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近江の山奥から始める近代国家建設 〜転生田舎領主は戦国そのものを終わらせたい〜  作者: 近江もののふ
第二章 橘の礎

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第58話 銭を積む

九鬼(くき)の船が最初の荷を積んで桑名(くわな)を出てから、十日ほどが過ぎた。


(さかい)へ向かった船には清酒と蒸留酒、油、漆器。東へ向かった船には革とビールも積んでいる。桑名では最初の荷が出た後から、次を待つ商人まで集まり始めていた。


その朝、おりんが屋敷へ来た。

百済寺(ひゃくさいじ)の者が、街道沿いの宿と酒商を回っております。確かめられたのは三軒ですけど、ほかの宿にも来たと酒商から聞きました」

「何を聞いている」

「橘の酒をどこへ運んでいるか、百済寺樽(ひゃくさいじだる)を扱っていた者が橘酒造(たちばなしゅぞう)の順番を待っているか、その辺りを」

「荷を止められた者はいるか」

「まだおりません。ただ、寺から朝霧へ使いが出ています。今日にも着くかと」

「分かった。宿と酒商への聞き込みは続けてくれ。荷や商人へ手を出した者がいたら、すぐ知らせろ」

「承知しました」


百済寺の使僧が屋敷へ着いたのは、昼前だった。


座敷には頼政(よりまさ)政澄(まさずみ)政虎(まさとら)が並び、使僧の後ろには百済寺から借りている蔵人の頭も控えていた。


挨拶が済むと、使僧が膝の前へ両手を置いた。

「本日は、橘酒造についてお願いがあって参りました。まず、百済寺よりお貸しした蔵人を、寺へお戻しいただきたい」

「承知しました。借りた期間の代価も、約束どおり納めます」

「では、もう一つ。百済寺が酒を入れてきた村々へ、橘の酒を運ぶことはお控えくだされ」

「それは、酒造りを始めた時の条件にはありませんでした」

「承知しております。されど、あの時とは話が違います」


使僧は後ろに座る蔵人の頭へ一度顔を向けた。

「今では近江、美濃、尾張から商人が集まり、桑名から京や堺、東国へまで酒を運ぼうとしておられる。百済寺樽を扱ってきた宿や酒商まで、橘の酒を求めているのです。寺へ戻す空樽を抱えたまま、橘酒造の順番を待つ者までいる」

