連れて現れた。堰を挟んで向かい合うなり、名主が先に口を開いた。

「橘殿。先に堰を壊したのは宮田の者にございます」

「聞いている。勝手に人を集め、村を動かした区長は解いた」

「その者を、お役目から外されたのでございますか」

「こちらの者の責は、こちらで取らせた。だが、そちらも勝手に堰へ板を足した者を、そのままにはするまいな」


 名主は堰の上へ積まれた板を見た。

「上の田も水が足りませぬ。先にこちらへ水を落とさねば、我らの田が枯れます」

「茂兵衛からは、水が減った年は二日ごとに板を替えていたと聞いた」

「昔はそうしておりました。ですが、今年は水が少なすぎます」


 名主が上流へ手を向ける。見れば分かる。これだけ沢が細ければ、どちらかへ流し続けた分だけ、もう一方の田が乾く。板を取り合ったところで、両方へ足りるだけの水が増えるわけではない。

「では、以前の通り二日ずつに戻すのはどうだ」

「二日も水が来なければ、今年はこちらも持ちませぬ」


 昔からの決まりだからと、そのまま押しつけても仕方がない。水の量が違うなら、分け方も変えねばならん。

「なら一日ごとだ。日暮れになったら両村から二人ずつ出し、互いに立ち会って板を替える。これまで宮田が止められていた分、最初の一日は宮田へ流す」

「一日で替えるのであれば、こちらも何とかいたします」

「堰は元の高さへ戻す。今日壊したところは、明日、両村から十人ずつ出して直せ。以後、立ち会いなしに板へ触るな」

「また宮田の者が押しかけてくれば、どうなさいます」

「新しい区長が決まるまでは、水のことだけ茂兵衛に見させる。また勝手に人を集めたなら、言い出した者だけでなく、加わった者にも責を取らせる」


 宮田そのものを高晴へ預けるつもりはない。あくまで今回の水争(みずあらそ)いを見張らせるだけだ。


 わしは元区長へ向いた。

「それで異存(いぞん)はあるか」

「ございませぬ。村の者にも申し聞かせます」


 隣村の名主は、しばらく堰と宮田へ落ちる細い水を見比べていた。

「こちらも、勝手に堰へ集まらぬよう申し付けます」

「怪我人は、それぞれの村で手当てさせよ。互いに詫びを入れ、鍬はそれぞれの村で直せ。それで今回の争いは終わりにする」

「承知いたしました」


 口約束だけで終わらせれば、次に水が減った時、また同じ話になる。


 持ってきた紙へ、高晴に今年の分水(ぶんすい)堰普請(せきぶしん)について書かせた。一日ごとに水を替えること、日暮れに両村から二人ずつ出ること、勝手に板へ触れぬこと、堰を直す時は双方から人を出すこと。書き上がったものへ、元区長には今回の当事者として、隣村の名主には村の代表として名を記させた。高晴にも橘方の立会(たちあ)いとして名を書かせた。


 もっとも、これは今年の渇水(かっすい)が収まるまでの仮決めにすぎない。これを先々までの定めにするなら、隣村の領主を抜きに決めるわけにはいかぬ。書付けは同じものを二通作らせ、両村に一通ずつ持たせる。向こうの領主へも、その写しを送ることにした。宮田には、三日のうちに後任(こうにん)の候補を二人出させる。


 話がまとまると、立ち会っていた百姓が堰板へ手を掛けた。一枚を外した途端、それまで石の隙間から漏れていただけの水が勢いを増し、宮田側の水路へ白く泡立ちながら落ちていく。


