第59話 小椋道
天文二十年(1551年)、秋。
近江国、愛智郡、政所村、精錬小屋。
炉の火は落とされ、男たちが炉口から鉱滓を掻き出していた。土間の奥には銅と鉛の地金が分けて積まれ、灰吹を終えた銀だけは小さな木箱へ収められている。
久助は最後の地金を秤から下ろすと、その重さを帳面へ書き足した。
「若様。この秋までの勘定がまとまりました」
差し出された帳面には、採れた地金の量だけでなく、向山へ戻す銭まで分けて記されていた。
「坑木や炭の分は残してあるんだな」
「道具と岩松組への払いも先に除いてございます。木の道と車の修繕、水抜きへ使う分も残しました。その上で、こちらが使えるのがこの分にございます」
「それで、これだけ残るのか」
「はい。今のところは十分にございます」
壁際に座っていた源蔵が、足元の鉱石を一つ拾い上げた。
「掘った量も増えたが、山で石を選る手が前よりましになった。こういうのまで政所へ持ってくる奴が減ったんだよ」
放られた石を受け取ると、見た目ほど重くない。
「外れか」
「銅の色は出てるが、炉へ入れるほどじゃねえ。山で落としてくれりゃ、運ぶ手も炭も食わずに済む」
源蔵が顎で精錬小屋の裏を示した。以前に向山から運び込んだものの、炉へ入れられずに除けた石がまだ山になっている。
久助の帳面でも、政所まで運び込まれる鉱石そのものは減っていた。それでも、出来上がった地金は前より増えている。山で余計な石を弾くようになった分、運ぶ手間も炉へ入れる炭も減ったということだ。
「穴の奥はどうだ」
「まだ続いてる。ただ、掘り手を増やすなら坑木と水抜きが先だ。狭い穴へ人だけ押し込んでも仕事にはならねえ」
「なら、今の人数で続けてくれ。増やす必要が出たら、その前に知らせてくれ」
「ああ。そいつは早めに言う」
久助が帳面を引き寄せ、銅、鉛、銀の欄を順に開いた。
「銅は全部売って、銭を軍備の勘定へ入れてくれ。鉛は全部売らず、一部を政所の蔵へ残す。銀は別だ。俺が言うまで使うな」
「鉛は売りに出す分と蔵へ入れる分を分けておきます。銀もそのまま残しておきましょう」
久助が三つの欄へそれぞれ印を付けていく。
酒や油、漆器、革、朝霧茶、干し椎茸で積んできた銭に、向山から上がる利益まで加わった。商いを続ける分も、山を掘り続ける分も先に残してある。
それでも、まだ軍備へ回せる銭がある。
帳面を閉じると、源蔵はもう立ち上がっていた。
「話が済んだなら、次の石を入れるぞ」
「ああ、頼む」
源蔵は炉の前へ戻り、男たちへ次の支度を始めさせた。
* * *
政所を出た俺たちは、そのまま朝霧へ向かって御池川沿いの道を進んだ。
箕川へ入ると、工房の軒下には削りかけの木地物が並び、道脇には山から下ろした材木が積まれていた。今の道は集落へ入り、川の曲がりに沿って進んでいる。荷を連れた者同士が行き合える場所も少なく、斜面へ掛かるところでは山側から岩が張り出していた。
新九郎は道と川の位置を確かめながら歩いていた。
「ここから朝霧まで、荷駄が続けて通れる道にできるか」
「広げるだけで済むところは多うございます。ただ、箕川だけは今の道筋を使わぬ方がよろしいかと。集落へ下りて川沿いを回らず、東側の山腹へ道を付ければ、そのまま政所と蛭谷をつなげられます」
「そっちの方が近いのか」
「はい。回り込む分がなくなりますし、荷を積んだ馬にも今の道より通しやすくできましょう」
「なら、新しい道筋も含めて朝霧まで調べてくれ」
久助は箕川の工房へ続く道を振り返った。
「本線を外へ通しても、工房から荷を上げる道は要りますな」
「ああ。木地物を運べなくしたら意味がない。新道へ出られるようにしてくれ」
道端の土は湿り、踏むと履物が浅く沈んだ。今は人が通るだけなら困らないが、地金や木地物を積んだ馬が何頭も往復するようになれば、この路面では雨のたびに傷む。