「百済寺が面白く思わないことは分かります。寺から蔵人を借り、その手ほどきを受けて始めた酒ですから」

「ならば、寺が酒を入れてきたところだけでも、お控えいただけませぬか」


今の橘から酒の稼ぎを抜くことはできない。伊勢へ出るにも、その後に領地を広げるにも銭が要る。


だが、百済寺の足元でいつまでも酒を造り続ける必要もなかった。

「そこは、お受けできません。こちらから宿や酒商へ百済寺の酒を外せとは言いませんが、橘の酒を求めて来る者まで断ることはできません」


使僧の顔が険しくなった。

「では、寺には何も譲らぬと」

「そういうつもりではありません。朝霧での酒造を終える期限を決めます」

「期限、と申されますと」

「十年です。遅くとも十年以内には、朝霧で酒を造るのをやめます。酒造そのものを、ほかへ移します」


使僧の顔が曇った。

「十年は長うございます」

「なら、もっと早く移し始めます」


俺は頼政へ一度顔を向けた。頼政は何も言わず、そのまま続きを促した。

「酒が足りず、今より蔵を増やす話はすでに進めています。その増築を朝霧ではせず、百済寺郷の外へ移します」

「どちらへ」

小椋谷(おぐらだに)を考えています。新しく増やす蔵は向こうへ建てる。小椋谷で造れる量が増えれば、その分だけ朝霧の仕込みも減らします」


使僧はしばらく考えていた。

「では、新しく増やされる分から小椋谷へ移されると」

「はい。今ある朝霧の蔵まで一度に止めれば、商いが立ち行きません。小椋谷で造れる量を増やしながら、こちらを減らしていきます」

「百済寺が酒を入れてきた宿や酒商については、先ほどのお話のままと」

「はい。そこは変えられません。その代わり、朝霧で増やすはずだった分から小椋谷へ移します」


使僧は政澄、頼政の順に顔を向けた。

「橘殿も、同じお考えでございますか」

「ああ。十年を越えて朝霧で酒を造らせるつもりはない。それより前にも、移せる分から小椋谷へ移す」


頼政がそこまで言うと、使僧はようやく頭を下げた。

「分かりました。その条件でお受けいたします。寺へ戻りましたら、その旨を申し伝えます」

「お願いします」


これなら、今の稼ぎを捨てずに済む。百済寺にしても、十年以内には寺領で橘が酒を造ることはなくなる。


使僧が腰を上げようとしたところで、俺は呼び止めた。

「帰りの荷に、清酒を一樽、ビールを一樽、蒸留酒を一壺載せます。百済寺へ持ち帰ってください」

「この話の後に、酒を?」

「蔵人を貸していただいた礼です。酒の話とは別です」

「詫びの品ではないのでございますな」

「詫びるつもりはありません。ただ、借りた恩まで忘れたつもりもありません」

「……ありがたく頂戴いたします」


使僧が退いた後も、蔵人の頭は座敷に残った。

「若様。最後の仕込みまでは見届けます。その後は寺へ戻ります」

「頼む。お前の下へ付けた者を、次の頭にする」

「今では仕込みの順も、(こうじ)の見方も覚えております。わしが戻っても、蔵は止まりませぬ」

「世話になった」

「寺へ戻れば、橘の酒を褒めるわけには参りませぬぞ」

「構わない。残りの日で、教えられることだけ教えてやってくれ」

「それなら、仕込みが終わるまできっちり教えておきます」


蔵人の頭を送り出すと、政澄が口を開いた。

「小徳丸。十年と切ったか」

「はい、叔父上。今すぐ酒を止めれば、橘の銭が足りません。ですが、百済寺と揉めながら朝霧で造り続ける必要もありません」

「まず増やす分から小椋谷へ移す、と」

「増やす分から向こうへ移します。小椋谷で造れる量が増えれば、朝霧の仕込みを減らす。最後には、ここで造るのをやめます」


頼政が膝を叩いた。

「それならよい。今の稼ぎを捨てずに済み、寺との約束も違えぬ」

「あとは、移せるだけの銭と人手を揃えます」


朝霧の酒蔵を今すぐ止める必要はなくなった。その代わり、遅くとも十年以内にはここでの仕込みを終える。


百済寺との酒の話は、それで決まった。


* * *


数日後、茂七(もしち)が茶畑から屋敷へやって来た。

「若様。朝霧へ移した茶が、ようやく摘めそうですわ」

「どれほど取れる」

「今年は作り方を試す分だけにしてくだされ。まだ木が若いんや。売るほど摘んだら、来年の芽まで弱りますわ」

「それでいい。作り方を試せるだけ摘もう」

「ほんなら、私が摘む木を選びます。今は触らん方がええ木もありますで」


山裾の茶畑では、(はる)惟丸(これまる)が畝の脇で待っていた。(なか)(とも)小竹(こちく)(あさひ)も籠を持って畝へ入り、茂七が選んだ木の前へ集まる。


