第55話 直轄大隊
天文十九年(1550年)、秋。
近江国、愛智郡、朝霧村。
中尾城を巡る争いが続くなか、六角家から軍勢催促が届いた。
頼政は政澄、政虎、高晴、重尚、政忠らと、二百四十ほどの兵を率いて出陣することになった。橘が持つ兵の大半だ。
出立を前に、頼政が可成を呼んだ。
「三左衛門は残れ。朝霧と小徳丸を頼む」
「承知いたしました」
「弦十郎も残れ。留守の兵をまとめろ」
「承知しました」
頼政たちが朝霧を出ると、残った兵は六十人ほどになった。
九つの村へ番を置き、八風街道を巡回させ、向山にも見張りを残さなければならない。すべてへ最低限の人数を割り振れば、すぐに動かせる兵はほとんど残らなかった。
今すぐ、どこかが攻めてくるわけではない。それでも、どこか一つで揉め事や異変が起きれば、別の場所から兵を回すしかない。
頼政の兵は、近江を守り、六角家の軍役へ出る。その兵だけに頼っていては、橘が別に兵を動かす余裕はなかった。
俺が直接率いる兵を、別に持つ必要がある。
その日のうちに、俺は弦十郎、可成、久助、新九郎を集めた。
「兵を増やす」
久助が帳面を開いた。
「何人でございますか」
「三百人」
「三百人でございますか」
「ああ。今の兵へ加えるんじゃない。俺の直轄にする」
久助は三百と書き、その下へ線を引いた。
「兵糧と扶持は用意できます。ですが、槍や具足を揃え、常に養うとなれば、今までとは違いますぞ」
「武具は採った者から順に揃える。初めは木槍でもいい」
「集めた者を、どこへ置かれます」
「兵舎を建てる」
「三百人を入れる建物となれば、相応の広さが要りますぞ」
「大きな建物を一つ作るんじゃない。同じ形の小屋を、必要なだけ並べる」
俺は久助から筆を借り、帳面の端へ半円に近い形を描いた。
前世で見た、かまぼこ兵舎を木で作るようなものだ。短い材を継いで骨組みを作り、それを同じ間隔で並べ、横木でつなぐ。
「この形の骨をいくつも作る。壁と屋根を別にせず、同じ骨で支える」
「中の柱を減らせるのでございますな」
「ああ。寝床を並べる時に邪魔にならない」
「同じ形の骨を揃えるなら、型が要りますぞ」
「一つ作らせろ。材も同じ長さに切らせる」
「木地師と大工へ頼み、金具は作兵衛に見てもらいます。覆いはどうなされます」
「薄い板と樹皮を重ねる。まず一棟作って、雨と風に耐えられるか確かめろ」
「場所も選ばねばなりませぬ。水、炊事、厠、武具の置き場まで、まとめて調べさせます」
「頼む。火が出ても、すべて失わないように離して建てろ」
「承知仕りました」
久助は帳面へ兵舎の項目を加え、必要な人と材を書き始めた。
可成が三百と書かれた頁を見た。
「すでに兵として使える者を、三百人集められるとは思えませぬ」
「兵だけを探すつもりはない。牢人、元足軽、田畑を継げない者、故郷を離れた者でもいい」
「集めてから鍛えるのでございますな」
「ああ。三左衛門に任せる」
「承知いたしました。ただし、命令に従えぬ者まで残すつもりはございませぬ」
「それでいい」
新九郎が口を開いた。
「表の筋は、善右衛門殿と小六殿へ頼むのが早いかと存じます。善右衛門殿なら近江と京、小六殿なら尾張、美濃、伊勢の馬借や荷運びへ話を流せましょう」
「越前へ向かう商人にも伝えられるか」
「朝霧から荷を出す者へ頼めば可能にございます」
「新九郎は、どこを当たる」
「私どもは、商人の前へ出ぬ者を探します。仕官先を失った牢人や元足軽、甲賀や鈴鹿へ流れた者、山へ入った者もおります」
「山賊まで集めるおつもりでございますか」
弦十郎が聞いた。
「使えるなら採る」
「以前、八風峠で襲ってきた者のような者も」
「ああ」
前世の知識に、曹操の青州兵があった。黄巾の残党を取り込み、選んだ者を軍として組み直した兵だ。
元が牢人でも、流民でも、山賊でも構わない。橘の扶持を受け、俺の命令に従う兵へ変えればいい。土地や以前の主との結びつきが薄い者なら、俺の直轄兵にも組み込みやすい。