「道幅を取るだけじゃ足りないな。路面には石を敷く。孫兵衛も連れていって、水の集まる場所と崩れやすい斜面を先に調べてもらってくれ」
「では、孫兵衛殿と朝霧まで歩いて参ります。水の流れと斜面、それに敷石へ使える石も一緒に確かめます」
箕川を離れて蛭谷へ進むと、こちらも道沿いに木地師の工房が並んでいた。丸太を運び込む者と出来上がった椀を背負う者が、狭い道で互いに荷を寄せながらすれ違っている。
弦十郎がその様子を眺めた。
「道が広がれば、坂の頭を避けたい商人も入りたがりましょう」
「勝手には通さない。朝霧と政所の道口に番所を置く。作兵衛と木地師には、道を塞ぐ横木を作らせよう。片側を軸で留めて、番の者が上へ上げられる形だ」
「通る者は、そこで改めますか」
「ああ。橘へ出入りする商人には通行書を出す。許した者だけ通して、名と荷を帳面へ残してくれ」
「では、両方の道口へ先に話を通しておきます」
蛭谷を抜けた後も、道幅や斜面を確かめながら朝霧まで歩いた。
* * *
四日後、新九郎と孫兵衛が屋敷へ戻ってきた。
座敷に広げられた絵図には、朝霧から政所までの道筋に加え、蛭谷と箕川の家並み、工房、御池川まで書き込まれている。頼政、政澄、政虎、可成も絵図を囲む中、新九郎は朝霧側から説明を始めた。
「朝霧から蛭谷までは、今の道を広げれば足ります。蛭谷の中も、道へ張り出している材を移してもらえば、家を動かさずに幅を取れます」
頼政が蛭谷の家並みを指した。
「工房の出入りは塞がぬようにしろ」
「荷を置く場所を残しながら、片側ずつ広げます」
新九郎の指が蛭谷を抜け、御池川へ向かったところで今の道から外れた。そこから新しい線が川を渡り、箕川の東側を通って政所へ伸びている。
「ここから先は道を付け直します。今の道は箕川の家並みへ入り、川沿いに回りますが、新しい道は集落へ下りずに山腹を通します」
「今より短くなるのか」
「はい。川沿いを回らずに済みます。大きく下って上り直すところも減らせます」
新九郎の指が御池川を横切るところで止まった。
「ただ、ここだけは橋が要ります。新しい道筋では御池川を一度渡ります」
「今の道にはない橋か」
「はい。両岸まで道を通し、ここへ新しく掛けます」
孫兵衛は橋から政所側へ延びる線を押さえた。
「山側から水の落ちてくる場所がいくつかございます。道へ流しっ放しにせず、山側へ溝を掘って、下へ抜ける水筋へ逃がした方がよろしいでしょう」
「橋と溝に要る材も出してくれ」
「橋材は先に寸法を決めます。溝は掘り始めてから水の流れを確かめます」
箕川では本線を集落へ入れず、家と畑の東側を通して政所へ抜ける。新九郎は、今の道から工房へ下りる部分と新道が交わる辺りへ印を付けた。
「工房へ続く道はここまで残します。合流する場所を広げれば、木地物を新道へ上げて積み替えられますし、馬を返す場所も取れます」
「なら、箕川の荷も今まで通り出せるな」
「はい。工房まで本線を下ろす必要はございません」
そこから政所までは、大半が今ある道を広げれば済むという。政所へ入った後は村の中を通し、精錬小屋と荷置場へ直接つなげる。
久助は政所側の線へ指を置いた。
「荷置場を広げる間も、向山から来る荷は止められませぬ。半分を使いながら残りへ手を入れ、その後で入れ替えます」
「精錬小屋へ入る荷道も残してくれ」
「そちらは先に確保しておきます」
頼政が朝霧から政所までの線を追った。
「どれほどある」
「二里余りです、父上」
「これを全部、石敷きにするのか」
「はい。政所側は精錬で除けて積んである石を使います。ほかは道を削って出た石と、沿道で集めた石を使います。雪までに荷駄を通せる幅を取り、石敷きも朝霧と政所の両側から進めます。人足は九村から日を分けて出してもらい、父上の兵と俺の直轄大隊も使いたいです」
政澄が人の割り振りに口を挟んだ。