 元区長は何も言わず、その流れを見ていた。


 刀を抜く者は出なかった。水は宮田へ戻ったが、その日のうちに、村をまとめる者の座だけは空いた。


 * * *


 三日後――(もり)可成


 若様が桑名へ発たれてから、三日が過ぎた。


 (それがし)は第二中隊(ちゅうたい)第一小隊の五十人を訓練場(くんれんじょう)へ並べ、その脇に第二小隊を預かる犬千代(いぬちよ)を立たせていた。

「三左殿。見るだけなら、わしまで呼ばんでもええがね」

「明日からは、お主が自分の五十人へ教えるのだ。見てもおらぬものを、どう教える」

「一度見れば分かるがね」

「なら最後まで見ておけ。一度で分からなければ、明日も見ることになるぞ」

「……それは嫌だがね」


 手元には、出立(しゅったつ)前に若様から渡された書付けがある。その脇には、おせんが女衆(おんなしゅう)に運ばせた(かご)が置かれていた。細く裂いた布、厚手の布、(ひも)、小さな板が一組ずつまとめられ、三十組に分けて包んである。

「若様から仰せつかった三十組、揃えてございます」

「早かったな」

「使った分だけ、後で知らせてくださいませ」

「今日は五組だけ使う。何が傷み、何が足りぬか確かめてから次を使う」

「承知しました。後で聞きに参ります」


 おせんが戻るのを待ち、五つの分隊(ぶんたい)から一人ずつ前へ出させた。


 選んだのは、血を見て取り乱さず、手先の落ち着いている者だ。若様の書付けでは、その者を衛生兵(えいせいへい)とし、普段は他の兵と同じように戦わせ、傷を負った者が出た時だけその役に回すとある。


 五人は、古参(こさん)だけにも新参(しんざん)だけにも寄せなかった。各分隊の中で覚えさせれば、次からは同じ十人の中で教え合える。


 まずは、五十人を同じ命令で動かせるかを見る。最初は上役への(れい)だ。書付けの絵に従い、右手の指を揃えて額の横へ上げさせた。次は列を揃えたまま歩かせる。膝を伸ばして足を前へ出し、歩幅(ほはば)を揃えて進ませた。


 一人でやれば妙な動きにしか見えぬ。ところが五十人を並べると、歩幅の狭い者、足を出すのが遅い者、前の者との間を空ける者がすぐに浮き上がった。

「止まれ!」


 先頭は声に合わせて止まったが、後ろでは三人が前の背へぶつかった。


 書付けには、一人でも動きを外した時は全員に腕立(うでた)て伏せをさせろとある。

「全員、腕立て伏せ!」


 五十人が一斉に地面へ手をついた。


 隣で見ていた犬千代が列の端を指す。

「三左殿、あそこの二人が遅いがね」

「兵へ直接言うな。分隊長を使え」

「第五分隊長が気付いとらんがね」

「なら、気付かせろ。十人を見るのが分隊長なら、その五個分隊を見るのが小隊長だ。明日はお主がそこに立つのだぞ」


 犬千代は第五分隊長を呼んだ。

「後ろを見とらんがね。前の者だけ見て歩かせるな。十人全部を見ろ」

「はっ」


 列を戻してもう一度やらせた。敬礼(けいれい)、前進、停止、右への向き直り、左への向き直り。やること自体は難しくない。それでも五十人全員を同じ時に動かそうとすれば、誰かが半歩遅れ、誰かが余計に一歩進む。


 動きを外すたびに全員へ腕立て伏せをさせ、また列へ戻した。そうして同じことを繰り返しているうちに、昼が近くなった。


 午後は、三個分隊に火縄銃を持たせ、残る二個分隊には木槍(きやり)を渡して訓練場の外へ出した。火縄銃には弾も玉薬(たまぐすり)も入れず、火縄も外してある。腰へ下げた火薬入(かやくい)れも空だ。