茂七は枝を傷めないよう手を添え、芽の先をつまんだ。

「摘むのは、この芽と下の葉二枚までですわ。硬い葉は残してくだされ。次の芽を出すために要るんや」

「これでええんか」


小竹が摘んだ芽を掌へ載せる。

「それでええ。強うつまんだら傷むで、そっと折りや」

「分かった」

「旭、そりゃ取りすぎだがね」


智が旭の籠を覗くと、葉が四枚ほどまとめて入っている。

「柔らかかったもん」

「二枚までだがね。硬いのまで一緒に取ったらいかんよ」

「これ、戻せんの」

「摘んだもんは戻らんがね」


智が別の籠を旭の前へ置いたので、硬い葉はそちらへ分けさせた。

「そっちは家で飲む分へ回そう」

「上等な茶と、普段飲む茶に分けるんか」


二つの籠を持った仲が、摘まれた葉を確かめている。

「そのつもりだ」

「これが売れるようになったら、わしらだけじゃ回らんがね。鶏も畑も止められんで」

「まず作り方を決める。量を増やすのは、それからだ」

「増やすなら、村ごとに摘む日を分けた方がええね。葉を朝霧へ集めて、揉む者は別に置かんと間に合わんわ」

「その段取りは仲に任せる」

「まだ売れるとも決まっとらんがね」

「売れるようになった時の話だ」

「なら今日は、どれだけ手が掛かるかも覚えとくわ。智、旭ばかり気にしとらんで、自分の籠へ硬い葉を混ぜるでないよ」

「分かっとるがね」

「小竹も葉を押し込むな。下のが潰れるで」

「俺は押し込んどらん」

「籠の底まで見りゃ分かるわ」

「……次から気ぃつける」


賑やかになった籠へ惟丸が手を伸ばすと、春が先にその手を取った。

「惟丸。勝手に触ってはいけませんよ」

「兄上、これも茶になるのですか」

「ああ。だが、摘んだ葉と混ざるから、今は触るな」

「分かりました」


惟丸は素直に手を引いたものの、そのまま籠の中を覗き込んでいた。


摘んだ葉は屋敷近くの小屋へ運び、大釜の上へ置いた()に広げた。湯気が葉を包み、色が変わり始めたところで、茂七が一枚つまんで指先で開く。

「これは、もう少し早う上げてもよかったですわ。葉の端が柔らこうなりすぎてます」

「次は短くする」

「時間だけで決めたらあきません。同じ木でも葉の厚さが違うんや。私が合図しますわ」

「頼む」


次の葉を載せると、今度は茂七の声が掛かるまで手を出さなかった。

「まだや。もう少し待ってくだされ」

「最初より長いな」

「こっちは葉が厚いんや。同じようには蒸せへん。……今ですわ。上げてくだされ」


蒸した葉を受け取った仲が指でつまみ、すぐに手を離した。

「熱っ。これを全部、手で揉むんか」

「初めは布の上から押して、冷めてから手に替える」

「若様一人増えたところで、売るほどになったら足らんわ」

「だから、何人要るかも覚えておいてくれ」

「最初からそのつもりだがね」


(むしろ)へ広げた葉を布越しに押し、熱が引いてから掌で転がすように揉んでいく。水気を飛ばしてはまた揉み、形を整えたものから炭火を離して置いた棚へ移した。


俺が揉んだ葉を茂七が指の腹で転がす。

「若様、これは力が強すぎますわ。葉が切れてしもうてる」

「弱くすればいいのか」

「押してばかりやと潰れます。転がして、緩めて、また寄せるんや」

「こうか」

「それくらいですわ」


隣では小竹も同じように葉を転がしていた。

「俺のはどうだがね」

「少し弱いな。もうちょい掌を当ててもええ」

「さっきは強くするなって言っとったがね」

「強すぎても弱すぎてもあかんのや」

「難しいな」

「茶の木も葉も、人の都合だけでは動いてくれへんで」


揉み終わった葉は、智が細くなったものと丸まったままのものへ分けていく。

「若様。同じように揉んでも、揃わんがね」

「蒸し方も葉の厚さも違うからだろう。違いが分かるようにしておかないと、次も同じになる」

「旭、それはこっちへ混ぜたらいかんよ」

「こっち?」

「そう。旭が揉んだのは、そっちだがね」

「分かった」


小竹は棚へ並んだ葉を比べながら、一本つまみ上げた。

「若様。細い方が高う売れるんか」

「見た目だけでは決まらない。香りと味が揃わなければ、次も買ってもらえない」

「なら、どれくらい蒸したかも書いといた方がええな」

「次から控えを作る」

「俺でも書けるようになったら、手伝えるか」

「まず文字と算用を覚えろ」

「覚えるわ」


日が傾く頃、最初の茶が仕上がった。


湯を注ぐと、淡い緑が椀へ広がり、政所(まんどころ)の茶とは違う青い香りが立つ。ただ、蒸し方も揉み方もまだ揃っておらず、淹れる茶によって渋みや香りに少し違いがあった。春が先に口を付けた。

