第53話 八風街道
天文十九年(1550年)、夏。
近江国、愛智郡、朝霧村。
黄和田城へ向かう朝、久助が帳面を持って屋敷の前へ来た。
「次に伊勢へ出す荷は、清酒が十五樽。漆器は椀と盆を合わせて六箱にございます。木地物も加えれば、荷駄は十を越えますな」
「一度にそれだけ出せるのか」
「はい。樽も木箱も、以前より早く揃うようになりました」
「漆器も増やせるか」
「善右衛門殿は、売れるうちに数を出したいと申しております」
久助が帳面を閉じた。
「帰りには米と麦を積ませます。行きも帰りも空荷にはなりませぬ」
「これからも荷は増えるな」
「減る理由がございません」
屋敷から出てきた頼政が、久助の帳面へ目を落とした。
「荷駄が十を越えるなら、八風峠を通すのも容易ではないな」
「はい。前に通った時も、道幅が狭く、路肩の崩れた場所がありました」
馬具を確かめていた弦十郎が続ける。
「荷を退ける余地のない場所もございました。前を塞がれれば、後ろの荷まで動けませぬ」
「実際、峠の近くで三人に道を塞がれました」
「聞いておらぬぞ」
頼政の声が低くなった。
「弦十郎と二人で押さえました。殺すほどの価値もない相手でしたので、簀巻きにして谷側の藪へ転がしました」
「谷へ落としたのか」
「谷底へ落ちるほどではありません。自力で道へ戻るには骨が折れる場所です」
「それで終わりにしたのか」
「はい」
「お前たちには大した相手でなくとも、後から通る者が同じとは限らぬ。次からは黄和田へ知らせろ」
「はい、父上」
久助が帳面を脇へ挟んだ。
「そのような道へ、清酒十五樽と漆器を通すので?」
「だから今日は、孫三郎殿の話を聞く」
「護衛を増やせという話でございましょうか」
「それだけなら、荷を出すたびに人が要る」
危ない道だと知られれば、荷運びの賃も上がる。荷を奪われれば、品を造り直すだけでなく、納める日にも遅れ、帰りに積む米や麦まで入らなくなる。
「まずは、孫三郎殿が何を求めているのか確かめます」
頼政が頷いた。
「行くぞ、小徳丸」
「はい、父上」
* * *
黄和田城は、八風峠へ向かう人や荷を見下ろせる場所に築かれていた。
兵を麓へ残し、頼政と俺は弦十郎だけを伴って城へ上がった。弦十郎を次の間へ残し、二人で座敷へ入る。
中では、川副孫三郎吉永が待っていた。
「弥三郎殿。そちらが小徳丸殿か」
「はい。使者をいただきましたので、父上と参りました」
「わざわざ来てもらって済まぬな。だが、橘の荷が増える前に決めておきたいことがある」
吉永は脇に置いていた絵図を広げた。黄和田から八風峠へ続く道が描かれている。
「橘の荷が、これから多く通るそうだな」
「清酒と漆器を伊勢へ出します。帰りには米と麦を積ませる予定です」
「商いの荷を止めるつもりはない。むしろ、八風街道を使う者が増えるのは悪い話ではない」
吉永の指が、絵図の上を峠へ向かって進んだ。
「だが、この道では荷を狙う者が絶えぬ。黄和田からも見回りを出しておるが、峠までを昼夜守れるほど兵は多くない」
「橘の荷は橘で守れ、というお話ですか」
「自家の荷に護衛を付けるのは当然であろう。されど、それだけで足りるかどうかは、そちらで考えてもらわねばならぬ」
頼政が俺を見た。
「小徳丸。どうする」
「荷には護衛を付けます」
吉永が頷いた。
「それならば、黄和田から申すことはない」
「いえ。それだけでは足りません」
俺は絵図の坂の頭関所から政所までを指でなぞった。
「坂の頭関所から政所までは、橘の兵に巡回させます」
「関所から政所までを、橘が受け持つと?」
「はい。政所から先、八風峠までは黄和田にお願いしたいと思います」
吉永は俺が指した道を見た。
「荷には護衛を付けるのであろう。それとは別に、街道の巡回まで分ける必要があるか」
「橘の荷が増えることで警備の負担も増えます。それを黄和田だけへ任せるのは筋が通りません」
「坂の頭関所から政所までを橘が受け持てば、双方の負担が釣り合うと?」
「はい。ただ、道の長さだけでは決められません。実際に見て回り、何人置くか、どれほど見回りが要るかまで確かめた上で、受け持つ範囲を定めます」
吉永は絵図の政所へ指を置いた。
「橘の兵は、政所を越えて八風峠側へは出さぬのだな」
「普段の巡回では出しません。ただし、兵を動かす場合は、先に黄和田へ知らせます。黄和田の兵が政所から坂の頭関所側へ入る場合も、同じようにしてください」
「こちらの許しを求めるのではなく、先に知らせると」
「はい。互いに知らぬまま兵を動かせば、余計な疑いを招きます」