 今度は声を使わない。某が手を上げれば止まり、前へ倒せば進む。腰を落としたまま木立(こだち)へ入り、前の者との間を切らさずに進ませた。


 しばらくすると、列の中から何かが小さく当たる音がした。某が手を上げると、今度は午前より早く、前から順に動きが止まった。


 音を立てた兵のところへ分隊長を行かせると、腰へ下げた火薬入れが、歩くたびに銃床(じゅうしょう)へ当たっている。

「分隊長、直せ」

「はっ」


 吊るす紐の位置を変え、火薬入れを身体へ寄せる。それで音は消えた。


 再び進ませたが、今度は前の兵が押し退けた枝をそのまま放し、後ろの兵の顔へまともに当てた。(うめ)き声が上がり、そこでまた列を止める。


 午前と同じく、決めた動きができぬ者が出れば、全員に腕立て伏せをさせた。枝を押さえた者は、後ろの者が受け取ってから手を離す。足元に石があれば避け、(かかと)を強く落とさない。前の者の動きを見て、次に自分が何をするか分かるようになるまで繰り返した。


 ただ静かに歩けばよいのではない。五十人が互いの邪魔をせず、音を立てず、それでも列を切らさず進めなければ意味がない。


 木立を抜けさせた後は、縦に続いた五個分隊を横へ開かせた。一度目は、端の分隊が横へ出るのに遅れ、慌てて位置を直そうとして前へ出すぎた。十人だけが斜めになる。


 戻してやり直し、横列(おうれつ)から縦列(じゅうれつ)へ、縦列から散開(さんかい)へと形を変えさせた。


 ここまでは、武器が違っていても全員へ同じ動きをさせればよかった。次は、それぞれの役目に合わせて動かす。


 まず、銃を持つ三十人を腹ばいにさせ、銃を身体の前へ抱えて進ませた。ところが、最初の十間(じっけん)も行かぬうちに二人が銃口を土へ突っ込んだ。別の一人は腰の火薬入れを地面へ引っ掛け、身体を進めるたび紐に引かれている。


 これでは敵へ近づく前に銃を傷める。

「止まれ。銃口(じゅうこう)を地面へ入れるな。火皿(ひざら)は上へ向けろ」


 分隊長に持ち方を直させ、もう一度進ませた。


 今度は銃口こそ土へ入らなかったが、銃を気にするあまり進み方がばらばらになった。前との間が開き、木陰へ着く頃には何人も息が上がっている。そこから立ち上がって列を作らせても、すぐには揃わない。


 犬千代が腕を組んだ。

「三左殿。これでは遅すぎるがね。敵がおったら、立つ前に踏まれるわ」

「某も同じように見える。持ち方を変えて、もう一度だけ試す」


 銃を身体の前へ抱えず、横へ寄せて進ませてみた。


 それでも駄目だった。今度は銃床が地面へ当たり、それを避けようとすれば隣の兵との間が開く。銃そのものの長さが、腹を地面へ付けて進む動きに合っていない。

「やめろ。腹を付けて進むのは、塀や土盛りの陰を短く抜ける時だけにする。三十人を揃えて動かすやり方には使わん」


 兵を立たせ、代わりに腰を落として進ませた。上体を低くしたまま十歩進み、止まったところで片膝をつく。先ほどより(はる)かに速く、銃口も地面へ向かない。息の乱れも少なかった。