「少し苦いですね」

「後には残りません。ただ、まだ仕上がりが揃っていません」

「小徳丸は、こちらの方が好きなのですか」

「はい、母上。もう少し蒸し方と揉み方を揃えれば、香りも渋みも揃ってくると思います」


仲も一口飲み、椀を置くまで少し間を置いた。

「今まで飲んどった茶とは違うね。口の中がさっぱりするがね」

「売れそうか」

「値までは分からんよ。けど、欲しがる者はおるだろうね。これだけ手が掛かるなら、安う売ったら割に合わんわ」

「安く売るつもりはない」


小竹が残った茶を覗き込む。

「若様。名前も朝霧茶か」

「ああ」


茂七は乾いた茶葉を一つ取り、出来上がりを確かめてから箱へ戻した。

「来年は今年より摘めますわ。せやけど、木が増えたからいうて、取りすぎたらあきません」

「茂七が止めた木からは摘まない」

「それなら、私も木を増やせます。茶は一度取って終わりやない。木を弱らせたら、その先が続かへんのですわ」

「来年も、その先も採れるようにしてくれ」

「木の具合に合わせて進めますわ」


形の揃ったものは小箱へ入れ、六角と九鬼へ贈る。残った分は商人へ少しだけ見せ、欲しがる者には試しに少量だけ売ることにした。


* * *


田植えの時期になると、志野原(しのはら)の広い田へ田植枠(たうえわく)を運ばせた。


横から見れば六角形で、長い柄を押せば枠が田の上を転がり、桟が泥へ触れるたびに苗を植える位置が格子状の印になって残っていく。重尚(しげなお)は田の端から枠の幅と田の広さを比べた。