「百姓には冬支度があるぞ。同じ家から何日も続けて出させるな」
「自分の村に近い区間へ、日を分けて出します。人手の要る山中と新道は兵を多く入れます」
久助はその場で別の紙を引き寄せた。
「牛馬は人足とは帳面を分けます。同じ家へ続けて課さぬよう、出した日も残しておきましょう」
「飯は橘から出してくれ」
「普請へ出る人数に合わせて用意いたします」
頼政は政虎へ向き直った。
「彦九郎。屋敷と酒蔵、街道の番を残して、どれだけ出せる」
「山中へ入れるだけの兵は取れまする。人足では手に余る場所へ多く入れましょう」
「それで頼む」
可成は新しく引かれた道筋を追い、曲がりの前後へ指を置いた。
「若様。山腹を通すなら、向かい合った荷駄を避けさせる場所が要ります。曲がりの前後と、長い坂の途中にも平場を取った方がよろしいでしょう」
「三左衛門に任せる。実際に馬を通して決めてくれ」
「道を削り始める前に、取れる場所を押さえます」
俺は絵図の道筋を三つに区切った。
「第一中隊は朝霧から蛭谷を抜けて御池川まで。第二中隊は対岸から箕川の東を抜けるところまで。第三中隊はそこから政所までだ。橋は第一と第二から人を出して掛ける。持ち場の中は中隊長に任せる」
久助が政所側へ印を足した。
「第三中隊には、精錬小屋へ入る荷道と荷置場の普請も受け持たせます。荷置場は半分ずつ広げれば、今の荷を止めずに進められましょう」
「ああ。それで進めてくれ」
頼政が絵図の上へ手を置いた。
「道の名はどうする」
「小椋道とします」
「外から通す商人は」
「御用商人だけです。朝霧と政所の道口に番所を置き、通行書と荷を改めます」
「分かった。ただし、雪が強くなったら止めろ。道は後でも造れる。無理をさせるな」
「はい、父上」
* * *
小椋道の普請は三日後に始まった。
朝霧、蛭谷、箕川、政所からそれぞれ人が入り、兵も三つの持ち場へ分かれた。蛭谷では工房前へ積まれていた材木が脇へ移され、人足が道床を広げている。
工房の棟梁が俺を呼び止め、軒下から道へ続く地面を指した。
「若様。ここは今より少し高くしてくだされ。雨が降ると、山側から水が工房へ入ります」
「先に水を逃がした方がいいな。孫兵衛に上から流れてくる筋を確かめてもらって、工房へ入らないよう溝を通そう」
「お願いいたします」
数日もすると、道床を取り終えた区間から石敷きも始まった。
蛭谷を抜けた先では、第一中隊の持ち場が御池川まで伸びている。対岸では第二中隊が箕川の東側へ向けて山腹を削り、新しい道を延ばしていた。橋だけは両中隊から人を出すことになっているが、まだ材が届かず、道筋は御池川の両岸で途切れている。
橋を掛ける場所では、両岸の土を削って道の高さを合わせる作業が先に進められていた。第一中隊の分隊長へ尋ねる。
「橋材はまだか」
「朝霧を出て、こちらへ向かっております。届くまでは両岸の道を仕上げます」
「石敷きも橋の手前まで進めてくれ。材が着いたら第一と第二から人を出して掛ける」
「そのようにいたします」
箕川側の新道では、可成が空荷の馬を実際に歩かせ、曲がり角の幅を確かめていた。馬の背が山側の岩へ寄ったところで手を上げる。
「ここは、もう一尺山側を削ってくれ」
「空荷なら抜けられそうだが」
「荷を積めば当たります。ここで一頭止まれば、後ろまで詰まりましょう」
「分かった。そこは三左衛門に任せる」
可成は近くの分隊長を呼び、削った石を谷側の土留めへ使うよう指示した。
その先では、犬千代が敷き終えた石を順に踏んでいた。一枚へ体重を掛けると片側が浮く。
「三左殿。こいつ、動いとるがね」
「その一枚は外せ。下へ小石を入れ直してから据える」
分隊長が兵を連れてきて、浮いた石を外し始めた。
箕川の東側では、新道と工房へ下りる道が交わる場所を広げる作業が進んでいた。工房から上げた木地物を置けるよう片側を平らにし、もう片側には馬が向きを変えられるだけの場所を残している。