「分かった。それならばよい」
俺は絵図の道が細くなっている場所へ指を移した。
「それと、巡回だけでは足りません」
「ほかに何をする」
吉永が俺の指先を見た。
「道も直したいと思います。前に通った時、路肩の崩れた場所がありました。荷や馬を退ける場所もない。あそこで前を塞がれれば、護衛を付けていても身動きが取れません」
「八風街道を造り直すつもりか」
「そこまではしません。崩れた場所を固めて、荷や馬を脇へ寄せられる場所を何か所か造る。曲がり角は藪を払い、水が道へ流れ込むところには溝を切る。その程度です」
「それを、小倉西家にもやれと?」
「橘だけが使う道ではありません。こちらからも人足と道具を出します。どこを受け持つか決めて、その分だけ双方で人を出せばよいかと」
吉永が頼政へ向き直った。
「弥三郎殿も、この話を承知しておられたのか」
「いえ。巡回も普請も、某も今聞いたところです」
巡回と街道普請は、吉永だけで決められる話ではない。小倉西家の当主、小倉右京大夫実治の裁可が要る。
頼政は俺を見た。
「だが、理には適っております。孫三郎殿、右京大夫殿へお取り次ぎ願えますか」
「橘からも改めて書状を出します」
俺が続ける。
「右京大夫殿が認めてくだされば、まず双方で道を確かめます。その上で、巡回する場所と普請する場所を決めたいと思います」
「橘の荷を守るためだけではないのだな」
「はい。道が通りやすくなれば、伊勢から入る荷も、近江から出す荷も増えます。小倉西家にも益があり、黄和田の見回りも楽になります」
吉永は絵図へ目を落とした。
「随分と大きな話になったな」
「荷が増えてから襲われるより、先に整えた方が安く済みます」
「結局、銭の話か」
「商いの荷を通す道ですから」
吉永が笑った。
「承った。右京大夫様へ申し上げよう」
実治から返事が届くまでは、橘の荷をまとめて出し、護衛を付ける。荷を出す前には黄和田へ知らせることになった。
頼政が実治へ書状を出し、吉永からも話を上げる。
城を出て坂を下ると、頼政が前を歩く弦十郎の背を見たまま口を開いた。
「向山へ、黄和田の兵を近づけないためでもあるのだろう」
「気づいていましたか」
「お前が、ただ負担を釣り合わせるためだけに、坂の頭から政所までを受け持つとは思わぬ」
「街道を守る必要があるのも本当です」
「ああ。話に偽りがないなら、そのまま進めろ」
「はい、父上」
* * *
黄和田との話を終えると、頼政と俺は小椋谷四村の移管を知らせるため、周囲の有力者を回った。
供には弦十郎と可成が付き、土産として清酒と漆器を持たせた。
最初に訪ねたのは、目賀田次郎左衛門尉忠朝だった。
頼政が四村の移管と小倉東家との取り決めを伝えると、忠朝は俺へ目を向けた。
「橘は、ずいぶんと愛智郡の奥へ入ったものだな」
「御屋形様の御裁可をいただいております」
「それは聞いておる。目賀田から異を唱えるつもりはない」
忠朝は持参した書付を脇へ置いた。
「だが、人や荷が増えれば、愛智郡の者も気にする。大勢の兵や人足を動かす時まで、何も知らせずに済ませるつもりではあるまいな」
「そのつもりはありません。大きく人を動かす時は、先にお知らせします」
「ならばよい」
忠朝は清酒の樽へ目を向けた。
「それが、六角でも評判になっておる酒か」
「橘で造った清酒です」
「挨拶だけではなく、売り込みにも来たか」
「どちらも大事です、次郎左衛門尉殿」
忠朝が笑った。
「弥三郎殿。そなたの息子は、領地より商いの方が好きなのではないか」
「某も、近頃そう思っております」
「父上まで何を言っているのですか」
可成が差し出した漆の椀を、忠朝が手に取った。
「これも四村で造らせたのか」
「小椋谷の木地師が仕上げました」
「四村を得た途端に売り物にするとは、抜け目がない」
「仕事が増えれば、村にも銭が入ります」
「よかろう。酒も椀も使ってみよう」
* * *
次に訪ねたのは、鯰江備前守貞景だった。
頼政が四村の移管を伝えると、貞景はすぐに頷いた。
「小倉東家とも話が済み、御屋形様も認めておられるのであろう。鯰江から申すことはない」
「ありがとうございます、備前守殿」
頼政が続ける。
「四村と朝霧の間で人が動くようになれば、山中で何か起きた際、鯰江へ御迷惑を掛けることもあるやもしれません」
「盗賊や山火事か」
「はい。見慣れぬ兵や不審な者が入ることも考えられます」
「こちらで異変を見つければ、橘へ知らせよう」
「橘でも、鯰江に関わる動きを見つけた時は、すぐに使者を出します」