「元が賊でも、採った後に命令へ従うなら兵にする。盗みや乱暴を続けるなら、その時は処罰する」
「間者が交じる恐れもございます」
「だから新九郎に調べてもらう。どこから来たかだけじゃない。何ができるかも見てくれ」
「かしこまりました。今夜のうちに人を出します」
「頼む」
* * *
甲賀の者が各地へ散り、善右衛門と正勝へも文を送った。
朝霧から酒や油を運ぶ商人には、市や宿で募兵の話を広めてもらう。馬借や荷運びの者にも、仕官先を探している者がいれば朝霧へ向かわせるよう頼んだ。
かまぼこ兵舎の建設も同時に始まった。
最初の一棟は、骨の継ぎ目や覆いの手直しが続いた。形が決まると後は早く、訓練場の脇へ同じ形の兵舎が並び始めた。
数日後から、各地で話を聞いた者が朝霧へ集まってきた。主を失った者や田畑を継げない若者が、同じ境遇の仲間を連れてくることもあった。
受付は朝霧へ入る道の手前に置いた。
志願者は武器を預け、名と出身、以前の主、家族の有無を答える。甲賀の者が素性を調べ、可成と弦十郎が身体と武芸を見た。
久助は採った者と落とした者を、別の帳面へ記していく。
志願者が増え始めた頃、見覚えのある三人が現れた。
八風峠で俺たちを襲おうとして、三人まとめて簀巻きにされ、藪へ転がされた賊だ。
先頭の男が俺を見つけ、足を止めた。
「やっぱり、あの時の小僧か」
「今度は何を盗みに来た」
「盗めるなら、ここには来てねえ」
男は八風街道の方へ顎を向けた。
「橘の兵が街道を回るようになってから、荷を狙えなくなった。商人も固まって通る。八風じゃ、もう食えねえ」
「それで兵になりに来たのか」
「ああ。山を下りても、俺らにできる仕事なんざねえ。だが、山道なら知ってる。人の通らねえ道も、身を隠せる場所もな」
「荷を襲いやすい場所も知っているわけだ」
「知ってるから使えるだろ」
山道や待ち伏せに向いた場所を知っているなら、今度は守る側で使える。
「命令には従えるか」
「また簀巻きにされるのは御免だ」
「今度は簀巻きでは済まさない。崖から突き落としてやる」
「分かった。勝手なことはしねえ」
三人は腰の刀と山刀を外し、受付へ預けた。
山を歩く力は十分だった。甲賀の者が調べても、人を殺したという話は出なかった。
命令に従うなら使い道はある。
三人は採ることにした。
一方で、腕が立っても落とす者はいる。
可成との槍の試しを終えた牢人が、預けた刀を受け取る前に尋ねた。
「戦で得た物は、働いた者の取り分となりましょうな」
「褒美は、働きに応じて出す」
「敵から奪った銭や品は」
「すべて家へ納めてもらう」
「それでは、命を懸ける甲斐がありませぬ」
「乱取りがしたいなら、橘ではなく甲斐の武田へ行け」
「戦場で敵の物を奪うのは、どこでも同じでござろう」
「橘では違う。命令より目の前の銭を選ぶ兵は要らない」
牢人には刀を返し、朝霧から出した。
代わりに採ったのは、槍を持った経験もない若者だった。
荷運びをしていたという若者は、十人で丸太を運ばせた時、隣の男が足を滑らせると歩みを緩めた。自分だけ先へ進まず、後ろへ声を掛け、列を崩さず支え直す。
可成が列を止めた。
「お主は残れ」
「私でよろしいのでございますか」
「槍はこれから覚えればいい。一人で強いだけの者より、周りを見て動ける者の方が使える」
若者は採った者の列へ加わった。
志願者を選び続け、二十日ほどで採用した者が三百人に達した。
* * *
三百人を訓練場へ並べると、思っていた以上にひどかった。
列は曲がり、隣との間も揃わない。元足軽は兵になったことのない者を見下し、牢人は自分の武芸を見せたがる。槍を持った経験のない者は、どちらの手を前へ出すかさえ迷っていた。
「これを一つにまとめるのでございますか」
弦十郎が崩れた列を見渡した。
「そのために集めた」
「まず、少ない人数へ分ける必要がございますな」
「ああ」