「若様。木地物を置くのはこちら側でよろしいでしょうか」
「ああ。新道へは出さないでくれ。馬が返る方も空けておいてくれ」
「では、こちらだけ使います」
昼を過ぎた頃、政所から伝令が上がってきた。
「久助様より申し上げます。荷置場は半分を空けたまま、残りを広げております。精錬小屋へ入る荷道も塞がずに進めているとのことです」
「今の荷が止まらないなら、そのまま続けてもらってくれ」
普請を始めてから何度目かの雨が降った日には、箕川と蛭谷へ出て排水の具合を確かめた。
箕川東側の新道では、斜面を流れた水が山側に掘った溝へ集まり、低い水筋へ抜けている。路面へ流れ出した跡はほとんどなかった。
ところが蛭谷では、工房前の溝へ落ち葉が詰まり、水が路面へあふれていた。孫兵衛が鍬を差し込み、詰まった葉を掻き出す。
「工房より上から、まとめて流れてきております。溝を広げても、葉が溜まればまた塞がりましょう」
「上で止めた方がいいか」
「枝を組んで、大きな葉や木屑を先に受けます。ほかの工房前も同じようになっていないか、これから確かめて参ります」
「頼む」
さらに普請が進み、御池川にも橋が掛かった。朝霧から政所まで荷駄を通せる道筋がつながったところで、実際の荷を運びながら具合を確かめることにした。
政所から出したのは、売りに回す銅の地金を積んだ馬だった。荷駄は村を抜け、石を敷いた小椋道へ入る。箕川の家並みへ下りずに山腹を進み、新しく掛けた橋を渡って蛭谷へ向かった。
箕川では工房から木地物を積んだ馬が取付道を上がり、新道との合流部へ出てきた。先を進んでいた地金の荷駄を一度待たせ、木地物の馬を列へ加える。蛭谷でも別の工房から椀を積んだ荷駄が加わり、そのまま朝霧へ向かった。
弦十郎が箕川東側の坂で敷石を踏み締めた。
「若様、先日の雨でも石は緩んでおりませぬ」
「一度だけじゃ分からない。雨が何日か続いた後にも確かめよう」
「その時は坂だけでなく、溝と谷側の石積みも確かめます」
荷駄が朝霧へ着いた頃には、日はもう西へ傾き始めていた。
門脇では久助の下で帳面を付ける者たちが待っており、地金は数と重さを改めてから蔵へ運ばれた。蛭谷と箕川で積んできた椀や盆も、木地物を扱う蔵の前へ下ろされていく。
包みを解いた男が上の椀を取り出し、割れや欠けを確かめた。
「こちらは割れておりませぬ」
「下の包みまで開けてくれ。傷んだものがあれば、どこで積んだ荷か分けておいてくれ」
「承知しました」
久助は政所を出る時に付けた帳面と、朝霧で下ろされた荷を順に照らし合わせた。
「地金の数も重さも合ってございます。ただ、箕川の合流部で一度、後ろの二頭を止めております」
「木地物の馬が出てきた時か」
「はい。先頭だけを通し、残りは合流部の手前で待たせました。荷が重なる日は、あそこに一人置いた方がよろしいかと」
「箕川と蛭谷から出す荷の時刻も合わせてくれ。人を置くのは荷が重なる日だけでいい」
「では、そのように決めておきます」
地金を下ろし終えた馬のそばには、もう政所へ戻す荷が運ばれていた。米と塩、縄、鉄の道具が俵や籠へ分けられ、馬方が積む順番を決めている。
久助が荷札を確かめた。
「米と塩は精錬小屋へ、縄と道具は政所で新九郎殿へ渡してくだされ。この二頭は政所までです。向山へ送る荷とは、着いてから分けます」
「承知しました」
馬方たちは荷を積み直し、腹帯と縄を締めていく。
空のまま政所へ帰る馬は一頭もなかった。朝霧から送る米や塩を積み、蛭谷と箕川では次に朝霧へ出す木地物がまとめられている。
門の外では、翌日使う石を積んだ荷車が普請場へ向かっていた。交代する兵も鍬や槌を担いでその後へ続き、政所へ戻る荷駄が脇を抜けていく。
馬の蹄が敷石を打つ音の向こうで、道を仕上げる槌の音が続いていた。