「志野原の広い田なら使えましょう。縄を何度も張り直すより、早く進みそうですな」


政忠(まさただ)は柄を持ち上げ、枠を畦際へ寄せてから首を振った。

「酒井には、畦の曲がった田も多うございます。すべてへ入れるのは難しゅうございますな」

「広く平らな田には田植枠を使う。狭い田と曲がった田、それに畦際は縄を残す。右近と左近で、村ごとに必要な数を出してくれ」

「志野原は、こちらで使える田を分けておきます」

「酒井も同じようにいたします」


作兵衛(さくべえ)は枠の横へしゃがみ、泥が付く前の軸を指で回した。

「枠を組んだのは木工場の若い者です。わしが造ったのは軸と留め金だけにございますぞ」

「それでいい。作兵衛一人で全部造っていたら、九村へ回らない」

「へえ。ようやく分かっていただけましたか」

「前から分かっていた」

「その割には、何でもわしへ持ってこられますな」


横で聞いていた日吉丸(ひよしまる)が、田植枠の柄を握った。

「若様。わしが押してみます」

「真っすぐ進めよ」

「田の中では、それが難しゅうございます」


日吉丸が柄を押すと、枠は泥を持ち上げながら一つ転がった。二つ、三つと進むうちに柄が右へ寄り、それにつれて泥へ付く格子も斜めにずれていく。

「日吉丸、曲がっているぞ」

「田の向こうへ目印が要りますな」

「畦へ棒を立てよう。次はそこへ向かって押せ」

「それなら、もう少しましにできそうです」


二度目は最初より真っすぐ進み、田の端までほぼ同じ間隔で格子状の印が続いた。重尚がその交点へ苗を置かせる。

「これなら植える場所にも迷いませぬな」

「右近。まず志野原で使って、植える者から使いにくいところを聞いてくれ。枠が入らない田まで無理に変える必要はない」

「広い田から使わせます。縄の方が早いところは、今までどおりにいたしましょう」


田植えから二十日余りが過ぎた頃、同じ田へ戻った。


並んだ苗の間には細い草が出始め、畦には長い柄の先へ歯の付いた木の車を取り付けた道具が置かれている。犬千代(いぬちよ)が真っ先に柄を取った。

「若様。これを押せばええんですな」

「強く押し込むな。表の泥を掻けばいい」

「泥に負けとったら進まんがね」


犬千代が力を入れた途端、歯が泥へ深く沈んだ。跳ねた泥が日吉丸の胸まで飛ぶ。

「犬千代、わしまで耕す気だがや」

「猿が前へ出とる方が悪いんだがね」

「猿と呼ぶな。わしには日吉丸という名がある」


可成(よしなり)が二人をどかし、犬千代から柄を受け取った。

「犬千代。これは力で押す道具ではない。歯が泥へ食い込んだところで、前へ転がせ」

「三左殿がやってみてくれんか」

「見ておれ」


可成が柄の高さを合わせて押すと、歯は深く潜らず、泥の表を掻きながら伸び始めた草を浮かせていく。それを見ていた日吉丸も胸の泥を払い、隣の列へ入った。

「次は、わしがやります」

「苗から目を離すな」

「目印どおりに植わっとるところなら、真っすぐ押せます」


ところが途中で苗の列が少し曲がり、車の歯が葉へ触れた。日吉丸はすぐに柄を止める。

「ここは通らん方がええですな」

「株の近くと曲がったところは手で取れ。全部を道具で済ませようとするな」


政忠も柄を持ち、持ち上げて重さを確かめた。

「これなら女衆や年寄りでも扱えそうです。手で取るより早ければ、草取りへ出す人手も減らせましょう」

「人手を減らしても、米まで減らすな」

「使った田で日数が減るようなら、その分の人手はどこへ回しましょう」

「酒蔵、茶畑、荷運び、工房だ。左近は酒井で、これを使った田と掛かった日数を控えてくれ」

「縄で植えた田とも比べられるようにしておきます」


可成は田車が通った列と、まだ草の残る列を比べていた。

「若様。九村で草取りの日数が減るなら、荷駄や兵糧の支度へ出せる者も増えます」

「三左衛門。田仕事を知らない兵にも使わせてみてくれ。扱いに慣れていない者がどこを壊すか分かれば、村へ広げる前に直せる」

「なら、何人か連れてきます。苗を倒した時の直し方も、百姓から教えさせましょう」

「作兵衛。歯が減った時に、村で替えられる形にできるか」

「へえ。そこはもう、歯と軸だけ外せるようにしてございます」

「早いな」

「若様に毎度直させられていれば、壊れるところくらい先に考えるようにもなりますな」


犬千代がもう一度柄を取った。

「今度は軽く押すがね」

「苗を倒したら、犬千代が手で植え直せ」

「それなら倒さんように押すしかないがね」


今度の田車は泥を跳ね上げることもなく、苗の間を進んでいった。


* * *


秋になると、椎茸の床を任せていた山仕事の男が、屋敷の縁へ駆け込んできた。

「若様。榾木(ほだぎ)からも、茸が出ております」


蔵の裏へ回ると、軒下には菌床を入れた浅い木箱が並び、その脇には二年前から置いてある楢の榾木が積まれていた。穴へ白いものを入れた木の一部から、薄茶色の傘がいくつも顔を出している。