俺は地面へ大きな四角を描き、三つに分けた。
「三百人を一つの大隊にする。大隊を百人ずつ三つの中隊へ分ける」
三つの区画を、それぞれ二つに分ける。
「中隊は、五十人ずつ二つの小隊にする」
さらに一つの区画へ、五本の線を引いた。
「小隊は、十人ずつ五つの分隊に分ける」
俺が中隊長へ伝え、中隊長が小隊長へ伝える。小隊長から分隊長へ命令を下ろし、下からの報告は逆に上げさせる。
「今は指揮官が足りない。中隊長は、第一小隊長も兼ねる」
「大隊長は、若様でございますな」
「ああ。第一中隊と、その第一小隊も俺が預かる。第二小隊は弦十郎だ」
「承知しました」
「第二中隊は三左衛門に預ける。第一小隊も見てくれ」
「承知いたしました」
「第二小隊は犬千代だ」
犬千代がすぐに口を開いた。
「わしが五十人を見るんか」
「不満か」
「百人でもええがね」
「まず五十人をまともに動かせ」
「やってみせるがね」
可成が犬千代を見た。
「犬千代。お主は某の下だ」
「分かっとるがね、三左殿」
「分かっている者の返事には聞こえぬな」
「ちゃんと聞いとる」
第三中隊は久助へ預ける。
「久助は第一小隊も見てくれ」
「承知仕りました」
「驚かないんだな」
「三百人を集めさせておいて、某だけ帳面を付けていろとは申されますまい」
「なら、百人を頼む」
「お任せくだされ」
残る第三中隊の第二小隊は、留守居に残っていた政虎の父へ、ひとまず預けることにした。すでに家督を政虎へ譲っているが、兵を率いた経験は長い。
「正式な小隊長が決まるまで、五十人を預かってくれ」
「心得ました。若い者と同じには動けませぬが、五十人を見ておくくらいなら、まだ務まりましょう」
「それで十分だ」
分隊長には、九人へ命令を伝え、遅れた者が出れば勝手に進まず、自分で判断できないことを小隊長へ報告できる者を選んだ。
二十九人は新しく採った兵から選び、残る一人には日吉丸を置いた。
「わしが、大人を九人も見るのでございますか」
「ああ。俺の第一小隊へ入れる」
「年上ばかりですが」
「お前は俺の指図を知っている。九人をまとめながら、伝令も覚えろ」
「指図を聞き違えれば、九人とも違う方へ動きますな」
「九人で済まない時もある」
「分かりました。受けた指図は、その場で言い直させてもらいます」
「そうしろ」
日吉丸は、自分の分隊へ入った九人を見た。
「わしは日吉丸です。小さいからといって、聞こえんふりはさせませぬ」
「最初から喧嘩を売るな」
「先に申しておいた方が早いのでございます」
完成した兵舎へ五十人ずつ入れ、小隊ごとに寝起きさせた。まだ建っていない棟の者は、仮小屋で待たせる。
小隊ごとに同じ兵舎へ入り、寝起きから訓練まで一緒に動く。村の家々へ散らしていた兵とは、暮らし方から違う軍になる。
* * *
訓練は、歩くところから始めた。
十人で進み、止まり、向きを変える。それができれば五十人、次に百人で動かす。
槍を振り回す前に、命令を聞き、列を崩さず、隣と同じ速さで動くことを覚えさせた。
犬千代は、自分の小隊で遅れる者が出るたび、その兵の前まで走っていった。
「右足からだがね。わしを見て歩け」
「犬千代」
可成に呼ばれ、犬千代が振り返った。
「何だがね」
「一人を見ている間、残る四十九人を誰が見る」
「できん奴に、わしが教えとる」
「それは分隊長の役目だ。五人を使え。お主が見るのは五十人すべてだ」
「……分かったがね」
犬千代は遅れていた兵から離れ、五人の分隊長を呼んだ。どこが揃っていないかを伝え、分隊ごとに歩かせ直す。
訓練が始まって十日ほど経った頃、政虎の父が腰を痛めた。
以前からの古傷らしい。初めのうちは杖を突いて訓練場へ出ていたが、五十人の列を追うことも難しくなった。
「若様、これ以上は務まりませぬ」
政虎の父は杖を脇へ置き、頭を下げた。
「休めば戻れないか」
「腰が利かぬ身で、五十人を預かるわけにはまいりませぬ」