「こちらを残す」

「最初から、そうすればよかったがね」

「一度も試さず捨てて、本当に使えぬかどうか分かるのか」

「……それは、分からんがね」

「明日も同じように試せ。若様の書付けをそのまま兵へやらせるな。使えるかどうか、お主が見ろ」


 低い姿勢のまま木陰まで進ませ、そこで銃兵を二列にする。前列は膝をつかせ、後列はその背後へ立たせた。


 先ほど土の上を這わせたせいで、着物の前も膝も汚れている。それでも三十本の銃口は、ようやく同じ板の的へ向いた。


 残る二個分隊の木槍兵を左右へ開かせ、銃兵が姿勢を変える間を守らせる。一度目は、右へ開いた第三分隊が前へ出すぎた。


 銃兵の前を塞ぐ位置まで入り込んだのを見て、犬千代が反射的に声を張る。

「第三分隊、前へ出すぎだがね! 銃の前を横切るな!」


 十人が一斉に振り返り、慌てて後ろへ下がったせいで列が崩れた。


 某は犬千代を止めた。

「兵へ直接言うな」

「今は急いどったがね」

「だからだ。急ぐたびにお主が十人へ一つずつ命じていたら、残る四十人を誰が見る」

「……第三分隊長。列を戻せ。銃兵の前へ出すな」

「はっ」


 今度は分隊長の声だけで十人が動いた。まだ遅い。それでも、朝には某の声を待っていた兵が、今は犬千代から分隊長へ、分隊長から十人へと命令を渡している。


 次は、銃兵を一人地面へ座らせた。

「左の(もも)を斬られたものとする」


 合図すると、その分隊の衛生兵が駆け寄った。ところが、同じ分隊から三人まで一緒に集まり、前の列に大きな穴が空いた。


 犬千代がまた叫びかけたので、先に手で止める。

「犬千代。お主なら何人残す」

「衛生兵と、もう一人でええがね。残りは持ち場へ戻して、穴を詰めさせればええ」

「なら、それを分隊長へ命じろ」


 犬千代は今度こそ分隊全体へ声を飛ばさなかった。

「分隊長。衛生兵と一人だけ残せ。残りは列へ戻して穴を埋めろ!」


 分隊長は衛生兵と一人を残し、他を元の位置へ戻した。


 衛生兵は包みを開くと、厚手の布を負傷役の腿へ当て、その上から細い布を巻いた。もう一人が紐を負傷役の両脇から胸へ回し、後ろへ引こうとする。


 一度目は紐が緩み、負傷役の身体が外れかけた。締め直した二度目は、引く兵が立ち上がってしまい、前から丸見えになる。

「やり直せ。運ぶ者まで斬られたら二人になるぞ」


 三度目で、ようやく身を低くしたまま木陰まで引きずることができた。その間、前に残った兵は持ち場を詰め、銃口を前へ向けたまま動かなかった。


 次は分隊長自身を倒れたことにした。十人の動きが一瞬止まったものの、すぐ隣にいた兵が代わって号令(ごうれい)を出す。今度はその兵も途中で倒れたことにし、別の者へ役を渡した。


 誰か一人が欠けただけで十人全部が止まるなら、戦場では使えぬ。


 日が傾く頃には、兵の着物も顔も土だらけになっていた。朝より足並みは揃ったが、手を上げてから止まるまでに半呼吸遅れる分隊がある。横へ開けば、まだ端が乱れる。一日で形になるものではなかった。


 某は犬千代と、第一小隊の五人の分隊長を集めた。

「明日も同じことをする。ただし、できぬ兵だけを叱るな。十人が動かぬなら、まず分隊長が自分の命じ方を見直せ」


 五人の分隊長が、右手を額の横へ上げた。

「はっ」


 続けて犬千代へ言う。

「五人の分隊長を使って五十人を動かせぬなら、小隊長の責だ。明日は、お主の第二小隊で同じことをやる」

「今日より早う動かしたるがね」

「速いだけでは駄目だ。五十人のうち一人でも置いていけば、戦ならそこから崩れる」

「分かっとるがね。分隊長を先に仕込むわ」

「それでいい。若様の絵と同じ格好をさせるのが目的ではない。声を張れぬ時でも動き、誰かが倒れても残った者が役目を続ける。その意味を忘れるな」


 解散させる前に、五個分隊をもう一度元の列へ戻した。号令を掛けると五十人の足が動き、朝にはばらばらだった足音が、今度は何人分も重なって聞こえた。


 若様が作ろうとしているのは、腕の立つ者を三百人集めただけの軍勢(ぐんぜい)ではない。某が一人ずつへ声を飛ばさなくとも、分隊長が十人を動かし、小隊長が五つの分隊を束ねる。その五十人が同じ号令で動けるようになって、初めて三百人を一つの軍勢として動かせる。


 まだ五十人でさえ揃い切ってはいない。それでも次の号令では、先ほどより多くの足が同時に地面を踏んだ。

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