その日は政所から政秀(まさひで)も朝霧へ来ていた。知らせを聞いた政秀が孫兵衛(まごべえ)と一緒に蔵裏へ来ると、すぐ榾木の前へしゃがみ込んだ。

「二年も待たせて、ようやく出たか」

「菌床より遅かったです」

「その分、傘は厚いな」


孫兵衛は榾木の下へ手を差し入れ、湿り具合を確かめた。

「若様、下まで湿っております。日陰へ置いておりましたが、風は通っておりました」

「同じ場所に置いた木でも、出ていないものがあるな」

「そうですな。菌床ほど出る時期は揃いませぬ。まだ出ていない木は、このまま残しておきましょう」

「そうしてくれ。出たものから採ろう」


山仕事の男は榾木を一通り確かめると、隣の菌床へ目を移した。

「菌床の方も、これまでどおり増やしますか」

「増やす。菌床は今までどおり続け、榾木も増やして両方を売り物にする」

「生のままでは、遠くへ運べませぬぞ」


棚の前へしゃがんだ善右衛門(ぜんえもん)が、傘を裏返して傷みを確かめる。

「桑名までなら急いで運べましょう。ですが、京や堺へ出すなら、やはり干した方がよろしいでしょうな」

「前に干したものより、形を揃えたい」

「大きく肉厚なものは丸のまま干しましょう。小さいものや欠けたものは切ってしまえば、無駄になりませぬ」


与左衛門(よざえもん)が籠を二つ持ってきて、善右衛門の脇へ置いた。

「こちらが上等で、こちらが並ですか」

「傘が開きすぎたものは並へ。虫食いは売り物と分けた方がいいでしょう」

「これは」

「上等でよろしいかと。傘も厚く、傷もございません」


与左衛門が椎茸を籠へ移していく。

「与左衛門。形だけで分けるな。傷と虫食いも確かめろ」

「承知しました、若様。裏まで確かめてから入れます」


選り分けた椎茸は竹を組んだ棚へ並べた。日中は日の当たる風通しのいい場所で干し、夜は屋内へ戻す。湿りの残ったものは乾いたものと分け、同じ箱へ入れないようにした。


数日後、乾いた椎茸を湯へ戻して味を確かめた。政秀が煮たものを口へ入れ、二口目を食べてから言った。

「採れた時より、香りが強いな」

「これなら遠くへ運べます」


善右衛門は乾いた傘を十枚並べ、大きさの近いものを選んでいく。

「上等なものは十枚で一箱にしましょう。橘の焼印を入れれば、寺社や武家への贈り物にも使えます」

「朝霧干し椎茸で売る」

「朝霧茶と並べられますな」

「九鬼の船へ載せて、京と堺へ持っていけ」

「数が少ないうちは、値を下げませぬぞ」

「下げるな。足りないからと質まで落とすな」


孫兵衛は茸の出た榾木と、まだ何も出ていない榾木を順に確かめていた。

「若様。次の楢は、どれほど伐ります」

「今年の倍だ。ただし、一度に全部切るな。太さと伐った時期が分かるよう分けて残してくれ」

「場所も分けましょう。同じところばかり伐れば、山が一か所だけ空きます」

「菌床に使う鋸屑も要る」

「木地師へ話を通して、捨てずに集めてもらいます」


政秀は箱へ収まった干し椎茸を手に取り、焼印を入れる場所を眺めた。

「茸まで売り物にするのか」

「遠くまで運べるなら、売らない理由はありません、爺様」


屋敷へ戻ると、久助(きゅうすけ)が帳面を広げて待っていた。


酒、油、漆器、革に、朝霧茶と干し椎茸が加わっている。売った分をそのまま一つの銭箱へ入れるのではなく、品ごとに売上と増産へ戻す銭が分けられていた。

「若様。茶と椎茸の銭は、まだ大きくございません。それに、小椋谷に酒蔵を建て、工房を増やし、原料も買えば、手元に残るのはこの程度にございます」


久助が帳面の端へ書かれた額を指した。

「残った分は、火縄銃(ひなわじゅう)の勘定へ入れろ。ただし、増産に必要な銭まで持っていくな」

「すべてを使い切るわけではございませぬな」

「稼ぐ元まで削れば、次の銭が入らない」

「向山の銭はいかがいたします」

「そちらは別にしておけ。金銀銅が売れる量になった時、火縄銃の勘定で足りない分へ回す」


久助は新しい頁を開き、上へ火縄銃と書いた。

「酒の売り場を守り、茶と椎茸を売り、田から人を空ける。随分と遠回りに見えますな」

「今ある銭だけでは足りない。遠回りでも、入るたびに積むしかない」

「では、火縄銃の銭は別に勘定いたします。ほかへ混ぜぬようにしておきましょう」

「ああ。それで頼む」


久助が最初の額を書き込んだ。売れるものは売り、省ける人手は別の仕事へ回す。向山から地金が出るのを待っているだけでは足りない。


伊勢へ入るまで、そうして一つずつ橘の銭を火縄銃へ変えていく。

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