「分かった。小隊長からは外れてくれ」
「面目次第もございませぬ」
「後を任せる者が決まるまで、訓練は見ていてくれ」
「座して見届けるだけなら、まだ務まりましょう」
第三中隊の第二小隊だけ、小隊長が空いた。
新しく採った者から引き上げることも考えたが、五十人を預けるにはまだ早い。
その数日後、尾張から来た商人が、一人の少年を連れてきた。
門へ出ると、少年は俺を見つけて荷を下ろした。
佐々与左衛門だった。
「橘殿。以前の話を覚えておられるか」
「覚えている。朝霧へ来るかもしれないと言っていたな」
「考えた末、来ることにした」
「家には話したのか」
「ああ。兄者たちにも伝えてある。佐々の家を捨てるつもりはないが、俺自身は橘殿に仕えたい」
「朝霧を見てから決めなくていいのか」
「尾張からここまで来て、見物だけして帰るつもりはない」
与左衛門は訓練場へ並ぶ兵を見た。
「ずいぶん兵が増えているな」
「今、三百人を鍛えている」
「俺には何をさせる」
「何ができるか見てから決める。役目は家柄だけでは決めない」
「分かった」
与左衛門は俺の前へ膝をついた。
「佐々与左衛門、橘殿にお仕えします」
「受ける。これからは俺の家臣だ」
「承知しました、若様」
そこへ、訓練場から犬千代が走ってきた。
「与左衛門、本当に来たんか」
「見れば分かるだろう」
「尾張から一人で来たんか」
「途中から商人と一緒だ。お前のように、迎えに来てもらったわけじゃない」
「なんだと」
「違うのか」
「槍を持て。どっちが上か、すぐ分からせたる」
可成が二人の間へ入った。
「犬千代、勝手に訓練を抜けるな」
「三左殿、こいつの腕を見るんだがね」
「それを決めるのはお主ではない」
与左衛門が可成へ頭を下げた。
「森殿。俺の腕も見ていただきたい」
「一度だけ、犬千代と合わせろ」
二人は木槍を取った。
先に出たのは犬千代だった。一歩で間を詰め、与左衛門の胸へ槍を伸ばす。
与左衛門は正面から受けず、槍先を横へ払いながら身をずらした。そのまま犬千代の脇へ回ろうとする。
犬千代が石突を返した。
与左衛門は後ろへ下がったが、石突の先が肩へ触れた。
「わしの勝ちだがね」
「今のは槍先ではない」
「石突も槍だわ」
「もう一度だ」
「一度だけだ」
可成が二人の木槍を下ろさせた。
「槍は犬千代が上だ」
「聞いたか」
「今はな」
与左衛門は訓練中の兵へ目を向けた。
「俺も、あの中へ入るのか」
「空いている小隊がある。五十人を動かしてみろ」
「いきなり五十人か」
「できるか」
「やってみる」
第三中隊の第二小隊へ連れていくと、久助が五人の分隊長を呼んだ。
「若様の命だ。与左衛門、まずはこの五人に指図を出せ」
「分かりました」
与左衛門は五人の名を聞き、進む、止まる、向きを変えるという三つの命令を教えられた。
最初の移動では、後ろの二つの分隊が遅れた。
与左衛門は自分で後ろへ走ろうとしたが、途中で足を止め、遅れた二人の分隊長を呼んだ。
「なぜ遅れた」
「前との間が詰まりました」
「次は、詰まる前に声を出せ。前だけを見て進むな」
二度目は、最初より列が揃った。向きを変えた時には端の分隊が少し遅れたが、五十人すべてが元の位置へ戻った。
訓練場の端で見ていた政虎の父が、杖を地面へ立てた。
「兵を率いたことはあるまい」
「ありません」
「初めてにしては悪くない。教えれば使えよう」
俺は与左衛門を呼んだ。
「第三中隊第二小隊を預ける」
「俺にか」
「中隊長は久助だ。分からないことは久助に聞け」
「承知しました、若様」
与左衛門が五十人の前へ立った。
三百人すべてに、率いる者が決まった。
まだ、軍の形を作っただけだ。槍を揃えて出すことも、命令どおりに向きを変えることもできない。
それでも、頼政の兵とは別に、俺が直接動かす三百人ができた。
出自の違う三百人が、同じ兵舎で暮らし、同じ扶持を受け、同じ命令に従う。
俺の直轄大隊は、ここから始まった。