「急ぎなら、馬や道案内も要るだろう」
「その時は、互いに融通していただけると助かります」
「異存はない。それでいこう」
話がまとまると、貞景は土産の黒い椀を手に取った。
「ところで、この椀は本当に水が染みぬのか」
「試してみてください」
「酒を入れてもよいか」
「椀なので、飯や汁の方がいいと思います」
「酒を持ってきておいて、それを申すか」
「酒には小盃もあります」
「そちらも持ってきたのであろうな」
「もちろんです」
* * *
最後に訪ねたのは、大森に館を構える布施淡路守公雄だった。
頼政が四村の移管を伝えた後、公雄は持参した漆器を手に取った。
「保内と小幡の商人には、すでに橘の荷を扱わせておるのだろう」
「はい。これからは清酒と漆器も加え、扱う量を増やしたいと考えています」
「その報せを持ってきたか」
「荷が増えれば、売り場や運ぶ順番で揉めることもあります。何か起きてから話を持ち込むより、先に淡路守殿へお伝えしておくべきだと考えました」
公雄は椀の底を確かめた。
「わしに商人を押さえろと申すのか」
「いいえ。保内と小幡の者には、こちらから話を通します。今ある商いへ、こちらの都合で別の商人を割り込ませるつもりもありません」
「ならば、わしに何を求める」
「これから荷の行き来が増えることを、先に承知しておいていただきたいのです。それと、商人同士で揉め事が起きても、橘だけの判断で片づけるつもりはありません」
「何かあれば、こちらにも話を通すと」
「はい。その上で、どう収めるかを決めたいと思います」
公雄は椀を置いた。
「酒と漆器を扱わせるなら、保内と小幡の者にも取り分が要るぞ」
「売れた分に応じて渡します。扱う者の取り分まで削れば、次から運んでもらえなくなります」
「値を崩して数を売るつもりはあるまいな」
「安売りはしません。どこで、いくらで売れたかも帳面に残します」
「随分と細かく見るのだな」
「数えなければ、売れたのか、なくなったのかも分かりません」
公雄は清酒の樽へ視線を移した。
「この酒も、保内と小幡の者へ持たせるのか」
「はい。まずは売れる場所と値を確かめます」
「それから数を増やすと」
「はい。売れるか分からない場所へ、初めから多く出すつもりはありません」
「慎重なのか、欲深いのか分からぬな」
「売れ残るよりはいいです」
公雄が笑った。
「承知した。保内と小幡の商人を使い、扱う荷を増やすことは認めよう。ただし、揉め事を起こせば、勝手に片づけずこちらへ知らせろ」
「承知しました」
「まずは、この酒を飲んでから考える」
「気に入りましたら、次は銭をいただきます」
「やはり売り込みではないか」
「土産は最初だけです」
隣で、頼政が小さく息を吐いた。
* * *
目賀田、鯰江、布施への挨拶を終えて朝霧へ戻ると、実治からの返書が届いていた。
頼政が書状を読み終え、集まった者たちの前へ置いた。
「右京大夫殿は、坂の頭関所から政所までを橘が巡回することを認められた。政所から先、八風峠までは黄和田が受け持つ」
「昼夜の巡回も認められたので?」
政虎が尋ねた。
「交代であれば構わぬとのことだ。普段の巡回を越えて兵を動かす場合は、互いに先に知らせを出す」
「承知しました。巡回する者を決めます」
「普請については、双方で道を確かめた後、直す場所と出す人足、道具を決めよとのことだ」
頼政が書状から顔を上げた。
「孫兵衛、新九郎」
「はい」
「明日、政所で黄和田の者と合流しろ。崩れた場所と道幅、荷を退けられる場所を調べてこい」
「承知しました」
「街道から外れた獣道や、身を隠せる場所も見てまいります」
久助が帳面を開いた。
「清酒十五樽と漆器六箱は、いつ出します」
「道を見た報告を聞いてからだ。護衛は彦九郎と決めてくれ」
「帰りに積む米と麦も、それに合わせます」
「頼む」
* * *
二日後、孫兵衛と新九郎が朝霧へ戻った。
「路肩の崩れた場所が三つ、荷を退けられそうな場所が二つございました。藪を払う場所と、溝を掘る場所も決めております」
「黄和田の者とは」
「出す人足と、受け持つ場所まで話がつきました」
頼政が政虎へ向いた。
「彦九郎。巡回を始めろ」
「明日の朝から動かします」
「久助。荷は巡回の後に出せ」
「承知しました」
翌朝、橘兵が出た。坂の頭関所から政所まで、受け持つ区間を見て回る。
道に異変がないとの報せが戻ったのは、その日の昼過ぎだった。
久助が荷駄へ合図を出す。清酒と漆器を積んだ荷駄は、坂の頭関所を抜け、政所を経て、八風峠を越えて伊勢へ向かって動き出した。




